こいつのヒゲなら大丈夫

日本で百獣の王と言えば、
誰もがまずはサバンナの王者、ライオンを思い浮かべるでしょう。
しかしご察しのとおり、
ベトナムでは他でもない虎こそが、
百獣の、いや、
人間の世界も含めて最も恐ろしい存在であり、
今もなお神の使いとして崇められる対象です。
人々の口伝の中にもそれは色濃く残っており、
虎に関する様々な言い伝えが存在しています。

え?
お前のところのトラはどうなんだって?
ぐぅ。。。
ふむ吉にはすこし、
重すぎたのかもしれません。
トラなんですけど、
虎の威を借るトラ状態になってますね。
でも!
彼もがんばってるんです!
もう少し、
長い目で見守ってあげることにしましょう。

さて!
気を取りなおして、
今回のことわざを見てみましょう!

Vuốt râu
[なでる] [ヒゲ] [虎]

直訳するならマンガのとおりで、
「虎のヒゲをなでる」という意味になります。

ことわざというよりはイディオムのような表現で、

大胆不敵な行動に出ること

や、

敢えて力を持つ者を怒らせる

というような例えとして用いられます。

つまり、
危険を承知の上で、
向こう見ずであっても火の中へ飛び込んでいく、
そんな行動の勇敢さと愚かさの両方を、
言い含めている言葉なのです。

ベトナム語が現在のような、
クオック・グー( quốc ngữ : ベトナム式ABC)になる以前、
書物に記されるベトナム語はみなチュノム( chữ nôm )と呼ばれる漢語表記であり、
人民のほとんどが文字を読めない、扱えない、
すなわち「音」のみが人々の世俗的な歴史をつむいできたと言えます。

その中では「口伝」こそが、
大衆としての知恵を未来へ伝える最も重要な伝達手段であり、
社会背景もしかりながら、
まさに「口伝」であったからこそ、
言葉に刻まれる感性は至極当然に書物に記されるよりも研ぎ澄まされ、
また膨大になったことは想像に難くありません。

そのようなベトナム語の世界には、
困難に立ち向かう者やその行動を、
「虎のヒゲをなでる」というような隠喩になぞらえ、
言い表した言葉が少なくありません。

そんな種類の言葉には、
おおっぴらには推せないけども、
がんばってやってほしい、
でも悪いけど失敗しても知らないよ、
という、人間の複雑な心理が込められているのではと、
私個人としては考えています。

他人は笑うし、
おれも他人と同様笑っているふりをしているんだけども、
その無謀さと勇気は嫌いじゃないよ。

そして、
ベトナムに限らず、
自分の上に立つ者や、自分の行く道を遮るもの、
大衆の血を吸う者や、イスに座るだけで肥える者に、
喝を入れたいけれども入れられないという行き場のない心理は、
どんな人間でも持っているものなのではないでしょうか。

そんな時、
ただ黙りこむのではなく、
つむがれる深い認識として、
本人には届かずともあたたかな支持の気持ちを、
言葉にのせて伝え合ったのかもしれません。

虎穴に入らずんば虎児を得ず

日本にも、
中国由来のこんな言葉があります。
こちらはとてもストレートな表現ですが、
人々が「勇気」を賛美している雰囲気は、
共通しているような気がします。


少々堅苦しい文章になってしまいましたが、
ベトナムにおける虎のイメージは、
華やかでありながらも畏れるに足る、
「陰」と「陽」の双方をはらんでいるのです。

ふむ吉は、
そのうちの陽の部分の、
本当に先っちょの、
陽気さそれのみで出来ているとお思いかもしれませんが、
彼の「陰」は眼帯の中に封印してあるという言い伝えがあるのです。


・・・たぶんホントです。

最後に、
今回の言葉 Vuốt râu は、
もちろんただ無謀なだけの行動を揶揄する場合にも用いられます。
いやむしろ、その方が多いようです。
そう、ちょうどどこかのトラが、
派手なロゴ入りのTシャツを身にまとい、
二足歩行ではりきっているような・・・。

おまけ

「虎」を表すベトナム語は多数あります。
漢語で「虎」と書く
ベトナムの固有語である
いわれある ・・・。
それぞれについて書くと長くなるので、またの機会に。
ちなみに、
WWF(世界自然保護基金)によると、
ベトナムには虎が生息するにあたって条件の良い森林が、
比較的多く残っているようです。

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