詳解!黄金のしずく、ヌックマム

ふむにちわ、
ふむベト編集部です。

今回は、
ベトナムの数多ある調味料のなかでも代表格の、
今では日本でも容易に手に入るようになったヌックマムについて、
とってもディープに掘り下げてみましょう!

ヌックマムがベトナムの魚醤であることは、
今や多くの日本人が知る所となっているのかもしれません。
(タイのナンプラーも魚醤ですが、お間違いなく!)
魚醤と言えば、匂いがきつくてどうも苦手だよ…。
という方もいるかとは思いますが、
「よいヌックマムほど、香りがいい」と、ベトナム人はよく口にします。
ただし、
これは仕込みの初期段階での魚の強烈な生臭さと比較して、と捉えるべきであり、
慣れない人にはやはり、ヌックマムの匂いは鼻につくでしょう。
しかし!
慣れというものは不思議なもので、
ひとたびヌックマムを食べ慣れてしまうと、
いつの間にか「匂い」が「香り」に変わり、
今、ヌックマムがあったならどんなにいいかしら…と、
何かにつけてヌックマムの味が恋しくなるものです。
(………ホントです!)

ヌックマムをベトナム語で書くと、
です。
日本では、
「ヌクマム」のほか、
「ヌックマム」や「ヌォックマム」、
「ニョクマム」、「ニョクマム」、
「ヌクナム」という具合にいろんな呼び名があるようですが、
ベトナム語をカタカナで表記することに無理があることを差し引いても、
最初のふたつ、
「ヌクマム」または「ヌックマム」が、
本来の発音に最も近い書き方です。
本稿では発音が比較的ベトナム語に近く、
また視認性のよい「ヌックマム」に統一して呼び表すこととします。

さあ、前置きはこのくらいにして、
さっそく一緒にヌクマ…いや、
ヌックマムの世界を体感してみましょう!

ヌックマムとは?

「ヌクマムとは何か?」と問うとき、
ひとことで言うならば、
「それはベトナムの国民食である」と言えるでしょう。

肉もない、魚もない、それでも白いご飯とヌックマムがあればなんとかなると、
ベトナム人から耳にすることがよくあります。
おかずがないときでも、
空芯菜の茹で汁と、空芯菜にヌックマムをつけたもの、
そして白いごはんだけ、
これで食事を済ませてしまうことはままある話です。

また、乳幼児の離乳食はもっぱら、
お粥にヌックマムをかけただけのものですから、
ベトナム人にとってヌックマムとは、
物心つかないうちから体で味を知っている、
ベトナムという大きな母の、おふくろの味なのです。

それでは、
食品分類の観点、とくに製造法の観点でみれば、
ヌックマムはどのような位置づけになるのでしょうか。

単純にその製造法を説明するならば、
魚介類に塩を加えることで保存期間を延ばしながら腐敗を防ぎ、
魚介類に含まれる酵素や微生物の働きによる発酵を経て肉を分解させ、
うまみ成分であるアミノ酸類を生成させた発酵食品
です。

「魚醤」は東南アジアを中心に多くの国で生産されますが、
実際には国や地域によって相違があるものの、
「塩をもみ込んで発酵させてうま味成分を生成させる」という点は共通しています。

そして、下の図に示すように
これはいわゆる「塩辛」の製造法と全く同じです。

この図が示すように、
「塩辛」も「魚醤」も同じ製造フローで表すことができ、
魚醤の一種であるヌックマムはその過程で、
原料が溶けてどろどろになるまで分解したときの、
液体部分のみを抽出したものです。

ちなみに、
マムルオック()やマムチュア(mắm chua)、マムトム()など、
ベトナムにも「塩辛」と呼べる食品があり、
そのいずれにも共通する「マム」の意味は、
ほかでもない「塩辛」なのです。
ヌックマムの「ヌック」は「水」ですから、
ヌックマムで、
「塩辛のうちの液体部分」というのが、
ヌックマムという言葉の原義ということになります。
そして、発酵食品の用語としては、
「食材に塩をして発酵させたもの(個体・液体ひっくるめて)」
を総じて「醤(ひしお)」と呼び(ベトナム語ではチュオップ:Chượp)、
上で述べたような製造法の類似性から考えると、
「塩辛」も「ヌックマム」も総じて魚介類を利用した「醤(ひしお)」、
つまり双方ともを「魚醤」と呼ぶべきであり、
ヌックマムはその液体、
つまり「魚醤液」と呼ぶのがまっとうであると言えるでしょう。

