ふむにちわ!
ヌックマム(nước mắm) は、魚と塩を発酵・熟成させて作る、ベトナムを代表する魚醤です。
その原料は何かと聞かれたら、答えはとてもシンプルです。
魚と塩。
ただ、その「魚」が何の魚なのかまで掘り下げると、新たな世界が広がります。
代表格の Cá cơm(カー・コム。カタクチイワシ類を中心とする小魚の呼び名) は一種類の魚ではありませんし、ベトナム各地ではアジ類やニシン類、さらにはイカまでヌックマムの原料になってきました。
そして塩も、ただしょっぱくするために加えるわけではありません。魚を腐敗から守りながら、何か月もの発酵・熟成を可能にする、魚と並ぶもうひとつの主役です。
この記事では、ヌックマムは何の魚から作るのか、なぜ小魚が多いのか、どんな塩を使うのか、魚と塩をどれくらいの割合で合わせるのかまで、原料に絞って見ていきます。
ヌックマム全体についてまず俯瞰したい場合は、以下の記事がおすすめです↓
ヌックマムの基本原料は「魚+塩」
現在の商品には製品設計によってほかの原材料が加わるものもありますが、伝統的なヌックマム作りの出発点となる基本原料は、魚と塩です。
材料が少ないからこそ、どんな魚を使うのか、どんな状態の魚を使うのか、どんな塩をどれだけ合わせるのかが、その後の発酵・熟成と、できあがるヌックマムの個性に大きく関わります。
まずは魚から見てみましょう。
代表的な原料魚 Cá cơm
ベトナム語で魚は cá(カー) と言います。ヌックマムの原料魚として、まず名前が挙がるのが Cá cơm(カー・コム) です。

Cá cơm は、カタクチイワシ科(Engraulidae)を中心とする小型魚に使われるベトナム語名です。英語の anchovy に相当する魚の仲間ですが、一種類だけを指す名前ではありません。
ベトナムで Cá cơm と呼ばれる魚には、Stolephorus 属や Encrasicholina 属など、複数の属・種が含まれます。さらに、地方名・市場名と現在の生物分類が一対一で対応しない場合もあります。
ちなみに日本語で「アンチョビ」と聞くと、魚そのものより、カタクチイワシ類を塩漬け・熟成させた加工食品を思い浮かべる人も多いでしょう。ここでいう Cá cơm は、その加工食品ではなく、ヌックマムの原料になる魚そのものの呼び名です。
ヌックマムの原料魚は Cá cơm だけ?
Cá cơm は代表的な原料魚。でも、それだけではありません。
産地や時代によって、さまざまな魚介がヌックマム作りに利用されてきました。
実際、ベトナムの国家規格 TCVN 5107:2018 でも、一般のヌックマムの原料魚を Cá cơm などの特定魚種だけに限定しているわけではありません。
一方、産地ごとに見ると、原料魚や製法などに独自の条件を定めているヌックマムもあります。そのひとつが、名産地として知られる Phú Quốc(フーコック) です。
出典・参考:Viện Tiêu chuẩn Chất lượng Việt Nam(VSQI)「TCVN 5107:2018 Nước mắm」(一般のヌックマムの原料規定)
Phú Quốc のヌックマムと Cá cơm
Phú Quốc はベトナム南西部、タイランド湾に浮かぶ島です。現在では美しい海を生かしたリゾート地としても知られていますが、古くからヌックマム作りが盛んな土地でもあります。
Phú Quốc のヌックマムは長い歴史を持ち、現在ではその名称と製法が地理的表示によって保護されています。さらに2012年には、ベトナムの産品として初めてEUの原産地名称保護(PDO)に登録されました。
そんな Phú Quốc のヌックマムを特徴づける重要な原料が、Cá cơm です。
2023年の地域技術規則 QCĐP 01:2023/KG には、原料となる Cá cơm として、Cá cơm than、Cá cơm đỏ、Cá cơm sọc tiêu、Cá cơm phấn chì の4名称が記載されています。
ただし、名前が4つあるからといって、そのまま「生物学上の4魚種」と考えるのは危険です。ベトナムの地方名・市場名と現在の学名の対応には資料差があり、特定種へ確実に対応できない名称もあります。
また、Phú Quốc の地理的表示品では、仕込みに使う魚のうちCá cơm が85%以上を占めることが求められます。
さらに Phú Quốc では、漁獲した Cá cơm を洗浄・選別し、魚の鮮度が落ちていく前に船上で塩と混ぜ合わせます。現行の地域技術規則に示される重量比は、
Cá cơm 2.5~3 : 塩 1
魚100kgなら、塩はおよそ33~40kg
です。これはPhú Quốc の具体的な規格例であり、ベトナム全国のヌックマムがすべてこの比率という意味ではありません。
出典・参考:Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」(Phú Quốc の原料魚、魚と塩の比率、製造条件)/Intellectual Property Office of Vietnam「List of geographical indications protected in Vietnam」/EUR-Lex「Phú Quốc(PDO)登録公告」
ヌックマムは Cá cơm だけじゃない
視野をベトナム全体へ広げてみましょう。ベトナムは南北に長く、海の環境も、そこで獲れる魚も地域によって違います。

