テト休みの一週間、テトを食べ尽くす一週間 ~初もうで編~

ふむにちわ!
ふむベト編集長のゾースケです。

禁止されたはずの爆竹が鳴った大みそかが明け、
初もうでに行きましょう!

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旧正月テトの元日の朝。
「金星紅旗」と呼ばれるベトナム国旗がまぶしい。
もうご存じの方も多いのかもしれませんが、
テト休み期間中はほとんどの店が閉店します。

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路地にはまだ、爆竹のあとが残っています。
よくいえば、大みそかの名残。
そうでなければ、大みそかのゴミ。

いざ、初もうで!

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居候先から徒歩五分、お寺へつづく道の上。
物売りのおばあさんから、お線香を買います。

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空はあいにくの小雨模様でしたが、
お寺の前にはすでに人だかり。
バイクもたくさんとまっています。

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さあ、お寺の門前まで来ました!
いざ、参らん!

お寺は「チュア」と言います

初もうでの前に、ベトナムのお寺についてすこし。
ベトナム語でお寺は「チュア」Chùa と言い、
日本と同様、中国から伝わった大乗仏教のお寺です。

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境内より、門を見上げます。
同じ大乗仏教といっても、
門だけでも日本のお寺とはかなり様子が異なります。

ちなみにこの門は「三関門」Cổng tam quan と呼ばれます。
「三関」はもともと「三観」からくる呼び方で、
「有観」hữu quan、「空観」không quan、「中観」trung quan の、
三つの仏教思想を意味しています。
また、「仏・法・僧」の三つの宝物「三宝」Tam bảo を表すとも、
禅宗の三解脱、「空解脱・無相解脱・無願解脱」を表すとも言われます。
※「有観」は日本では一般的に「仮観」と呼ばれます。

あれ、禅宗!?
それに、門の意味合いがそんなにブレブレなの!?

と、思った方。

そうなんです!
ベトナムの仏教は、ブレブレ、いいえ!
「柔軟」なのです。

日本と同じ大乗仏教といっても、
ベトナムの仏教はひとくちでは言い表せられません。

政治における仏教の利用が中国で本格化した4~5世紀ごろ、
ベトナムにも政治とセットになった仏教が伝わります。

インド方面からベトナム南部に伝わったのが上座部仏教であった一方、
中国から伝わったのは大乗仏教であり、禅宗の色が濃かったようです。

10世紀に呉権がバクダン川で中国軍を破ってからは、
仏教は国教として用いられるようになります。

11世紀の統一王朝である李朝、続く陳朝が、
中央集権体制を整える中で国教として利用したのも仏教でした。

しかし、15世紀からの黎朝では儒教が仏教にとってかわり、
仏教は民間村落での信仰が主流となっていきました。

こうした流れの中で、ベトナムの仏教は儒教や道教、
民間信仰との融合を見て独特のものになりました。

その結果、ベトナムのお寺はとても「柔軟」になったのです。
仏像だけでなく、道教の神様をも祀り、
さらには武将や土地神までも信仰の対象とし、
その「柔軟さ」は仏教を宗教ではなく、
民間信仰と呼ぶべき開けたものへと昇華させています。

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これはベトナム人なら誰もが持つ身分証明カードの裏面です。
最上部に、民族(Dân tộc)はキン(Kinh)族、
宗教(Tôn giáo)はなし(Không)とあります。
キン族はベトナム人口の八割を超える最多派であり、
身分証明カードに宗教がないと記す人々も八割です。

しかし、宗教がないと記す彼らでも、実際はお寺にお参りします。
宗教はないが、信仰はある、信仰の中に仏教がある。
ベトナムの仏教は、身分証明カードの宗教欄に「仏教」と記す人よりも
はるかに多くの信仰者を抱いているのです。

長くなりましたが、
ベトナムの仏教はひとつの宗教として見るよりも、
歴史がつむいできた人々の信仰の中に自然な形で存在している、
と見るのが妥当であると言えるでしょう。 ※南部や中部では純粋な仏教寺院も多くあります。