以下、とくに断りがない場合、「魚醤」は「魚醤液」を指すものとし、
 塩辛および魚醤液の双方を指す広義の魚醤を指す場合は ”魚醤” のように引用符で囲うものとします。

ベトナムの塩辛については別の記事に機会を譲るとして、
本稿ではベトナムの「魚醤液」ヌックマムについて、
まずはその歴史から、詳しくみていくことにしましょう。

ヌックマムの歴史

かつてのアジアにおいて伝統的に ”魚醤” を有する地域は、
そのほとんどが水田稲作地帯であり、
特に東南アジアでは肉類や乳製品が毎日の食卓に上ることは少なく、
米と魚と野菜の組み合わせが日常の食事でした。
加えて、大豆を原料とする醤油の製造文化が根付かなかったため、
ベトナムやタイにおける調味料の主役は、
大昔から現代にいたるまで、ずっと変わらず ”魚醤” でした。
つまり、
ベトナム人にとってのヌックマムは、
日本人にとっての醤油と同等か、
もしくはそれ以上に切り離せない関係を保ってきたのです。

ヌックマムについての記載がベトナムの文献にはじめて登場するのは17世紀末期、
内戦のさなかにサイゴンに立てこもった王党派がヌックマムの生産地を敵軍に制圧され、
ヌックマムの調達に困窮したという記事が残っています。

ヌックマムのはじまりは、
紅河デルタおよびメコンデルタなどの海岸部で自然に起こったとも、
また、塩辛の一つマムトムの主な消費地帯がもとはチャンパ王国であったことから、
チャンパ王国を築いたチャム族の食品であったとも言われています。

しかし、
ヌックマムの起源を記した文献はほとんど皆無であり、
今でははっきりとその歴史を知ることはできず、口伝による諸説が残るのみです。

そのうち、
醤油とヌックマムの製法の類似性から、
16~17世紀、
ベトナム中部に日本人街を作った日本人によってもたらされた醤油に着想を得たものであるという、
日本人にとって親近感を感じる説もありますが、
単に塩をした魚を長期間放置して忘れていたものから偶然的にヌックマムができたとか、
18世紀にベトナムに伝わった、
古代ローマの魚醤油「ガルム(garum)」から変化したものであるとか、
それら諸説はいずれも決定的な証拠がなく、
真相はいまだ謎のままです。

ただ、
ベトナムを植民地化したフランスによる20世紀初めの資料の中に、
ヌックマムが当時すでにベトナムにあったという記述があるので、
フランスがもたらしたものではないことは確かなようです。
ちなみに、
フランスの植民地下に入ったベトナムは、
第二次世界大戦前から魚醤の研究がなされた、
東南アジアで唯一の場所です。

フランス人研究者によってなされたヌックマム研究の主な舞台は「パスツール研究所」であり、
現在もハノイやホーチミン市、ニャチャンなど各地に残っています。
また、
「パスツール」の名を持つ通りもあることから、
敵国の人間によるものとはいえ自国の食文化への貢献を受け入れる、
ベトナム人の柔軟な国民性も伺えます。

彼らフランス人研究者たちによって、
ヌックマムの主成分が遊離アミノ酸であることが1950年代までに明らかにされ、
パリのソルボンヌ大学およびベトナムのパスツール研究所における、
ベトナム人Ngô Bá Thành 博士の研究では、
数百の種類の異なるヌックマムが試料として用いられ、
ヌックマムには17種類のアミノ酸が高濃度で含まれることや、
原料となる魚の違いによるヌックマムの食味の優劣などが判明しました。
現在では、
アミノ酸のひとつであり昆布のうまみ成分でもあるグルタミン酸の含有量が、
ヌックマムには非常に高く見られることがわかっています。

現在の主なヌックマム生産地としては、
北部ハイフォン(Hải Phong)省のカットハーイ(Cát Hải)、
南部のニャチャン(Nha Trang)やファンティエット(Phan Thiết)、
ベトナム最西端のフーコック(Phú Quốc)島などが挙げられます。
特にフーコック島のものは美味であるとされますが、
ザンチー(Dân Trí)紙の2013年5月の記事によると、
現在フーコック産として市場に出回るヌックマムのうち約9割が偽物であり、
フーコック産ブランドの名声が失われつつある現状だそうです。
また、タインニエン(Thanh Niên)紙が2009年11月に報じたところでは、
偽物の流通によるブランド力低下に加え、
現地での原材料源の枯渇、人件費や水道光熱費の上昇により、
生産量の確保も喫緊の課題であり、
フーコック・ヌックマム協会(Hiệp hội Nước mắm Phú Quốc)が商標保護登録を行い、 フーコック島の属するキエンザン省人民委員会(Ủy ban nhân dân tỉnh Kiên Giang)が、 「フーコック」の地名をヌックマムの商標として使用する要件に関する公告を策定するなど、
ブランド力の回復に躍起になっているようです。