中部の Nam Ô(ナムオー) では、地理的表示の登録資料に原料魚として Cá cơm than が明記されています。
北部の Cát Hải(カットハイ) では、現地資料に Cá nhâm、Cá nục、Cá quẩn、Cá mực、Cá cơm といった名称が挙げられ、なかでも Cá nhâm が主要原料として紹介されています。
そして Cát Hải で興味深いのが Cá mực です。mực は海産物の文脈では普通「イカ」を指します。実際に Cát Hải では、生イカ(mực tươi)を原料とするヌックマムが作られ、イカを使った商品も確認できます。
中南部の Phan Thiết(ファンティエット) の歴史資料には、Cá cơm のほか、Cá nục、Cá trích、Cá mòi、Cá lép、Cá ve、Cá lầm、さらにさまざまな魚をまとめた Cá tạp など、多様な原料名が残っています。
その土地の海で何が獲れるのか。どんな漁業が営まれてきたのか。ヌックマムは、地域の海と暮らしまで映し出す食品でもあるのです。
出典・参考:ベトナム知的財産庁「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」/Cát Hải地区公式サイト/Nước Mắm Quang Hải「Mắm Mực 36ºN」/Hội Văn học Nghệ thuật Bình Thuận「Bình Thuận, “trung tâm sản xuất nước mắm chính của Đông Dương”」
ヌックマムの原料魚・小図鑑
ここからは、ヌックマムの原料として資料に登場する魚を、産地ごとにもう少し具体的に見てみましょう。
ベトナムの魚名には、一つの名称が複数の魚種に使われるものや、地域特有の呼び名があります。そのため、学名との対応が比較的確認できるものは対応例として示し、確定できない魚名は無理に一種へ当てはめません。
Phú Quốc|地域技術規則に記載される Cá cơm
Cá cơm than

Phú Quốc の地域技術規則に記載される Cá cơm のひとつ。Nam Ô の地理的表示登録資料でも、ヌックマムの原料魚として Cá cơm than が明記されている。
Cá cơm đỏ

Phú Quốc の地域技術規則に記載される Cá cơm のひとつ。魚名と学名の対応には資料差も見られるため、一意の学名として断定せず、対応例として扱う。
Cá cơm sọc tiêu

Phú Quốc の地域技術規則に記載される Cá cơm のひとつ。ベトナムの魚類資料では Stolephorus tri と対応させる例があり、細長くやや側扁した体形と、体側を走る銀色の帯が特徴である。
Cá cơm phấn chì

