ふむにちわ、ひろしです。
今回は、
ベトナムの数多ある調味料のなかでも代表格の、
今では日本でも容易に手に入るようになったヌックマムについて、
とってもディープに掘り下げてみましょう!
ヌックマムがベトナムの魚醤であることは、
今や多くの日本人が知るところとなっているのかもしれません。
タイのナンプラーも魚醤ですが、同じ魚醤の仲間だからといって、まったく同じ調味料というわけではありません。
魚醤と言えば、匂いがきつくてどうも苦手だよ……という方もいるでしょう。
一方で、ベトナムでは「よいヌックマムほど、香りがいい」といった言い方を耳にすることがあります。
もちろん、ヌックマムに慣れていない人にとって、その香りが強く感じられることはあります。
ところが慣れというものは不思議なもので、食べ続けているうちに、いつの間にか「匂い」が「香り」に変わり、何かにつけてヌックマムの味が恋しくなるものです。
(………ホントです!)
ヌックマムをベトナム語で書くと、nước mắm です。
日本では「ヌクマム」「ヌォックマム」「ニョクマム」「ヌクナム」など、さまざまなカタカナ表記があります。そもそもベトナム語の音を日本語のカタカナだけで完全に表すことには無理があります。
本稿では、実際の発音との距離、日本語としての視認性、一般的な表記とのバランスから、「ヌックマム」に統一して呼び表すこととします。
さあ、前置きはこのくらいにして、
魚と塩から生まれる「黄金のしずく」が、どんな食品で、どう作られ、どう選ばれ、どう使われてきたのか。
ヌックマムの世界を、ひとつずつ見ていきましょう。

ヌックマムとは?
ひとことで言うならば、「ベトナムの国民食と呼びたくなるほど、日々の食卓に深く入り込んだ存在」と言えるでしょう。
もちろん、ヌックマムは料理そのものではなく魚醤に分類される調味料です。
それでもあえて「国民食」と呼びたくなるのは、それほどベトナム人の日々の食卓と深く結びついているからです。
肉もない、魚もない。それでも白いご飯とヌックマムがあればなんとかなる — 。そんな話を、ベトナム人から耳にすることがあります。
おかずが少ないときでも、空芯菜を茹で、その茹で汁を汁物にし、空芯菜にはヌックマムをつけ、白いご飯と一緒に食べる。お粥(cháo)の塩気を整えるときにも、塩ではなくヌックマムを足すことがあります。
家庭の食卓で繰り返し口にし、幼いころからその味と香りに親しんでいく。そんな意味では、ヌックマムはベトナムという大きな母の「おふくろの味」とも言える存在なのです。
そもそも「魚醤」って?
魚介類に塩を加え、腐敗を抑えながら発酵・熟成させ、
魚介類由来のたんぱく質をペプチドやアミノ酸などへ分解して作る液体調味料。
魚と塩を使って発酵・熟成させるという方法は、日本人にもなじみのある「塩辛」と通じる部分があります。ただ、もちろん塩辛と魚醤は違うものですし、ヌックマムにも独自の特徴があります。
言葉として見ると、Nước mắm はどういう意味?
冒頭に書いたとおり、ヌックマムは nước mắm と書きます。
Nước は「水」を基本的な意味とし、文脈によっては液体を表す、ごく基本的なベトナム語です。
では、後半の mắm は何を指しているのでしょうか。
Mắm は何を指す?
Nước が液体だとすると、後ろの mắm(マム) が、「塩辛」っぽいものかな?と感じるかもしれません。しかし、mắm は「塩辛」とくくってしまうより、魚やエビなどを塩とともに発酵・熟成させて作る、一群の食品・調味料と理解した方が、その広がりが見えやすくなります。
ベトナムには、mắm tôm(エビの発酵ペースト)、mắm ruốc(小型のエビ類を使う発酵ペースト)、mắm cá(魚を発酵させた mắm)、mắm nêm(魚を発酵させた濃厚な調味料)、mắm chua(酸味をもたせた発酵魚介の mắm)など、さまざまな mắm があります。
固形に近いもの、ペースト状のもの、液状に近いものまで、姿も食べ方もさまざまです。

ここまで分かると、nước mắm という言葉の組み立ても見えてきます。
nước + mắm = nước mắm
水・液体 + mắm = 魚醤
つまり、言葉の構成だけ見れば「mắm の液体」と捉えることができます。
そう考えると「魚醤液」と呼ぶ方が正しいような気もしますが、日本語ではこうした液体調味料のカテゴリーを一般に『魚醤』と呼びます。
ヌックマム作りの chượp とは?
Chượp(チュオップ) は、ヌックマムを作るために魚介類と塩を仕込み、発酵・熟成させている原料・仕込みを指します。

この chượp が、樽や甕、槽などの中で長い時間をかけて変化し、やがて黄金色のヌックマムへつながっていきます。
ヌックマムとナンプラーは同じ?
ナンプラー(nam pla)は、タイの魚醤です。製造方法もヌックマムとそっくりで、魚と塩を主原料として発酵させます。味は製品にもよりますが、一般的にはヌックマムの方が平均的な熟成期間が短いため、魚の香りや風味がより強く、塩気が少なめと言われることがあります。
Nước mắm と nước chấm は同じではない
もうひとつ、混同しやすいのが nước chấm(ヌックチャム) です。
chấm には、食べ物を調味料などへ「つける」という意味があります。つまり、「液体」+「つける」で、ベトナム語は後ろから修飾するので、 nước chấm は、広く言えば料理をつけて食べるための「つけだれ」のことです。

ヌックマムとヌックチャム
ヌックマム(nước mắm)
魚と塩を発酵・熟成させて作る「魚醤」という食品。
ヌックチャム(nước chấm)
料理をつけて食べるための「つけだれ」全般を指す。ヌックマムを使わないヌックチャムものもある。
ヌックチャムにもいろいろありますが、上の写真のようにヌックマムに水、砂糖、ライムや酢、にんにく、唐辛子などを加えたものは、ベトナム料理で非常によく使われ、家庭でも毎食のように出てくるような汎用つけだれといえます。
さて、ヌックマムの輪郭がぼんやり見えたところで、以降は作られ方から歴史まで、少し詳しく見ていきましょう。
ヌックマムは何から、どうやって作られる?
基本となる原料は、驚くほどシンプルです。
魚と塩。
ただし、材料が少ないからこそ、どんな魚を使うのか、どんな塩を使うのか、どう仕込み、どう熟成させるのかが、できあがるヌックマムの個性を左右します。
魚
+
塩
Chượp
魚と塩を合わせた仕込み
発酵・熟成
魚のたんぱく質が少しずつ分解される
ヌックマム
うま味を含んだ黄金色の魚醤へ
原料の魚は Cá cơm が代表選手!では、他の魚は?
ベトナム語で魚は cá(カー) と言います。ヌックマムの原料魚として、まず名前が挙がるのが Cá cơm(カー・コム) です。
Cá cơm は、カタクチイワシ科を中心とする小型魚の呼び名で、一種類の魚だけを指す名前ではありません。