そして、
フーコック島に限らず、
激しい市場競争や原料である Cá cơm の漁獲量の減少などの影響で、
ベトナム全土のヌックマムの品質低下が問題視されており、
国をあげての対策が必要不可欠であることは論を待たない状況にあります。

すこし心配な話になってしまいましたが、
ベトナムの食卓には欠かせないヌックマムは、
どのようにして生み出されるのでしょうか。
次はその製法に焦点をあてて、ヌックマムの秘密に迫ってみましょう。

ヌックマムの製法

Making Fish Sauce ヌックマムになる前の魚たち(ビントゥアン省ハーイロン) © poida.smith

ヌックマムの原料

ヌックマムの作られ方について具体的にご紹介する前に、
まずはその原料を確認しておきましょう。

Cá cơm インドアイノコイワシ属 学名: Stolephorus ヌックマムの原料としては最もポピュラー。骨格が透けて見えるほど皮が薄い。
Cá nục ムロアジ属 学名: Decapterus ヌックマムの原料としては Cá cơm に次いで多い。尾びれの付け根の小さなヒレが特徴。
Cá trích サッパ属 学名: Sardinella あまりポピュラーではないが、ヌックマムの原料として使われることもある。臭みが少なく、フーコック島など南部では生食されることが多い。
Cá lẹp カタクチイワシ属 学名: Engraulis あまりポピュラーではないが、ヌックマムの原料として使われることもある。ベトナムでも日本と同様、よく干し物に利用される。頭の先に寄った目と、大きく開く口が特徴。
上記の魚たちのうち、
Cá cơmCá nục を用いたヌックマムは特に美味であるとされます。
しかし実際はほとんどの魚がヌックマムの原料になりえ、
産地によってとれる魚の種類も異なるので、
ヌックマムの原料を定義づけすると広義の「魚」ということになります。

ちなみに、
原料の魚に淡水魚を用いる地域もあり、
魚の他にエビなど他の魚介類を加えたりする場合もあります。

ヌックマムの製法

VN029_FishSauceFactory フーコック島の大規模生産工場の様子 © Stefan

ヌックマムの製法は生産地や企業によって様々ですが、
伝統的な手法としては下記の2通りが挙げられます。

圧搾製法 Phương pháp gài nén
⇒ 塩を混ぜた魚を容器(主に木製の桶や陶製の甕)に入れて落し蓋をし、
天日にさらして完成まで手を加えずに発酵・熟成させる。

「圧搾製法」では製造工程が単純なため人件費を最小限に抑えることができ、
途中で手を加えないので内容物が腐りにくいというメリットがありますが、
発酵・熟成に時間を要するため生産ロット単位のタイムスパンが長くなります。

攪拌製法 Phương pháp đánh khuấy
⇒ 塩を混ぜた魚を甕(かめ)やコンクリート槽に入れ蓋をし(落し蓋はしない)、仕込から二ヶ月ほどの間は毎日塩と真水を加えてかき混ぜながら天日において魚の内臓に含まれる発酵・熟成させる

「攪拌製法」では攪拌(かくはん)によって発酵を促すため比較的短い期間で製品を完成でき、
真水を投入することによって対原価の製品量的パフォーマンスが期待できますが、
反面、途中で手を加えることによって腐りやすくなり、
加えて多くの人件費や特殊な工程管理ノウハウを必要とします。
また、真水を投入することによってアミノ酸の濃度が低下し、
それを補うため添加物を加えることがあります。

「圧搾製法」は中部・南部の生産地で多く採用されており、
ベトナムにおけるもっとも一般的な製法です。
産地や工場によっては、最初は重しをせず、
仕込みから数日間で染み出た滲出液を別にとりわけ、
そのうちの一部を容器へ戻して落し蓋で重しをしたのち天日に干し、
醤(ひしお:Chượp)の表面が乾くたび、
取り分けておいた滲出液を加えることを繰り返す製法もあります。

「攪拌製法」は北部ハイフォン省カットハーイ島諸部に特徴的な製法で、
品質管理に細かいノウハウを必要とするため広範囲での普及は見られず、
主にこの地域に限定的な製法です。
一般的に途中で手を加えない「圧搾製法」によるヌックマムのほうが、
微生物による発酵過程がよく美味とされますが、
攪拌製法によるものも製造元の技術レベルによっては引けをとりません。

