他人のおうんこはクサイ

ベトナムを代表する風物詩のひとつ。
どんなにコワモテのおばちゃんでも、
身に着けている服が意外と天真爛漫・・・。

おっと!
ふむ吉の驚きにも大いに同感したいところですが、
ここは言葉を楽しむ場所でした。
さっそく、
今回のことわざを見てみましょう。

đầu đường thối,
[子供][人][大便する][道端][~なら][臭い]

đầu gối .
[子供][自分][大便する][ひざがしら][~なら][~でない]

あまり何度も繰り返すと、
世の公序良俗を乱しかねない語彙が含まれていますが、
学びの場であるとシラを切って、
思いきって日本語にしてみましょう。

他人の子が道端におうんこをすると臭いけど、
自分の子ならひざがしらにされてもダイジョーブ。

はじめに断っておきたいのですが、
今回のフレーズはことわざとは言えないかもしれません。
ベトナムの書店で売っている、
いわゆる「ことわざ辞典」の類いにも、
まず載っていないと思います。
というのもこのフレーズは、
私がハノイに留学していた時、
ホームステイ先の奥さんがよく口にしていた言葉なのです。

しかし本人曰く、

「これはれっきとしたことわざだよ!
 あんたはそれを何でもってカテゴライズするんだい、
 みんなの間で受け継がれてきた言葉、
 それがことわざじゃなくて何なんだい!」

少しばかりやんちゃな経歴を持つ奥さんなので、
口調が荒いことは勘弁願いたいのですが、
彼女の言うこと自体は、
まさに、その通りでございます!
と思い、
今でもよく覚えています。

ということで、
今回の「ことわざ」の言わんとするところですが、
どんな国、
どんな社会でもそうでしょう、
シンプルに、
「自分の子はかわいい」
ということです。

日本にも、
「目に入れても痛くない」などの表現がありますね。
私にも二歳になる息子がいますが、
恥を知った上で言わせてもらいますと、

彼は、かわいいです!!


ハイ!!

みなさん、
ただの親バカの登場にページを閉じてしまうのはまだ早い!
人々が口伝で伝えるほどの言葉ですから、
そこにはちゃんと訓戒と言える意味も存在しています。

Bênh lon xon mắng .
[肩を持つ][子供][慌てて][叱る][人]

こちらは書籍にも比較的高確率で載っている言葉で、
分かりやすく言うとこうなります。

子の肩を持って考えもなく他人を叱りつける

「子煩悩」とは単に親バカの幸せだけを指すのではなく、
時にそれは、
ましてや自分でわからないままに、
「盲目的」になりうるのです。

そのことを戒める言葉は、
どちらかというとベトナム語よりも日本語に、
多く見ることができるのかもしれません。

上のフレーズに近いものでは、

子供の喧嘩に親がでる

と言いますね。
ほかにも、

親の甘茶が毒になる

親の欲目

などなど。
そしてまさに、というものは、

親馬鹿子馬鹿

があります。
それぞれの言葉の詳細は、
お手持ちの国語辞典で調べていただくとして、
子に対する親のあり方が、
少なからず子供に影響を与えるんだということを、
人は昔からよく実感してきたのでしょう。

そして、
親のあり方を様々に教えてくれる言葉もあります。

かわいい子には旅をさせよ

かわいい子には灸をすえよ

これは中国の故事ですが、

獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす

そして、
ベトナム語にももちろんあります。


Yêu vọt vào lưng
[愛する][子供][与える][ムチ][~に][背中]

愛する子にはムチを打て

Yêu roi vọt, ghét ngọt bùi
[愛する][与える][棒][与える][ムチ] [憎い][与える][甘い][与える][美味い]

かわいい子には棒とムチを、
憎い子には甘く美味しいものを

これらはどちらも、
厳しさを惜しめば子をダメにするぞ、
という戒めです。

子を愛するのは誰でもそう。
愛するからこそ、
親としてしかるべき所作であれ。
これらの言葉は、
そんな人生の知恵を教えてくれているのかもしれません。

しかし、
再び私の身の上話で申し訳ないのですが、
かわいい我が子に「うまく厳しく」接する方法なんて、
日常の中では意識するのもなんだか煩わしいもので、
考えにあったとしても、
うまくできる自信なんてとても持てません。

おそらく、
先輩諸氏の親たちも、
おおよそ大きく成長してから、
ああすればよかった、こうすればよかったと、
様々な考えを巡らせ、
今に伝わっているのでしょう。
(と、思いたいです)

そして、
私のような一応の人の親を、
ちょっと気楽にさせてくれる言葉もあります。

親の心 子知らず

親はなくとも子は育つ

これらを受けてホッとするのは、
言葉の本意とはちょっと違うのかもしれませんが、
そんなに親が気負わずとも、
子は社会に出て育っていくものだと、
肩の力をスッと抜いてくれるような気がします。

そしてそんなことより、
私を焦らせている言葉があります!

親孝行したいときには親はなし

子を持って知る親の恩

恥ずかしながら私も、
自分に子供ができて大いに、
親への感謝を痛感している人間です。
かといって、
親孝行はおろか、
親不幸なことばかりしてきたような気がします。
自分自身は、
息子が大きくなって親孝行をしてほしいなんて思いませんが、
そして多分、私の両親もそう思ってはいないのかもしれませんが、
子を持って、
親の恩を知って、
子にうまく恩を着せることもままならずに、
親の恩に報いられずに焦っている・・・。


ベトナム語を扱うはずが、
なんだか個人的な、しかも日本語の話ばかりになってしまいました。
代わりと言ってはなんですが、
今回出てきた「大便」という言葉について、
ベトナム語のボキャブラリーを広げておきましょう。

という言い方はどちらかというと口語的な表現で、
文章の中ではあまり用いられません。
そして、
幼児的な言い方も、もちろんあります。
それぞれをまとめると、

大便(文語) 【大便】
うんこ(口語)
うんち(幼児語)

となります。
ついでに小さい方も挙げると、

小便(文語) tiểu tiện 【小便】
おしっこ(口語) đái
チーチー(幼児語)

大きい方も小さい方も、
文語的表現ではどちらも漢越語であるのがおもしろいですね。
これでみなさんも、
排泄に関する使い分けはバッチリです!
それではさようなら!
(おわり)

こんなことばかりしてるから、
親孝行できないんです、きっと・・・。

出典: 『故事俗信ことわざ大辞典』(1982 小学館)

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