コラム:「 Cá cơm = ご飯の魚 」?
ベトナム語で cá は「魚」、cơm は「炊いたご飯」や「食事」。言葉だけを見ると、Cá cơm は「ご飯の魚」のようにも読めます。
では、なぜこの小さな魚に「ご飯」の名がついたのでしょうか。
語源として確定的なものはありません。その一方で、沿岸地域にはいくつかの面白い説や言い伝えが残っています。
1. 小さな姿が「ご飯粒」に似ているから?
Khánh Hòa の地方紙では、Cá cơm は非常に小さく、身がやわらかく白っぽいことから、炊いたご飯の粒に見立てて「cơm」と呼ばれたのではないか、という説が紹介されています。
たしかに、大量の Cá cơm が網に入った姿を見ると、小さな銀白色の魚がびっしりと重なる様子からは、どこか「粒」のような印象を受けます。
2. 毎日の「ご飯」のように身近な魚だったから?
もうひとつは、沿岸の暮らしにあまりにも身近で、日々の食卓に繰り返し登場する魚だったことから、毎日のご飯になぞらえて Cá cơm と呼ばれるようになったのではないか、という説です。
そのまま食べるだけでなく、干物になり、そして何よりヌックマムの重要な原料になる。小さな魚ですが、海辺の食生活との結びつきはかなり大きなものでした。
3. Nguyễn Ánh の軍を救った「ご飯」だった?
さらに、後に阮朝初代皇帝 Gia Long となる Nguyễn Ánh(阮福映)に結びつけた、いかにも伝説らしい話もあります。
Tây Sơn(西山朝)軍に追われ、食糧も尽きかけた Nguyễn Ánh の一行の前に、小さな魚の大群が現れた。兵たちはその魚を捕って食べ、飢えをしのぐことができたため、「ご飯の代わりになって命をつないだ魚」= Cá cơm と呼ばれるようになった — というものです。
この伝承には、漁民が魚を差し出したとする型などいくつかのバリエーションがあります。Nguyễn Ánh がこの魚を命名したと確認できる歴史史料があるわけではなく、 あくまで民間に残る物語です。
もしかしたらどれかの説が事実なのかもしれません。いずれにせよ、見た目の「ご飯粒」、毎日の「ご飯」、飢えを救った「ご飯」と、どの話でも Cá cơm が「cơm」と結びつけて語られているところは面白いところです。ヌックマムの代表的な原料魚が、名前の上でもベトナム人の主食と結びついているわけです。
参考: Báo Khánh Hòa「Tản mạn về con cá cơm」/ Cục Du lịch Quốc gia Việt Nam 掲載記事「Lao xao mùa giũ cá cơm sông trên sông Tiền, sông Hậu」
そして、ベトナムのヌックマムがすべて Cá cơm から作られているわけでもありません。北部の産地 Cát Hải では cá nhâm(ニシン科の魚として記録される原料魚名) や cá nục(アジ科の複数魚種に使われる呼び名) など複数の魚介が使われ、イカを原料とする製品もあります。南部の産地 Phan Thiết の歴史資料にも、多様な魚の名前が残っています。
小型魚がよく使われる背景には、丸ごと仕込みやすく魚自身の酵素を利用しやすいこと、沿岸でまとまって漁獲され、塩蔵・発酵という保存加工と相性がよかったことなど、複数の理由があります。
塩 — 味付けよりも重要な役目とは?
ヌックマム作りにおける塩は、単に「しょっぱい味をつけるため」の材料ではありません。
高い塩分濃度によって多くの腐敗微生物が活動しにくい環境を作り、魚を長期間熟成できる状態に保つという重要な役割があります。
ただし、塩が多ければ多いほどよいわけでもありません。塩分は酵素や微生物の働きにも影響するため、魚と塩の割合や塩の扱いは産地・製法によって異なります。

魚と塩を仕込む — chượp の熟成
魚と塩を混ぜ合わせ、木樽、陶製の甕、槽などへ仕込むと、長い発酵・熟成が始まります。
熟成中の扱いも全国一律ではありません。代表的には、魚を押さえて固定する gài nén と、攪拌を伴う đánh quậy があり、地域や製造者によって両者を組み合わせる方法もあります。


魚のたんぱく質が、うま味の成分へ変わる
樽や甕の中で大きく進む変化のひとつが、たんぱく質の分解です。
魚のたんぱく質
↓
ペプチド
↓
アミノ酸など
魚自身が持つ酵素は、魚体のたんぱく質を小さな分子へ分解していく重要な働き手です。また、高塩分の環境でも活動できる耐塩性・好塩性の微生物も、熟成中の変化や香味形成に関わります。
高塩分の中で、腐敗を抑えながら分解・熟成をゆっくり進めるため、伝統的なヌックマムでは十数ヶ月、ときには一年以上の時間をかけるのです。
参考:Giyatmi & Irianto (2017) “Enzymes in Fermented Fish”/Han et al. (2022) 魚醤発酵の微生物代謝に関するレビュー
十分に熟した chượp から、液体を取り出す
十分に熟成した chượp は、chượp chín と呼ばれます。chín は「熟す」「火が通る」といった意味を持つベトナム語です。
「これだけ経ったから完成」と時間だけで決めるのではなく、色、香り、味、液体や固形分の状態などを見ながら熟成を判断します。
そして、chượp が十分に熟すと、いよいよ液体を取り出す工程へ進みます。