また最近では、原料となる魚の選別の際に、
容器の上部に浮くものと底に沈むものを別々に分けておき、
浮くものには圧搾製法、沈むものには攪拌製法を適用し、
発酵が完了した段階で両者を混ぜ合わせる「混合製法」も見られます。
この手法で製造した場合、
それぞれの工程でより効率よく発酵が行われるため、
より高品質な製品になるとされています。

塩と魚以外の添加物は地方によってさまざまで、
香りや色をよくし、酸に変化することで酵素の働きを促進する
ティン(Thính:煎って粉末にした米やとうもろこし)、
作用の強い酵素を含み発酵を促進するはたらきをもつルオック(Ruốc:小エビの塩辛粗ペースト)、
風味づけのために入れるユア(Dứa:パイナップル)やミア(Mía:サトウキビ)などがあります。
ほかにも、
色をよくするためにカラメル(:液状の焦がし砂糖)をまぜたり、
発酵を促進する効果を期待してミット(Mít:ジャックフルーツ)をまぜる地方もあります。

ヌックマムが美味しくなるポイントは発酵過程にあり、
魚の内臓に含まれる酵素の働きによって、
筋肉などの蛋白質が各種アミノ酸に分解されうま味が濃縮されていきます。

年中温暖な南ベトナムでは4~8ヵ月の発酵で製品がとれるのに対し、
気温の低い時期がある北ベトナムでは、発酵に6~12ヵ月を要します。
また、使用される塩は一般的に原料となる魚の25~30%程度の重量ですが、
天候や魚の種類、地域や製法の違いなどによって、各生産単位で微調整されます。

一番搾りと二番しぼり

ヌックマムには一番しぼり、二番しぼりの区別があり、
仕込みから最初の発酵期間を終えたものからとるものを一番しぼりと呼びます。
一番しぼりはアミノ酸の度数が高く、濃厚かつ芳醇な味わいで高級品として取引されます。
一番しぼりの採り方は、
樽や甕の底に設けた栓にフィルターを施し、濾過しながら液体だけを取り出す方法と、
目の細かい布で覆ったザルや竹製の籠を醤(ひしお:Chượp)に沈み込ませ、
そこに滲出した液体をすくう方法があります。
ヌックマム 一番しぼりの採り方
これに対して二番しぼりは、
一番しぼりを採った後の醤(ひしお:Chượp)の残った容器に
度数の低いヌックマムを加え一定期間寝かせたあとの滲出液を製品とする方法や、
一番しぼりを採った後の醤(ひしお:Chượp)の残った容器を複数セットにして、
最初はそれらのうちのひとつに塩水を加え、
これによって得た滲出液を残りの容器の数だけ繰り返したものを製品とする方法などがあります。
これらの工程をさらに繰り返し、度数の低い三番しぼりを採ることもあります。
ヌックマム 二番番しぼりの採り方

ベトナムの家庭では通常、
火を加えないで生食するつけだれには風味の良い一番しぼりを、
火を加える煮物やスープものには二番しぼりや三番しぼりを使うなど、
用途にとってヌックマムの使い分けが見られます。

まぼろしのヌックマム、「マムニー」

風味や味わいの点で一番しぼりを超えるのは、
一番しぼりをとる前に最初に滴り出たマムニー(Mắm nhĩ/)と呼ばれるヌックマムで、
生産工場において他の低濃度のヌックマムと混ぜたり、
各種製品の製造用として使用されてしまうため、
市場にでまわることはほとんどありません。
私も一度だけ、
ハイフォン省ハーイロン、カットバ島の生産工場を訪問した際に口にしたことがありますが、
その味を一言であらわすと、
「おいしい」というよりは「濃い!」というのが正直な感想でした。
当時は留学したばかりの学生で、
ヌックマム自体に慣れていなかったこともあると思います。
醤油よりヌックマムを好むようになってしまった今の味覚では、
ベトナム人の「おいしい」がもう少し理解できるかもしれません。
機会があれば、ぜひもう一度味わってみたいものです・・・。

さて!
次は、
一番しぼりや二番しぼりの区別にくわえ、
ヌックマムの格付けを決める具体的な構成成分について、
さらにディープに見ていくことにしましょう。

ヌックマムの成分

ヌックマムという食品の特徴、
そして製造法を学んだところで、
次はいよいよその中身に迫ってみましょう。

アミノ酸の宝庫ヌックマム

私たちの生活の中でも、
認知レベルの高まりを見せているアミノ酸。
ヌックマムは、
このアミノ酸を非常に多く含む食品です。
それでは、
アミノ酸とは一体何でしょうか。
アミノ酸を一言で表すと、
「私たちの身体を構成するタンパク質のもと」であると言えます。
(化学の分野ではより広義な、有機化合物の総称です)
現在発見されているアミノ酸は約500種類にのぼりますが、
私たちの身体の約20%は、
そのうちの20種類のアミノ酸によって構成されています。