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さて、いよいよ初もうで!
こちらはお寺の門をくぐったところ。
本殿がどーんと目に飛び込んできます。

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本堂の前、中央には、
右手で天を指し、左手で地を指す誕生仏が。
生まれてすぐに「天上天下唯我為尊」を唱えたという釈迦の姿。
本当は釈迦の言葉ではないという話も聞きますが、
そこは伝説、神話の世界。
信じる人がうれしければ、どっちだってよいのです。

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「天上天下唯我為尊」の意味は、
「何もいらない、生まれたまんまで、尊いひとり」。
ぼくも人のことは言えませんが、そんな意味を知ってか知らずか、
人々がかわるがわる線香をあげ、誕生仏にお祈りをします。

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本堂を入ったところ、千手観音のような仏様。
これはもともと、ヒンドゥー教の神様です。
なんで仏寺にヒンドゥー教!?
なんて言うのが野暮なこと、みなさんはもう知っていますね。
ここはベトナムの仏寺、「柔軟」なのです!

奥には阿弥陀三尊(たぶん)、三世仏(たぶん)が見てとれます。

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本堂のさらに奥、いっぱいいますね。
こっちが三世仏なのかも。

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中庭を挟んで・・・。

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奥のお堂にはこのお寺を開いたご住職が、
プロマイドのような写真とともに祀られています。
住職までも!?
ええ、「柔軟」なのですから。

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その右手にはまたも誕生仏。
ふたり目の彼、誕生仏。

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賽銭箱ならぬ、功徳箱。
CÔNG ĐỨC は「功徳」の意です。
賽銭箱と同じく、お金を入れます。

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本堂入ったところに戻ります。
こちらは三蔵法師!
えー!?

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こちら元軍を破った英雄、チャン・フン・ダオ!
ええー!?

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・・・誰!?

たぶん、古代インドの大乗仏教の僧、護法さんです。
彼は、彼ではなく彼らです。
本堂内部の右と左にひとりずつ、ふたりいます。
えええー!?

「柔軟」なベトナムの仏教、そしてお寺。
もうおなかいっぱいですね。

おとなりにはディンがあります

初もうでに来たのに、
ベトナムのお寺の自由さにおなかいっぱい!
さあ、もう帰ってごちそうを食べて、
本当のおなかいっぱいになろう!

というわけにはいきません。

お寺のとなりにはディン(亭)があり、
こっちにもついでにお参りします。

ディンとは村の集会所であり、
年中行事の開催場所でもあり、
村の守り神を祀る場所でもあります。

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ほとんどの場合ディンの入り口には、
写真のような四本柱による門が立っています。
こちらも通り道が三つあり、
前述の「三関門」の一種であると言われます。

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ディンに入ると本殿がお出迎え。

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こちらは平常時の本殿。
比べると、テトの特別さがよく分かりますね。

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本堂に入ると万物の神様の神棚があります。

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ここでは紹介しきれませんが、
ディンには他にもいろいろな土地神様が祀られています。

デンにも行きます!

ディンが終わったら、デンにも行きます!
と、幸い(?)この地区にはデンはありませんので、
ディンにお参りして無事初もうでを終えました。

デンとは日本でいうところの神社で、
一般的な神様が祀られています。

デンがあったら、デンにも行きます。
チュア、ディン、デン。
ベトナム版初もうでの、三つの大切な場所です。

気持ちを新たに、一年がはじまります

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初もうでを終えて父方の家で新年会がはじまります。
元日は、父方の祖父の家で。
これがお決まりの過ごし方であり、
次の日以降も親戚まわりが続きます。

ベトナム版初もうで、
ぼくはぼくの、願いをこめてお祈りしました。
一緒に初もうでにいった、
居候先のお母さんも、長女も、次女も、幼い三女も、
それぞれ手を合わせ、目をつむり、
新しい年のしあわせを願っているようでした。

日本ではもうだいぶ前の話になりますが、
ベトナムでも、新しい一年がはじまっています!

(おわり)

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