ここまでが、魚と塩を仕込んで chượp を十分に熟成させるまでの流れです。では、その中から液体のヌックマムをどう取り出すのかを見てみましょう。
「一番搾り」は何が違う?
「熟した chượp から最初に得られる濃厚な液」と言うと、日本語ではつい「一番搾り」と呼びたくなります。
しかし、ベトナムの伝統的なヌックマム造りを詳しく見ると、それほど単純な話ではありません。
Mắm nhỉ/nhĩ とは? – Nước cốt との違いは?
Chượp から液体部分を取り出す工程に着目すると、mắm nhỉ(マムニー)や nước cốt(ヌックコット)のような何だかアヤシイ言葉に出会います。
これらは、ヌックマムの用語の中でも特に混乱しやすいところです。
まず、mắm nhỉ は nước mắm nhỉ を短く呼んだ言い方です。この文脈での nhỉ/nhĩ は大変古くからある表現で、「一番」や「最高級」ではなく、液が少しずつ滲み出る・滴り出ることです。
19世紀末のベトナム語辞典 『Đại Nam quấc âm tự vị(大南国音字彙)』 は、nhỉ を「少しずつ流れ出る、じわじわと滲み出る」という意味で説明し、さらに một nhỉ を「一滴」、用例として nước mắm nhỉ そのものを載せています。
では、mắm nhỉ とは何?
熟した chượp から、ヌックマムの液が少量ずつ自然に滲み出る・滴り出るような形で得られるヌックマムを指す、伝統的な呼び名。
つまり nhỉ が表している中心は、液の「順位」ではなく「出方」である。
一方、cốt は別の軸の言葉です。cốt は、もともと「骨」を意味し、そこから「芯・中心となるもの」といった意味でも使われます。食品では nước cốt という形で、素材から得られる濃い液やエキスを指すことがあります。
そしてベトナム国家標準 TCVN 8336:2010 は、nước cốt を「chượp chín から最初に取り出すヌックマム」と明確に定義しています。
つまり、nước cốt は「熟した chượp から何番目に取り出したか」という抽出順の用語。それに対して mắm nhỉ は「液がどのように滲み・滴って出てくるか」に由来する伝統的呼称です。
実際の製造現場では、この二つが同じ液を指すことが少なくありません。たとえば Phan Thiết の伝統製法を紹介する資料には、最初に chượp の入った大樽から抜く液である nước nhất ( nhất は「一番の・初めの」の意)を nước mắm nhỉ と呼ぶ例があります。Phú Quốc の製法紹介でも、熟成後に底部から得られる最初の液を nước mắm nhĩ と呼ぶ例があります。
ただし、ここで「mắm nhỉ/nhĩ = 全国共通で必ず最初の抽出液」と固定してはいけません。地域・製造者によって呼び方は異なり、mắm nhỉ/nhĩ という区分自体を使わない産地もあります。
さらに重要なのは、TCVN 8336:2010 は nước cốt を定義している一方、mắm nhỉ/nhĩ を国家標準上の用語として定義していないことです。ですから、商品ラベルの「nhỉ」「nhĩ」だけを見て、全国共通の品質等級や製造工程を知ることはできません。
ちなみに、nhỉ/nhĩ の表記については、19世紀の辞典で「滲み出る・滴る」の語として確認できるのは nhỉ です。一方、現在の商品名や行政・業界資料では nhĩ も広く使われています。本稿では、歴史的な語義を説明するときは nhỉ を基本とし、現代の商品・資料に現れる表記として nhỉ/nhĩ を併記しています。

出典・参考: Huình Tịnh Paulus Của『Đại Nam quấc âm tự vị』Nhỉ 項/ TCVN 8336:2010「Chượp chín」/ Hiệp hội Nước mắm truyền thống Việt Nam「Lâm Đồng」
伝統製法は、一回搾って終わりではない
熟成前に nước bổi(ヌック・ボーイ) と呼ばれる初期の液を取り出し利用する製法もあります。製造用語としては、まず「魚と塩を仕込んだ初期に魚から出てくる、まだ熟成前の液」と理解するとよいでしょう。bổi という名称自体の由来には諸説があり、一つに確定できないのが歯痒いところです。
このことからも、「最初に樽から出た液 = nước cốt や mắm nhỉ」と理解するのは正しくありません。

Phú Quốc などでは、液を下部から抜き、再び chượp へ戻して通す kéo rút(ケオ・ズット) を繰り返します。kéo は「引く」、rút は「引き抜く・抜き取る」といった意味を持ち、魚醤製造では液を抜いて戻し、再び通す循環抽出を指します。
cốt を取ったあとにも、Phú Quốc では nước mắm long と呼ばれる後続抽出液を得ます。これは cốt に塩水を直接混ぜて薄めたものではなく、cốt 後の chượp に飽和食塩水や、より濃度の低いヌックマムを通して、残っている成分をさらに抽出した液です。long という名称そのものの語源はいくつか説がありますが、確度の高い定説は確認できません。
そして性質の異なる cốt や long などを組み合わせ、狙った品質へ仕上げる工程を pha đấu(ファー・ダウ) と呼びます。pha は「混ぜる・調合する」、đấu にも複数のものを混ぜ合わせる用法があり、ここでは「配合・ブレンド」と考えると分かりやすいでしょう。