▼ 私たちの身体をつくるアミノ酸20種 ※()内は略号
アミノ酸 アラニン(Ala) 必須アミノ酸 バリン(Val)
アルギニン(Arg) ロイシン(Leu)
アスパラギン(Asn) イソロシン(Ile)
アスパラギン酸(Asp) リジン(Lys)
グルタミン(Gln) スレオニン(Thr)
グルタミン酸(Glu) メチオニン(Met)
プロリン(Pro) ヒスチジン(His)
システイン(Cys) フェルアラニン(Phe)
チロシン(Tyr) トリプトファン(Trp)
グリシン(Gly)
セリン(Ser)

私たちの身体の60%が水分であることを鑑みると、
アミノ酸が私たち生命にとっていかに大事であるかが分かります。

この20種のアミノ酸のうち9種類は体内で合成することができず、
食事による摂取が必要な必須アミノ酸と呼ばれます。
白米にもアミノ酸は含まれていますが、
必須アミノ酸であるリジンが不足しています。
そして面白いことに、
ヌックマムにはリジンが豊富であり、
白米とヌックマムは理想的な栄養バランスの組み合わせなのです。
(実は白米と醤油や味噌も理想的なのですが…)

白米と魚醤の必須アミノ酸比較 文部科学省 食品成分データベース および 魚醤油の知識(1996)太田静行 を参考に独自算出

また必須アミノ酸のうち、
発酵過程で消滅してしまうためヌックマムにはほぼ含まれない、
トリプトファンやスレオニン、ヒスチジンやセリンは特に大豆製品に多く、
豆腐を非常によく食べるベトナム人の食事は、
大豆食品の多い日本と同様に理想的な栄養バランスであると言えます。
また、
昆布のうま味成分でもあるグルタミン酸は、
ヌックマムの発酵過程において減少が少なく、
全アミノ酸の含有量、グルタミン酸の含有量ともに、
ヌックマムは日本の醤油に引けをとりません。

またの名を「窒素調味料」!?
窒素含有量によるランク分け

アミノ酸の化学的構造式を見ると、
そのすべてに窒素(N)が含まれていることがわかります。
生命にとって不可欠なものは、
アミノ酸であるというよりも、
タンパク質をつくるアミノ酸の構造には欠かせない、
窒素(N)であると言うほうが的を得ているでしょう。

窒素はベトナム語で đạm と言いますが、
紛らわしいことに đạm はタンパク質(Protein)自体を指す語でもあります。
ヌックマムのパッケージには、
30°N や15 độ N (° = độ)、
65° đạm や 70 độ đạm などの表記(単位はg/ml)がありますが、
前者の N のつく度数は全窒素量についてのもので、
後者は タンパクの量を表しています。
両者の間には 1g/ml(N) = 6.25g/ml(Đạm) の等式が成り立つので、
(窒素-タンパク質換算係数が6.25であることから)
たとえば全窒素(Hàm Lượng Đạm/Protein)の度数が10°N のものなら、
10 × 6.25 で 62.5 がタンパク質の度数となります。
一般にこれらの度数が高ければ高いほど濃厚で芳醇な味であるとされ、
製品価の上下も窒素の度数が大きく関係しています。

ベトナムの工業標準化機関である標準品質局(TỔNG CỤC TIÊU CHUẨN ĐO LƯỜNG CHẤT LƯỢNG)の規定(TCVN 5107:2003)によると、

30°N以上のものは特級品、
25°N以上は上級品、
15°N以上は一級品、
10°N以上は二級品として扱われます。

一般的な製法で作られる消費者向けヌックマムの全窒素量はおおよそ 10~35°N の範囲であり、
65° や 70° とある場合はタンパク質の度数を表していると解釈します。
本稿ヌックマムの歴史でご紹介している Ngô Bá Thành 博士の、
ヌックマムに関する論文のサブタイトルには「窒素調味料」との記述があります。
窒素分の度数によって味もランクも決まるヌックマムは、
まさに窒素調味料と呼ぶにふさわしい食品なのです。

醤油の倍以上の「コク」

論文「魚醤の化学分析と<うま味>の文化圏」によると、
ヌックマムにはカルボン酸の一種であるコハク酸(Succinic)が多く含まれ、
その含有量は醤油の約二倍にもなります。
コハク酸は貝類に特に多く含まれるうま味成分であり、
いわゆる「コク」を感じさせる物質でもあります。
ヌックマムを舐めたときに感じる、
舌にずっしり来るあの感覚は、
醤油よりも豊富なコハク酸がもたらすものなのです。

