勝てば王、負ければ賊
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なんだかいつにも増して、
二足歩行のトラの的外れな胡散臭さだけが、
とってもクローズアップされている気がしますが、
今回のことわざ、
どこかで聞いたことがあると思いませんか?
そう、
日本にも似たようなことわざがあります。
勝てば官軍、負ければ賊軍
文字どおり、
「勝敗によって正邪善悪が定まる」
という意味合いで、
戦いの際には必ず朝廷の意向という大義名分がついてまわった日本史上、
「官軍」と「賊軍」をめぐるストーリーは数え切れず、
そうした背景で生まれた言葉です。
「勝ったものが正義である」
ということわざの意味を象徴する戦いとしては、
古くは、
承久の乱で幕府や政権を打ち破り朝廷に賊軍とされながらも、
官軍に勝利することで自らが官軍となった足利尊氏、
新しくは、
長年にわたり実質的政権を握っていたはずが、
朝廷の方向転換により賊軍と断罪してきた薩長勢力に敗れ、
北の果てで賊軍として敗れた江戸幕府軍、
などの史実が挙げられます。
このような歴史の営みをもって、
「勝てば正義」という意味合いとともに、
その過程でたとえ不正があったとしても、勝ったならば不問である、
というような意味を感じることもできますね。
錦の御旗
という言葉も、
同様の背景を持った象徴的な言葉であり、
同じく現代を生きる私たちが、
何らかの「戦う」場面でよく用いる言葉です。
少し脱線してしまいましたが、
ベトナム語バージョンを見てみることにしましょう。
[勝つ] [なる] [王], [負ける] [なる] [賊]
ご覧のとおり、
勝てば王、負ければ賊
上述の日本版とほぼ同じニュアンスです。
(thắng は :できる、なしとげる の場合も)
確証は得ませんが、
どんな国、どんな地域でも歴史には戦いがあり、
同じ様な言い回しは存在するのではないでしょうか。
ベトナムでもそれは同じ。
歴史の中で様々なイデオロギーが割拠し、
善と悪は勝利したものが手中にしたのです。
新しいところでは、
ベトナム戦争における北と南の戦いがあります。
敗れた南の旧政権下にあった民衆は、
語る場所や時間ではなく「賊」の汚名を与えられたままボートに乗って、
日本をはじめ周辺諸国へと難民として出ていきました。
現在でこそ邂逅が見られるようですが、
南のそれまでの政府関係や教育関係のイスは総じて、
「王」となった北が勝ち取ったのです。
どちらが正義、どちらが悪というわけではなく、
勝ったものの道理が通るという意味で、
当時の「王」も「賊」も、
この言葉を胸に抱いたことは想像に難くありません。
また、 似たような意味で次のような言葉もあります。
[者] [勝つ] [書く] [成す] [歴史]
勝者が歴史を作る
負けた者の物語は語られない、
勝った者が正義として、
自分たちの歴史を記していくという意味で、
Thắng vua, thua giặc
と非常によく似ていますね。
ちなみに、
このふたつの言葉はいずれも、
現在ベトナムでなかなか頻繁に使われているのですが、
どのように用いられているのでしょうか?
答えは、サッカーの報道です。
サッカーが大好きなベトナム人、
新聞には度々、
今回のフレーズが見出しとして使われています。
人の命を奪い合った歴史の上に生まれた言葉ですが、
フェアなスポーツという舞台で使われるならば、
勝った方が喜び注目を集めても、
負けた方の物語もちゃんと残っていきそうですね。
(おわり)
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