結論:「一番搾り」はヌックマムには当てはまらない
「最初に一回だけ搾り、その一回目の液をそのまま完成品にする」という意味での一番搾りは、ベトナムの伝統的なヌックマム造りにおいてドンピシャで当てはまる産物や概念がないと言ってよいでしょう。強いていえば、熟した chượp から最初に出てきた液だけをボトリングしたもの、しかし市場には出回らず、生産者の近い場所で消費されてしまうか、市場に出たとしても大変高価になるでしょう。
参考:TCVN 8336:2010「Chượp chín」/Huình Tịnh Paulus Của『Đại Nam quấc âm tự vị』Nhỉ 項/QCĐP 01:2023/KG
次は、こうして得られたヌックマムの違いを、味や数値指標について深掘りしてみましょう。
Nước mắm cốt・nhỉ/nhĩ と抽出工程についてもっと詳しく:
ヌックマムは、どんな味?
ここまで製法を追ってきました。次は、出来上がったヌックマムを実際に口にしたときの話です。
ひと口なめれば、まずしっかりした塩味を感じます。ところが、塩水をなめたときのように塩気だけが一直線に来るわけではありません。魚のたんぱく質が長い熟成の中で分解されて生まれた強いうま味と、発酵・熟成由来の香り、口の中に残る余韻が一緒に押し寄せてきます。
舌にずしんと来る「うま味」
ヌックマムの味は、感覚だけの話ではありません。2002年に Fisheries Science へ掲載されたベトナム魚醤の研究では、分析した成分を組み合わせて元の魚醤の味を再現し、そこから味に強く寄与する11成分を絞り込んでいます。
その中で、特徴的な味を再現するうえで最も大きく寄与したのがグルタミン酸、次いでピログルタミン酸、アラニンでした。ほかにもアスパラギン酸など複数のアミノ酸が関わり、ヌックマムのうま味や甘味を含む複雑な味を形づくっています。
つまり、ヌックマムの「濃さ」は、単に塩が濃いから生まれるわけではありません。魚のたんぱく質が分解されてできたさまざまな成分が重なり、少量でも料理全体の味をぐっと押し上げるのです。
同じ研究グループによる別の論文では、ベトナム産ヌックマムに多く含まれるオリゴペプチドも、甘味・うま味だけでなく、味の持続、最初に感じる味、後味、いわゆる「厚み」を強めることが示されています。ヌックマムを口にしたときの「舌にずしんと来る感じ」は、こうした複数の成分が重なって生まれると考えられます。
「醤油の倍以上のコハク酸」は本当?
魚醤について調べていると、「魚醤には醤油より多くのコハク酸が含まれる」という説明を見かけることがあります。
この話には、きちんと元があります。
水谷忠士・君塚明光・Kenneth Ruddle・石毛直道による研究では、東・東南アジアで集めた発酵魚介製品273試料のうち47試料を化学分析しています。同じ研究グループが後に英語で発表した分析表では、魚醤15試料のコハク酸は平均0.10g/dL、比較に用いた醤油は0.04~0.05g/dLでした。
つまり、「分析した魚醤群の平均では、醤油のおよそ2倍のコハク酸があった」というところまでは確認できます。
ただし、ここで主語を「ヌックマム」だけに限定するのは正確ではありません。 この値は各地の魚醤をまとめた分析値であり、ベトナムのヌックマムだけを平均した数字ではないからです。
さらに興味深いことに、2002年に Phú Quốc 産の代表的な一級ヌックマムを分析した研究では、コハク酸は26mg/100mL=0.026g/dLでした。同じ研究の官能試験では、有機酸全体を外すと味に差が出たものの、個別に強く効いたのはピログルタミン酸で、コハク酸を含む「その他の有機酸」は有意な差を示していません。
つまり、どういうこと?
魚醤の中には、醤油よりコハク酸が多いものがある。
これは確かです。
しかし、「ヌックマムは必ず醤油の約2倍のコハク酸を含む」「あの濃いコクはコハク酸が主因だ」とまで言うことはできません。
ヌックマムの複雑な味は、グルタミン酸、ピログルタミン酸、アラニンなどのアミノ酸・関連成分に加え、長期熟成で生じる多数のペプチドなどが重なって形づくられます。
むしろ「何か一つのうま味成分で説明できるほど単純ではない」ところが、長期間の酵素や微生物の活動から得られる、ヌックマムらしさなのかもしれません。
出典・参考: 水谷忠士ほか「魚醤の化学分析と『うま味』の文化圏」『国立民族学博物館研究報告』12(3)/ Mizutani, T. et al. (1992) “Chemical components of fermented fish products”, Journal of Food Composition and Analysis 5, 152–159/ Park, J.-N. et al. (2002) “Taste-active components in a Vietnamese fish sauce”
「ご飯と魚は、母と子のようなもの」
Cơm với cá như má với con.
ベトナムには、「ご飯と魚は、母と子のようなもの」ということわざがあります。米と魚が、人々の生活の中でそれほど切り離しにくい組み合わせとして捉えられてきたことを表す言葉です。
しかしここで、魚 = ヌックマム とし、ヌックマムをそのまま日常食の中の「重要なタンパク源」と説明してしまうのは少し違います。ヌックマムはあくまで塩分の高い調味料で、一度に大量に摂取するものではないからです。
それでも、白いご飯、米麺、野菜、豆腐、肉や魚のおかずへ、ほんの少量で塩味とうま味を足し、「もうひと口、ご飯を食べたい」味に変える力は非常に大きいのです。
「おかずがないときは、ヌックマムと米だけでいい」という言葉をベトナム人の口から耳にしたことが一度ではないことも、ヌックマムを食べるために米があるというより、米をおいしく食べるためにヌックマムがあるとも言えるのかもしれません。
参考: Ủy ban Nhà nước về người Việt Nam ở nước ngoài「Ca dao tục ngữ về cơm」/ 水谷忠士ほか「魚醤の化学分析と『うま味』の文化圏」
ヌックマムの30°N・40°Nって何?
ヌックマムの商品ラベルでは、30°N、40°N といった数字を見かけることがあります。
この数字は、単なる「味の濃さ」を示しているわけではありません。ベトナムで độ đạm(ド・ダム) と呼ばれる、窒素量をもとにした指標です。Độ は「度合い・程度」、đạm は食品や栄養の文脈で、たんぱく質・窒素成分に関係して使われる言葉です。

Độ đạm は「総窒素」の濃さ
現行のベトナム国家標準 TCVN 5107:2018 では、ヌックマムの総窒素量を g/L、つまり1Lあたり何gの窒素を含むかで表します。
40°N ≒ 総窒素 40g/L
ヌックマム1L中の総窒素がおよそ40gという目安
魚のたんぱく質は熟成中にペプチドやアミノ酸などへ分解されます。それらに含まれる窒素を共通の物差しとして捉えることで、液体中の含窒素成分がどれくらい濃く存在しているかを比較・管理できるわけです。
数字が高いと何が違う?
まず確実に言えるのは、độ đạm が高いほど、1Lあたりに含まれる総窒素量が多いということです。
たとえば、同じメーカーの同一シリーズなど、原材料や製法の条件が近い30°Nと40°Nなら、40°Nの方が魚由来の含窒素成分がより濃い製品だと比較できます。
しかし、メーカーや製品タイプが違えば、数字だけで「こちらの方がおいしい」「高品質」と結論づけることはできません。それはなぜでしょうか?
高いほど「おいしい・高品質」ではない
まず、40°Nが20°Nの2倍だからといって、熟成が2倍進んでいる、アミノ酸が2倍ある、うま味が2倍強い、2倍おいしい — という意味にはなりません。

重要なことは、下の図のように総窒素にはアミノ酸だけでなく、ペプチドやアンモニア態窒素など、さまざまな含窒素成分が含まれる、ということです。また、香り、塩味、熟成状態、製法による作用までもを、一つの数字ですべてを表すことは困難です。