タンパク源としてのヌックマム

ベトナム国内外問わず、
ヌックマムがベトナム人にとって不可欠な食品であると語られる文脈で、
ヌックマムはタンパク源として重要な食品でもあると、
よく目にすることがあります。
「米と魚の関係は、母と子の結びつきに等しい」
( ベトナム語:Cơm với cá như má với con )
これは、
かつて乳製品や肉類は日常的に食さず、
米または米製品を主食としてきたベトナムの食卓において、
魚を原料とするヌックマムをはじめとする海産物が、
いかに重要な品目であったかを示すベトナムのことわざです。

しかし、
ヌックマムが単に「タンパク源として重要である」と言ってしまうのは、
少し安直であると言わざるを得ません。
なぜなら、
毎食必ず食べるといっても、
ヌックマムはあくまで調味料であり、
塩気が強いので大量に摂取することはできません。
一方で、
ヌックマムは少量であっても、
塩気が強いので白米がとても進みます。

つまり、
植物性タンパクを比較的多く含む米を大量にかきこむためにご飯がすすむヌックマムがあり、
毎食の摂取量は微量ながらも、
ヌックマムにも動物性タンパクが含まれているのでちょっとうれしい。
という見方がまっとうであると言えます。

実際、
ベトナムにはコメをそのままご飯として食すほかに、
多種多様な米粉麺が存在し、
畑のお肉といわれる大豆を用いた豆腐も、
頻繁に食卓に上ります。

ヌックマムはこれらの穀物由来のタンパク質を、
大量に、かつおいしく食べるための、
うま味の豊富な万能調味料であるといえるでしょう。

「おかずがないときは、ヌックマムと米だけでいい」と、
多くのベトナム人が口にするこの言葉は、
ヌックマムを食べるために米があるのではなく、
米を食べるためにヌックマムがある、
という気持ちを大いに含んだ表現なのです。

ヌックマムの選び方と利用法

ここでは、
市場やスーパーで実際にヌックマムを手にとった際の選び方のポイント、
および、家に持ち帰って調理に使う際のポイントをご紹介します。

選び方① 色をみる
フーコック産ヌックマムの美しい茶褐色 フーコック産ヌックマムの美しい茶褐色

一般的に、
ヌックマムの瓶を手にとり電気の明かりなどに透かして見て、
濃い茶褐色のものはCá cơm や Cá lẹp 、Cá trích などのイワシを原料に、
金色っぽい薄茶色のものは Cá nục などのムロアジ属の魚を原料にしたもの、
というような見分け方がシンプルで有名な方法です。
前者のもののほうが美味であるとされ、
見比べるだけで色にかなり違いがあります。
しかし、
私の知人でベトナム人のコックさん曰く、
最近では色をよくするために着色料やカラメルを添加した製品もあり、
上記の方法に頼るだけでは不十分だそうです。
事前に知人に聞くなどして、
有名で安心なメーカーを調べておくとよいでしょう。

選び方② ラベルをみる
三カ国語で記載された「インドアイノコイワシ属等、塩」の表示 三カ国語で記載された「インドアイノコイワシ属等、塩」の表示
もっとも安心で簡単なのは、
成分表示を表す箇所( Thành phần とあるはずです。)に、
Cá cơm などの ではじまる魚を表す語と、
塩を表す Muối の表記のみのものを選ぶ方法です。
35°N 以上の全窒素量は「高級ヌックマム」の証 30°N 以上の全窒素量は「高級ヌックマム」の証

ほかに、ヌックマムの成分でご紹介した窒素濃度で選ぶ方法もあります。
つけだれなどの生食用なら一番しぼり、30°N以上の風味のよいものを、
加熱用なら二番、三番しぼり、25°N や 15°Nなどのものでよいでしょう。
一般的に、
前者の高濃度のヌックマムのほうが高価です。

選び方③ 味をみる

もし味見をさせてもらえるのなら、喜んでさせてもらいましょう。
いろいろな種類のヌックマムを味わうことで、
ヌックマムの味がどのようなものであるか分かりますし、
シンプルに、より美味しいものを選ぶことができます。
きちんと発酵・熟成されたヌックマムは、
アミノ酸の濃いうま味が濃縮されています。
酸っぱく感じるものは発酵が不十分であったり変質してしまっている可能性があり、
塩気が強すぎるものも一級品のヌックマムとは言えないので避けるべきです。