外観参考:Cá cơm thường
※ Cá cơm phấn chì との分類上の対応は未確定
Phú Quốc の地域技術規則や水産資料に繰り返し登場する原料魚名である。一方、Cá cơm phấn chì を現代分類上の特定一種へ確実に対応させることはできていない。ベトナムの水産行政資料には Cá cơm thường と Stolephorus commersonii を対応させる旧来の分類も見られるが、近年の分類学的再検討では、東南アジアを含む従来の Stolephorus commersonnii の記録に別種の誤同定が含まれていたことが示されている。このため、ふむベトでは Cá cơm phấn chì を特定種とは結び付けずに紹介する。
この画像について
本カードの画像は Cá cơm phấn chì そのものを復元したものではなく、ベトナムで Cá cơm thường と呼ばれてきた Cá cơm 類の外観参考である。Cá cơm phấn chì との分類上の対応を示すものではない。
Nam Ô|原料の中心は Cá cơm than
Nam Ô の地理的表示登録資料では、Cá cơm than が主要な原料として明確に位置づけられています。Phú Quốc にも同じ名称が登場しますが、同じ魚名が出てくるからといって、両産地の製法まで同じという意味ではありません。
上の Cá cơm than カードは、Nam Ô の原料魚を理解する際の外観・分類参考にもなります。ただし、原料名が共通していても、産地ごとの製法や熟成条件まで同じとは限りません。
Cát Hải|魚だけでなく、イカも原料になる
Cá nhâm

Cát Hải のヌックマムの主要な原料として知られる魚名。Cát Hải 周辺を扱った資料では旧学名を用いた記録もあり、現在の分類との対応には資料整理が必要である。
Cá nục

外観例:インドマルアジ
※ Cá nục をこの一種に限定するものではない
Cát Hải のヌックマム原料として記載される魚名。Cá nục は一種類だけを指す名称ではなく、ベトナムでは複数の Decapterus 属魚類などに使われる。画像では対応例としてインドマルアジを示す。
Cá quẩn

Cát Hải のヌックマム原料として記載される魚名。ベトナムの商業魚種規格では、Cá quẩn は Cá nục sồ の別名として Decapterus maruadsi に対応する。
Cá mực

Cát Hải の資料や商品名に見られる名称。実際の製造資料では原料として mực tươi(生イカ)、商品説明では con mực biển(海産イカ) と記されており、現在もイカと塩を原料とするヌックマムが作られている。ただし使用されるイカを特定一種まで絞ることはできない。
Cá cơm

外観例:さまざまな Cá cơm 類
※ Cát Hải の原料を画像中の魚だけに限定するものではない
Cát Hải のヌックマム原料としても記載される魚群。ここでも Cá cơm は種レベルまで一種類に限定されていない。
魚醤なのにイカ? 日本にもあります
イカからヌックマムが作られていると聞くと意外かもしれませんが、日本にも似た例があります。石川県・能登半島に伝わる魚醤「いしる(いしり)」には、イカの内臓を塩とともに発酵させて作るものがあります。魚醤という名前でも、実際の発酵原料は魚だけに限らないのです。
参考:農林水産省「いしり、いしる|にっぽん伝統食図鑑」(イカの内臓をはじめとする原料と製法)
Phan Thiết|歴史資料には多様な魚名が残る
Phan Thiết の古い記録には、Cá cơm のほかにも Cá nục、Cá trích、Cá mòi、Cá lép、Cá ve、Cá lầm、Cá tạp など、さまざまな原料名が登場します。
Cá tạp の tạp は漢字では「雑」にあたり、特定の一種ではなく、さまざまな魚をまとめて表す言葉です。こうした名称が残っていることからも、Phan Thiết では多様な魚をヌックマム作りに利用してきたことがうかがえます。
Phan Thiết の古い原料記録には Cá trích も登場します。Cát Hải で紹介した Cá nhâm に対応する Sardinella lemuru も、古いベトナム魚類資料では Cá trích lầm と呼ばれる例があります。ただし、Cá trích 系の名称はほかの魚種にも使われるため、Phan Thiết の Cá trích と Cá nhâm が同じ魚だったと単純に断定することはできません。このように、ベトナムの魚名は地域や時代によって呼び方や対応する魚が変わることがあります。
また、古い記録には Cá lép という表記がありますが、現在の魚類・水産資料で広く使われる Cá lẹp 類と同じものだと直接確認できる資料は見つかっていません。古い魚名を現代の学名へ無理に当てはめないことも重要です。
Cá mòi