「30°N=特別級」は現在の全国共通ルールではない
「30°N以上は特別級」という説明を見かけることがあります。これは旧国家標準 TCVN 5107:2003 の4等級制でそう表現されたことに由来します。
しかし、現在有効な TCVN 5107:2018 では、この全国共通の4等級制は採用されていません。したがって、現在の商品を「30°Nだから国家標準上の特別級」と説明するのは正確ではありません。
出典・参考:TCVN 5107:2018「Nước mắm」/TCVN 5107:2003「Nước mắm」
いうなれば、「窒素調味料」!?
ここまで読んだあとなら、なぜヌックマムの説明で「窒素」という言葉が何度も出てくるのか、だいぶ見えてきたのではないでしょうか。
魚のたんぱく質が熟成中にアミノ酸やペプチドなどへ変わり、その濃さを窒素量という共通の物差しでも捉える。そのため、ヌックマムは「窒素調味料」と呼びたくなるくらいです。
とはいえ、ヌックマムの味も品質も、窒素だけでは決まりません。Độ đạm は便利な物差し。でも、あくまで物差しの一つ。 ここを押さえておけば、30°Nや40°Nという数字を必要以上にありがたがることも、逆に軽視することもなくなります。
では、độ đạm 以外には何を見れば、ヌックマムの品質をより立体的に捉えられるのでしょうか。
Độ đạm についてもっと詳しく:
ヌックマムの「品質」は何を見れば分かる?
Độ đạm は重要な指標です。しかし、ヌックマムの品質全体を一本の数字だけで決めることはできません。

品質は5つの視点で見る
① 原料・作り方
何を原料にし、どのように作られたのか。
② 見た目・香り・味
色、透明度、香り、味などはどうか。
③ 成分
総窒素、アミノ酸態窒素、アンモニア態窒素、塩分、pHなどはどうか。
④ 安全性
重金属や微生物、ヒスタミンなど、食品安全に関わる条件はどうか。
⑤ 表示
その製品が何でできていて、どのような商品なのかがどう示されているか。
ここで参照している TCVN 5107:2018 は、ヌックマムを対象とするベトナム国家標準です。TCVN は原則として任意適用の標準であり、そこに書かれた内容がすべてそのまま法律上の強制義務になるわけではありません。本稿では、現在のヌックマムの製品区分や品質の考え方を理解するための重要な基準として参照します。
Nước mắm nguyên chất と Nước mắm
TCVN 5107:2018 では、Nước mắm nguyên chất と Nước mắm を別の製品として定義しています。
nguyên chất は漢越語では「原質」にあたり、一般には「純粋な」「混ぜ物をしていない」といった意味で使われます。ただし、ここで重要なのは日常語のニュアンスだけではなく、Nước mắm nguyên chất が TCVN 5107:2018 上の製品区分であるという点です。
Nước mắm nguyên chất は、魚と塩の chượp を少なくとも6か月自然発酵させて得る液体製品で、食品添加物は使用できません。一方、Nước mắm は Nước mắm nguyên chất をもとに、必要に応じて塩水、砂糖、認められた食品添加物などを用いて仕上げることができます。
| Nước mắm nguyên chất | Nước mắm | |
|---|---|---|
| 基本 | 魚+塩の chượp を自然発酵 | Nước mắm nguyên chất をもとに仕上げる |
| 食品添加物 | 使用不可 | 現行規定で認められたものを使用可能 |
| 見るべき点 | どちらが「上」ではなく、何からどう作られた製品かを見る | |
この二つは「どちらがおいしいか」を決める等級ではありません。魚と塩だけの製品を選びたい人もいれば、料理へ使いやすいよう味を調整した製品を好む人もいます。

品質と安全は、同じ話ではない
品質では、色・香り・味・độ đạm などを見ることが分かりました。一方、安全性では、人体への影響につながる別の条件を確認します。
重金属、微生物、ヒスタミンなどの安全性は、TCVN 5107:2018だけで完結せず、別の食品安全制度や技術規則も関わります。

つまり、「濃い」「香りがよい」「原材料がシンプル」というだけでは、安全性まで判断することはできないということです。
ひとつの数字ではなく全体を見よう
現行の TCVN 5107:2018 には、「この条件なら全国共通で最高級」という等級制度はありません。
ヌックマムの品質を考えるなら、原料・製法、色・香り・味、成分、安全性、表示を合わせて見る。そして最後に「どれがおいしいか」となれば、そこには食べる人の好みや料理での使い方も入ってきます。
主な出典・参考: TCVN 5107:2018「Nước mắm」/ ベトナム国家法令データベース(標準・技術規則制度)/ Codex CXS 302-2011「Standard for Fish Sauce」
ここまで見てきた規格や品質評価は、いずれも現代の仕組みです。けれど、ヌックマムそのものは、それよりはるか以前からベトナムの暮らしと経済の中にしっかりと存在していました。
ヌックマムの品質・規格・安全性についてもっと詳しく:
ヌックマムは、いつから作られてきた?
ヌックマムの歩みをたどると、古い年代記の記述から、交易や産業化、規格の整備、地域文化の保護へとつながる長い歴史が見えてきます。ここでは、「日常の調味料が、税・交易品、巨大産業、規格商品、そして守るべき地域文化へ変わっていった」という大きな流れを見ておきましょう。

確認できる古い記録は997年、17世紀には日常の調味料として登場する
後世に編纂された『Đại Việt sử ký toàn thư(大越史記全書)』では、前黎朝の997年の記述に、ヌックマムの貢納に関わる記録が現れます。ただし、997年当時に書かれた同時代史料ではなく、現在と同じ製法だったとまで言うことはできません。
17世紀になると、外国人の記録から、魚由来の液体調味料が家庭の食事や市場で使われていた姿がかなり具体的に見えるようになります。
税・交易品から、大産業と科学の対象へ
18世紀にはヌックマムが現物税として徴収され、19世紀には海上交易へ組み込まれます。20世紀に入ると、Phan Thiết、Phú Quốc、北部の産地などで生産は大規模化し、瓶・商標を持つ商品も登場しました。
さらに Sài Gòn のパスツール研究所などで化学分析が進み、ヌックマムは「経験で作る食品」から「成分を測り、名称や品質を制度で考える食品」でもあるようになります。
戦争と改革を経て、産地と技術を守る時代へ
20世紀後半には戦争、南北分断、統一後の計画経済によって生産体制が大きく変化しました。その後、1986年以降の Đổi Mới(ドイモイ)によって民間生産や市場取引、輸出が再び広がります。
21世紀には Phú Quốc や Phan Thiết の地理的表示(GI)、Phú Quốc のEU PDO(原産地名称保護)、Nam Ô や Phú Quốc の無形文化遺産登録など、産地名だけでなく、製造技術そのものを守る動きへつながっています。
ヌックマムの歴史を一行で言えば:
食卓の調味料 → 税・交易品 → 大産業 → 科学・規格の対象 → 地域文化として守る対象へ。
主な出典・参考: 『Đại Việt sử ký toàn thư』デジタル閲覧版/ Cristoforo Borri(1631)/ William Dampier, A New Voyage Round the World/ VSQI「TCVN 5107:2018」
ヌックマムの歴史についてもっと詳しく:
産地で、ヌックマムは何が違う?
Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải、Nam Ô — どこも魚と塩からヌックマムを作る土地ですが、原料魚、容器、熟成中の扱い、液の取り出し方まで同じではありません。