つぎに、
ヌックマムの味の特徴の観点から、
とくに醤油をヌックマムに置き換えて使う場合のポイントをご紹介します。

調理のポイント① 塩加減

醤油の塩分濃度が約16~19%であるのに対し、
ヌックマムのそれは25%前後とかなり高めです。
ヌックマムは火を通すと匂いがほとんど抑えられるので、
醤油の代わりに用いても全く違和感はありません。
ただ、塩分濃度の違いを考慮して、
レシピにある醤油の量よりも少な目に使うとよいでしょう。
余談ですが、
海水とヌックマムを舐め比べると、
塩辛さにそれほど違いがないことに気づきます。
数値としては、海水は約3.5%の塩分濃度ですから、
ヌックマムより遥かに塩辛くないはずです。
これは、ヌックマムに含まれるペプチドやグルタミン酸をはじめとする多くの成分が、
塩辛さを感じさせなくしているためと言われます。
ヌックマムは調味料ですから、
味の角をとってまるくする作用があるのですね。

調理のポイント② すっぱさと甘さ

原料となる魚に含まれる酵素のみで発酵させるヌックマムと、
原料に大豆を用い、発酵にコウジ菌を用いる醤油では、
風味の特徴にも違いがあります。
具体的には、
醤油が塩分とアミノ酸由来のうま味に加え、
若干の酸味と糖分を持っていて複雑な味わいであるのに対し、
ヌックマムは純粋に塩分とうま味だけのストレートな味です。
ベトナムの特に南部の料理の砂糖の多さや、
日本の煮物に砂糖を入れなくても甘みを感じるのは、
このあたりの違いが関係しているのかもしれません。
醤油のかわりにヌックマムを用い、
なおかつ甘い仕上がりにしたい場合、
砂糖を思いきって多めに入れるとうまく仕上がります。

調理のポイント③ つけだれを作ってみよう

いとうまし、和越折衷!
刺身醤油をいざ作らん!
と言って、醤油とヌックマムを混ぜても、
なんだかヘンテコな味になってしまいます。
加熱せず生食するということは、
素材本来の味のままを味わうということであり、
大豆の風味と魚の匂いがケンカして、
おいしいと言えばおいしいけれど…という結末になるでしょう。
そんな時は、
お客様であるヌックマムに大いに活躍してもらって、
和の心を少しだけ添えることにしましょう。
編集部で試した中でも一番のおすすめは、
ヌックマムと水を3:1で割ったものに、
細かくすりつぶした乾燥桜エビを加えたつけだれです。
桜エビは世界でも駿河湾でしか取れない、まさに和の心。
ヌックマムは、もともとは海を泳ぐ魚たち。
海のもの同士ですから、合わない理由がありません。
香ばしいエビの風味と香りがヌックマムに溶け、
から揚げや餃子やエビフライなど、
日本のおかずにとっても合うつけだれがカンタンに出来上がります。

ヌックマムの味に慣れてきて、
ちょっと味が薄いなと思ったらヌックマムをそのまま振りかけてみましょう。
日本の料理でも炒め物や揚げ物など、
火を通したメニューにはとてもよく合い、
ご飯が止まらない味になるでしょう。

大切なのはやはり、慣れること!?
いいえ、「匂い」を「香り」と感じるようになることです。

ヌックマムの未来

ベトナムでも、
「アジノーモトーゥ」と言って通じる程、
1909年、グルタミン酸ナトリウムが世界で初めて我が国で生産されるようになってから、
(Monosodium Glutamate:グルタミン酸ソーダ とも 越語:Mì Chính)
グルタミン酸ナトリウムをはじめとする「うま味調味料」は、
またたく間に世界へ、特に、東・東南アジアへ広がりました。
味の素株式会社による開発当初の呼び名「味精」は現在でも中国で用いられる商品名であり、
ベトナムではこれをベトナム語読みした Mì Chính をして、
うま味調味料の総称の意味を持ちます。
当初は「化学調味料」と呼ばれ、
大量摂取が原因と推定される健康被害がいくつか発生し、
一時はWHOとFAOが一日の許容摂取量を定めました。
ところがその後の調査によって、
人の経口摂取による毒性は否定され、許容摂取量は取り下げられました。
しかしながら、
完全に安全であるとの検証結果には未だ至っておらず、
アメリカ合衆国では乳幼児用食品への使用を禁じています。
その製法の変遷をたどると、
グルテンを加水分解してグルタミン酸ナトリウムを得る方法から、
コストカットのため石油由来成分による合成などの手法を経て、
協和発酵工業(現・協和発酵キリン)によってグルタミン酸生産菌が発見されると、
グルタミン酸生産菌にサトウキビなどの搾りかすを加えて菌の活動のエネルギー源とし、
発酵させることによってグルタミン酸を得る現在も主流の製造法となりました。