4産地を一望すると
| 産地 | 原料の特徴 | 主な容器 | 熟成の特徴 | 抽出・仕上げ |
|---|---|---|---|---|
| Phú Quốc | cá cơm が中心 | 大型木製 thùng(木樽) | gài nén(固定)、長期熟成 | kéo rút、cốt・long・pha đấu |
| Phan Thiết | cá cơm ほか多様 | 木製 thùng(木樽)・甕など | nước bổi(仕込み初期液)、gài nén(固定)、太陽を利用 | 液の循環・抽出 |
| Cát Hải | cá nhâm、Cá nục など多様 | ang(広口陶器)・chum(大型甕)・vại(広口甕)・bể chượp(仕込み槽) | đánh quậy(攪拌)、phơi nắng(日光に当てる)、塩・水の調整 | kéo rút、cốt、pha đấu など |
| Nam Ô | cá cơm than(Cá cơm 類) | chum(大型甕) | 前半 gài nén(固定)→後半 đánh đảo(かき混ぜ・切り返し)、12~18か月 | 熟成後に濾過 |
この表だけでも、Phú Quốc=大型木樽と長期熟成、Phan Thiết=nước bổi と太陽を使った熟成管理、Cát Hải=攪拌と日光を積極的に組み合わせる北部の体系、Nam Ô=熟成前半と後半で chượp への働きかけを変える体系という違いが見えてきます。
味も、産地を守る制度も同じではない
公的資料では色・香り・味にも産地ごとの特徴が記されています。ただし色域は重なり、「濃い色だからPhú Quốc」「色が濃いほど上質」のような判定はできません。
保護制度も、Phú Quốc はGIとEU PDO、Phan Thiết はGI、Cát Hải は認証標章、Nam Ô は無形文化遺産とGIというように異なります。GI・PDO・認証標章・無形文化遺産は、同じ制度ではありません。
主な出典: QCĐP 01:2023/KG(Phú Quốc)/ Phan Thiết GI管理規則/ Cát Hải 認証標章用製造規程/ Nam Ô GI資料
産地ごとの違いにもっと詳しく:
ヌックマムは、どう選べばいい?
ここまで原料、製法、độ đạm、品質、産地を見てきました。
では、実際に売り場で一本を手に取ったとき、何から見ればよいのでしょうか。
売り場で迷ったら、上から順に確認
ラベルを読む6ステップ
ポイントは、一つの数字や宣伝文句だけで決めないことです。
製品名・原材料・độ đạm を読む
まず製品名が nước mắm nguyên chất なのか nước mắm なのかを見ます。次に thành phần、食品ラベルではまず原材料欄として、魚と塩だけなのか、水、砂糖、食品添加物なども使われているのかを確認します。

そして度数を見るなら、30°N、40°Nという数字が大きいほど総窒素濃度は高い。ただし、メーカーも製品タイプも違う商品を数字だけで順位づけしない — ここまで押さえておけば十分です。
原料魚・産地・GIは別々に見る
Cá cơm を使っている = Phú Quốc 産 というわけではありません。
また、ラベルの Địa chỉ は事業者の住所であり、魚を発酵・熟成させた産地と一致するとは限りません。瓶詰め・包装の場所と、製造した場所も同じとは限りません。
Phú Quốc など産地性まで含めて選びたい場合は、地名の大きさだけでなく、GI(地理的表示)、原材料、製造者情報などを合わせて確認します。
「色で見分けられる?」と、ベトナム人コックに聞いたことがあります
そのとき返ってきたのは、そんなに単純ではない、という趣旨の答えでした。
今あらためて規格や製品表示を追ってみても、その感覚はかなり大事だと思います。色は見る。でも、色だけでは決めない。 原材料や製品区分、độ đạm、産地表示などと一緒に見る方が、ずっと確実です。
色・香り・味は最後の判断材料
色は見ますが、濃いほど高品質で濃縮されているとは限りません。カラメルなどで着色しているケースも合法的に普通にありえます。異常な濁りや異物がないかを見たうえで、試せるなら最後は香り、塩味、うま味、後味を自分の舌で確かめます。
ラベルは「その商品の正体を知るため」、味見は「自分に合うかを知るため」
よくある間違い
| よくある間違い | 実際は |
|---|---|
| 色が濃いほど高品質 | × 色だけでは判断できない |
| Độ đạm が高いほど必ず上 | × あくまでも「総窒素濃度」の指標 |
| 魚と塩だけなら必ず上等 | × 混ざり物なしという意味でのみ正しい |
| Phú Quốc と書いてあればGI品 | × 制度上の表示かどうかまで確認する |
| 添加物入りなら危険 | × 製品区分・品質設計と安全性は別 |
最後に、売り場で迷ったときのおすすめのチェック順をまとめておきます。
製品名 → 原材料 → độ đạm → 原料魚・産地 → 色 → 用途と好み。
さあ、一本選べたら、次はそのヌックマムを実際の料理でどう使うかです。
ヌックマムの選び方についてもっと詳しく:
ヌックマムは、どう使う?
ヌックマムは、料理につけるだけの調味料ではありません。
下味、煮物、炒め物、汁物、和えだれ、魚醤ソース、漬け汁まで、料理のさまざまな段階で使われます。

使い方を整理すると
| 使い方 | ベトナム語 | 役割 |
|---|---|---|
| つける・つけだれ | chấm(つける)・nước chấm(つけだれ) | 食卓でつける、料理用のたれにする |
| かける・和える | rưới(かける)・trộn(和える) | 料理全体へたれをなじませる |
| 下味 | ướp(下味をつける) | 加熱前に肉・魚へ味を入れる |
| 煮る・煮詰める | kho(煮含める)・rim(煮詰めて絡める) | 味を含ませ、煮汁を詰める |
| 炒める | xào(炒める)・rang(炒る・炒める) | 味付け・仕上げの香り |
| 汁物 | canh(汁物)・nước dùng(だし・スープ) | スープの塩味・うま味を整える |
| 魚醤ソース | chiên nước mắm(魚醤ソースを絡める料理) など | 加熱した食材へ魚醤ソースを絡める |
| 漬ける | ngâm mắm(魚醤ベースに漬ける) | 魚醤ベースの漬け汁へ浸す |
一つの料理で二度登場することもあります。たとえば bún thịt nướng(焼いた豚肉と米麺を合わせる料理) なら、肉の ướp にヌックマムを使い、食卓では別にヌックマムを使った nước chấm を添えることがあります。
また、chiên nước mắm は「ヌックマムを揚げ油にする」という意味ではありません。食材を揚げたあと、ヌックマムを使った甘辛いソースを絡める料理が代表的です。
ướp(下味をつける) と ngâm mắm(魚醤ベースに漬ける) も同じ「漬ける」ではありません。ướp はその後の調理に向けた下味、ngâm mắm は魚醤ベースの液へ食材を浸し、その状態が完成料理へつながる使い方です。
ヌックマムは、いつ入れる?
ヌックマムは「最後に入れる調味料」でも、「最初から入れる調味料」でもありません。
| タイミング | 主な使い方 | 役割 |
|---|---|---|
| 加熱前 | ướp | 肉や魚へ塩味・うま味・香りをなじませる |
| 加熱の初め~途中 | kho、rim、canh など | 煮汁やスープ全体へ味を広げる |
| 仕上げ近く | xào、rang、canh など | 塩味を調整し、香りを残す |
| 加熱後 | Chiên nước mắm など | 魚醤ソースを絡める |
| 食卓 | chấm、nước chấm、rưới | ヌックマムの味・香りを生かす |
| 調理後に漬ける | Ngâm mắm | 時間をかけて味をなじませる |
「最後に入れれば正解」ではありません。
「ヌックマムは加熱してはいけない」でもありません。
食材へ味を入れたいなら加熱前、煮汁へなじませたいなら調理中、香りを残したいなら仕上げ、ヌックマム自体を味わいたいなら食卓 — 役割によってタイミングが変わります。
ちょっと寄り道|いとうまし、和越折衷!
以前、ヌックマムを日本のおかずにも合わせて遊んでみたことがあります。
その中でなかなか良かったのが、ヌックマムと水を3:1で割り、細かくした乾燥桜エビを加えるという簡単なつけだれ。
これはもちろんベトナムの定番レシピではなく、ふむべとで試した和越折衷です。から揚げや餃子、エビフライなどに合わせると、桜エビの香ばしさがヌックマムの魚介系のうま味と意外によくなじみます。
ヌックマムは「ベトナム料理にしか使えない調味料」ではありません。一本の味をつかめば、日本の普段のおかずへ持ち込んで遊んでみたり、本気使いすることもできます。
一本を、いろいろな料理に使っていい
用途ごとに何本ものヌックマムをそろえる必要はありません。
実際、家庭では一本をつけだれ、炒め物、煮物、下味など幅広く使い、使い切ったら次の一本を買う、という使い方もごく自然です。
まずは一本を使いながら、その商品の塩味や香りの強さをつかむ。そこから必要なら、別のタイプを試してみてもよいでしょう。
では、日本でその一本を買うなら、どこを探し、何を比べればよいのでしょうか。
ヌックマムの使い方についてもっと詳しく:
日本でヌックマムを買うなら?
日本でも、一般のスーパー、輸入食品店、ベトナム食材店、オンラインショップなどでヌックマムを買えるようになりました。
実店舗か通販か
| 買い方 | 特徴 |
|---|---|
| 一般スーパー・輸入食品店 | 普段の買い物の中で手軽に買える |
| ベトナム食材店 | 製品名・原材料・Độ đạm・容量などを比較しやすい |
| 通販・EC | 近くに専門店がなくても選択肢を広げやすい |
専門店の強みは、「いつでも絶対に安い」ことよりも選択肢の多さです。横浜橋~黄金町・伊勢佐木町、西川口、今里・新今里など、ベトナム人がベトナム人向けにやっている店が多い地域もあります。
容量は「使い切れるか」まで考える
大容量の方が単価は下がりやすい一方、家庭でゆっくり使うなら、長く開栓状態で置くことになります。自分の家で無理なく使い切れる量を選ぶことも、ヌックマム選びの一部です。
開封後は「保存できるか」だけでなく風味を見る
ヌックマムは高塩分で比較的保存性の高い食品ですが、開封後は時間とともに香りや色が変化していきます。
基本は、使用後にしっかり栓を閉め、高温・直射日光を避けること。冷蔵を勧めるメーカーもあれば、常温保管を前提とするメーカーもあり、推奨は製品によって異なります。
時間とともに色が濃くなったり、香りが変化したりすることがあります。密栓が甘ければ水分が失われる可能性もありますが、それだけでなく酸化や香気成分の揮発、光や温度の影響も考えられます。
「置いておける」と「開けたての風味を保てる」は別
家庭では、安全に置けるかだけでなく、おいしい状態で使い切れるかまで考えると実用的です。
日本で買える場所と商品について詳しくは:
ヌックマムの未来
ここまで、魚と塩から生まれるヌックマムを、原料、製法、味、成分、歴史、産地、選び方、使い方まで追ってきました。
最後に少しだけ、これから先のヌックマムについて考えてみたいと思います。
「うま味調味料」が広がった時代に
1908年、日本の池田菊苗博士は昆布だしからグルタミン酸を取り出し、その味を「うま味」と名づけました。翌1909年には、グルタミン酸ナトリウム(MSG)を使った AJI-NO-MOTO® が日本で発売されます。
その後、MSGをはじめとするうま味調味料は世界へ広がりました。ベトナムでも非常になじみのある調味料で、北部では mì chính(ミー・チン)、南部では bột ngọt(ボッ・ゴット)、中部には vị tinh(ヴィ・ティン) という呼び方もあります。
製法も変わりました。初期には小麦などのたんぱく質を加水分解してグルタミン酸を得ていましたが、現在のMSGは、サトウキビ、甜菜、トウモロコシ、キャッサバなど植物由来の糖質を、微生物の働きで発酵させて作る方法が主流です。
安全性についても、昔の「化学調味料=危険」という単純な理解のままでは、現在の評価とは合いません。FAO/WHO合同食品添加物専門家会議(JECFA)は1987年にグルタミン酸とその塩類のADI(一日許容摂取量)を「特定せず(not specified)」とし、米国FDAは食品へのMSG添加を GRAS(一般に安全と認められる)としています。なお、JECFAの「ADIを特定せず」は「無制限に摂ってよい」という意味ではなく、適正な食品用途・使用条件のもとで数値ADIを設ける必要がないという評価です。
一方、欧州食品安全機関(EFSA)は2017年の再評価で、食品添加物としてのグルタミン酸・グルタミン酸塩について体重1kgあたり1日30mgというグループADIを設定しました。つまり現在は、「絶対に危険」「いくら摂っても問題ない」のどちらか一方で語るより、各機関のリスク評価と実際の摂取量を分けて考える方が適切です。
しかし、ここでヌックマムの視点として面白いのは、MSGの是非そのものではありません。
世界中で手軽なうま味調味料が使われるようになった現在でも、日本には醤油があり、ベトナムにはヌックマムがあり、長い発酵の中で生まれるグルタミン酸をはじめとするアミノ酸やペプチドを、発酵調味料として料理へ重ねる食文化が消えていないことです。なお、食品にもともと含まれるグルタミン酸とMSG由来のグルタミン酸は、化学的には同じものです。
参考: Ajinomoto Group「A Timeline of Our History」/ U.S. FDA「Questions and Answers on Monosodium glutamate (MSG)」/ WHO/JECFA「Sodium glutamate」/ EFSA (2017) Re-evaluation of glutamic acid and glutamates/ Thanh Niên「Bột ngọt và mì chính」
日本では地方に残った魚醤、ベトナムでは日常に残ったヌックマム
日本にも魚醤の文化はあります。