これらのうま味調味料に、
害があるとも、害がないとも、
双方ともに断言することは困難ですが、
事実、現在の日本で、
とりわけ外食産業では大部分でうま味調味料が使用されていると推定でき、
それはベトナムでも同様であり、
いや、日本以上に多く消費されている可能性も否定できません。

うま味調味料に頼るあまり、
フォーのスープの味が画一化されていると懸念する声も聞かれますが、
その使用の賛否はさておき、ひとつ確実に言えることは、
日本とベトナムの両国ともに、
自然由来のグルタミン酸をはじめとするアミノ酸を主成分とした、
うま味の豊富な発酵調味料である醤油や魚醤を伝統的に維持してきた国であり、
それらを用いて料理にうま味を加える調理法が普及しているという点では、
両国は同じ食文化圏に属していると言えるでしょう。

しょっつる・いしる・ヌックマム 秋田のしょっつる・石川のいしる・フーコックのヌックマム

魚醤が生まれたのは約5000年前のヨーロッパとされ、
お隣の中国においても穀物を原料とする醤油が登場する前から、
肉や魚に塩とコウジ、酒を混ぜて発酵させる食品、
つまり肉醤や魚醤が存在していたことが明らかになっており、
それらは日本や韓国をはじめ周辺の国々へ伝わったとされています。
穀物を原料とする醤油や味噌類などの、いわゆる穀醤は、
紀元後1世紀ころの漢王朝の時代に、
肉醤や魚醤の製造方法を穀物に応用して誕生したとされており、
これらが周辺諸国にひろがり、
肉醤や魚醤にとってかわったと言われています。

現代の中国では魚醤の生産はわずかに見られる程度で、
肉醤や、特に魚介を原料とする塩辛はほとんど姿を消し、
酒の肴といった嗜好食品へと地位を後退させ、
日常の食卓からは姿を消しました。
日本でもそれは同様で、
原料の大規模かつ安価で安定した調達が可能な穀醤が表舞台に立ち、
魚醤のうち塩辛は完全に酒の肴というだけの位置づけであるし、
魚醤油に至っては、
秋田のしょっつるや石川のいしるなど、
ごく限られた地方にしか見られなくなっています。
(韓国は例外で、塩辛を日常的なおかずとして消費します)

それでは、ベトナムのヌックマムも、
近い将来姿を消す運命にあるのでしょうか。
確かなことは、
そのときにならないと誰にも分からないものです。
しかし、
いくつかの根拠をもって、
かなりの高確率で、
問いの答えは「否」、ということができるでしょう。
ひとつは、
肉醤や魚醤が醤油をはじめとする穀醤にとってかわられた中国と陸続きの国境を持ちながら、
ベトナムに穀醤製造の伝統が根付かなかったこと、
ひとつは、
マムチュアやマムトムなどの塩辛を、
酒の肴として食す文化がベトナムには皆無であること、
(それらは専らごはんのお供、または調味料である)
そして決定的なのは、
塩辛であるマムチュアやマムトムや、
とりわけ魚醤油であるヌックマムが、
白いご飯の「おかず」ではなく、
料理の場面における「万能調味料」としての性格が非常に強いことです。
日本の香川県において、
醤油の入手が制限されていた第二次大戦期から、
戦後の食糧難時代が終わる昭和30年代頃まで、
醤油の代替品として、
地元の瀬戸内海で水揚げされるイカナゴを原料とした、
「イカナゴ醤油」が製造されていましたが、
醤油が再び表舞台に返り咲いてからは生産が途絶えました。
(現在も非常にわずかながら製造されている)
しかし、
もとより穀醤である醤油に依存する食文化ではないベトナムでは、
醤油の代替としての魚醤という論理は成立せず、
昔からどの家庭にもある、
あらゆる料理に用いられる万能調味料として、
今日までずっと当たり前に使われて、そして明日からも同様に、
ヌックマムは生き続けるでしょう。
そのことはなによりも、
ヌックマムを語るときのベトナム人の、
あの熱くうれしそうなまなざしが保証していると、
そう言えるのではないでしょうか。

かつての「今」を輝き、
現在の「今」もなお光を失わない黄金色は、
未来の「今」でもきっと、
おいしい輝きと匂いを放っていると、かたく予測できるのです。
そいて、
いちベトナムファンとして、
そう願わずにはいられません。

(おわり)

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