農林水産省も、日本ではかつて広い地域で魚醤が作られていたものの、大豆醤油の普及とともに魚醤の生産が減少したと説明しています。それでも、秋田のしょっつる、能登のいしり・いしる、香川のいかなご醤油など、魚から作る調味料は地方の食文化として残ってきました。能登の「いしり・いしる」は2024年、日本の地理的表示(GI)にも登録されています。
では、ベトナムは「大豆の発酵調味料を持たなかったからヌックマムが残った」のでしょうか。
これは、現在の知見から見ると正確ではありません。ベトナムにも、大豆やもち米などを発酵させる tương(トゥオン) という伝統的な発酵調味料があり、北部を中心に古くから作られてきました。
それでも、tương や近代的な醤油、MSGが広がったからといって、ヌックマムは「お役御免」にはなりませんでした。
なぜなら、ヌックマムは最初から「醤油がないから仕方なく使うもの」ではなく、ベトナム料理そのものの中に代打の効かない役目を持った調味料だからです。
野菜につける。肉や魚の下味にする。煮る。炒める。汁物の塩味を整える。つけだれのベースにする。そして、白いご飯をおいしく食べる。まるで、日本でいうところの醤油のようです。
これだけ多くの場面で、同じ一本が当たり前のように台所へ登場する。ここに、日本で多くの魚醤が地方の伝統食品へと範囲を狭めていった歴史との、大きな違いがあるように思います。
参考: 農林水産省「水産発酵食品」/ 農林水産省「いしり・いしる」GI登録/ Vietnam Journal of Food Control (2025)「Quality evaluation of Vietnam traditional soy sauce」
「残るだろう」から、「残すもの」へ
それでは、ヌックマムはこれから先も絶対に残り続けるのでしょうか。
未来のことですから、そこまで断言することはできません。
実際、伝統産業には課題もあります。Phú Quốc の生産者団体は、原料となる Cá cơm の資源、偽ブランド、価格競争、トレーサビリティや食品安全への対応などを、今後の課題として挙げています。
しかし、この十数年でひとつ大きく変わったことがあります。
ヌックマムは、ただ「昔からある調味料」なのではなく、地域の名前と製造技術を、制度として守り、次の世代へ残そうとする対象になりました。
Phú Quốc の魚醤製造の技術と知識は2021年にベトナムの国家無形文化遺産となり、Phú Quốc の名称は国内GIだけでなくEUでも保護されています。Nam Ô の魚醤作りも2019年に国家無形文化遺産となり、2024年には魚醤「Nam Ô」が地理的表示として登録されました。
さらに Phú Quốc では2025年、伝統魚醤を主役にした大規模な Festival が初めて開催され、同年末には Hội Nước mắm truyền thống Phú Quốc(Phú Quốc伝統ヌックマム協会) が新たに発足しました。2026年になっても、若い世代の nhà thùng(大型木樽を備える伝統的なヌックマム製造所)の経営者が伝統製法を受け継ぎながら、品質管理や海外市場への展開を進めています。

つまり、ヌックマムの未来は、昔の味をそのまま瓶に閉じ込めておくのではなく、いかに次世代に残そうとするかにかかっていると言えます。
作り続けること。原料を守ること。名前を守ること。品質を伝えること。そして、毎日の料理で使い続けること。
その全部がつながって初めて、未来の食卓にもタスキが渡っていくのでしょう。
参考: Vietnam National Authority of Tourism「Phu Quoc works to popularise fish sauce making trade」/ Intellectual Property Office of Vietnam「Geographical indication protection “Nam O”」/ Phú Quốc 2026年社会経済報告(2025 Festival実績)/ Hội Nước mắm truyền thống Phú Quốc「Thành lập Hội Nước mắm truyền thống Phú Quốc」/ Hiệp hội Nước mắm truyền thống Việt Nam「Nâng tầm nước mắm truyền thống Phú Quốc」(2026)
未来の「今」でも、黄金色はきっと
ベトナムのヌックマムは、遠からぬ将来、食卓から姿を消す可能性もあるのでしょうか。
確かなことは、そのときにならないと誰にも分かりません。
それでも、私はかなり高い確率で、その答えは「否」だと思っています。
その最大の理由は、ヌックマムが白いご飯の「おかず」だけでも、何か別の調味料の「代用品」でもなく、あらゆる料理に使われる万能調味料として、ベトナムの家族の食卓の中に自分の居場所を持っているからです。

そして今では、その味を作る技術そのものを文化として守ろうとする人たちもいます。
そしてなによりも、ヌックマムを語るときの市井のベトナム人たちの、 あの熱くうれしそうなまなざしが保証していると、 そう言えるのではないでしょうか。
時代ごとに、ヌックマムに関わる人々にとっての「今」があったはずです。
かつての「今」を輝き、
現在の「今」もなお光を失わない黄金色は、
未来の「今」でもきっと、
おいしい輝きと匂いを放っていると、かたく予測できるのです。
魚と塩から生まれる、
この「黄金のしずく」が、
これから先もベトナムの食卓で当たり前のように使われ続けてほしい。
いちベトナムファンとして、そう願わずにはいられません。