代表例:Cá mòi dầu
※ Phan Thiết の Cá mòi をこの一種に限定するものではない
かつて Phan Thiết のヌックマムを支えた重要な原料魚群。20世紀前半の Bình Thuận では Cá mòi が大量に漁獲され、その中でも Cá mòi dầu が特に多かったとされる。Cá mòi には複数の魚が含まれるため、ここではベトナムの水産資料で Cá mòi dầu と対応する Nematalosa nasus を代表例として紹介している。
Cá chỉ vàng

Phan Thiết でヌックマムの原料に使われる魚のひとつ。香りと味がよく、nước mắm nhĩ に使われる魚としても紹介されている。体側を走る黄色い帯が特徴で、日本ではホソヒラアジと呼ばれる。
Cá lẹp

外観例:Cá lẹp hàm dài
Thryssa setirostris
※ 現在の Cá lẹp 類の外観例。Phan Thiết の古い記録にある Cá lép との対応は未確定
現在のベトナム語辞書や魚類・水産資料では、Cá lẹp 系の名称が複数のカタクチイワシ科魚類に使われている。ベトナムの公的資料には修飾なしの Cá lẹp を Thryssa setirostris とする例があり、同種は Cá lẹp hàm dài としても記載される。Phan Thiết の古い記録にある Cá lép との関係は直接確認できていないため、ここでは現在の Cá lẹp 類の外観例として Thryssa setirostris を紹介する。非常に長い上顎骨が特徴で、口元から後方へ細長く伸びている。
出典・参考:Hội Văn học Nghệ thuật Bình Thuận「Bình Thuận, “trung tâm sản xuất nước mắm chính của Đông Dương”」/同「Nước mắm Bình Thuận qua sử liệu thời Nguyễn」
魚名・分類の参考:ベトナム農業農村開発省「TCVN 13981:2024―漁業における商業種・種群一覧」。同じ地方名・市場名が複数の種に使われる場合があるため、本稿では資料間で対応が分かれる魚名を特定一種へ断定していません。
なぜ小さな魚がよく使われる?
ここまで実際の魚を見てみると、Cá cơm をはじめ、ヌックマムの原料には比較的小型の魚が目立ちます。
ただし、「小さいからヌックマムに向いている」という一つの理由だけで説明できるわけではありません。
まず大きいのが、魚を丸ごと仕込みやすいことです。ヌックマム作りでは、魚の身だけではなく、内臓なども含めた魚体を丸ごと塩とともに仕込む方法が広く行われています。

魚の体内、とくに消化管や内臓には、たんぱく質を分解するプロテアーゼと呼ばれる酵素があります。魚自身が持つこうした酵素は、長い熟成の中で魚体のたんぱく質を分解していく重要な働き手です。
実際、魚醤の研究では、内臓を取り除いた魚よりも、魚体を丸ごと使った方がたんぱく質の分解が大きく進んだ例も報告されています。
Cá cơm のようなアンチョビ類をはじめ、イワシやニシンなどの小型浮魚には、消化酵素の働きによって魚体が自己消化しやすいものがあります。鮮魚としては「傷みやすい」という弱点にもなりますが、魚醤作りでは塩によって腐敗を抑えながら、その分解を長い時間をかけて利用します。
魚のたんぱく質は、より小さなペプチドやアミノ酸へ。こうした分解物が、ヌックマムの味を形づくる重要な成分になります。
そしてもうひとつ、忘れてはいけないのが漁業との関係です。アンチョビ類、イワシ類、小型のアジ類などは、沿岸でまとまって漁獲される魚でもあります。大量に水揚げされる魚を、鮮魚だけでなく塩蔵・乾燥・魚醤へ加工することは、保存と利用の両面で理にかなっていました。
魚醤についての資料でも、アンチョビ類や小型のアジ類など、市場価格が比較的低い小魚が原料として利用されてきたことが確認できます。
なぜ小魚が多い?
丸ごと仕込みやすく、魚自身の酵素を利用しやすい。
さらに、まとまって漁獲される小型魚を保存・加工する方法としても、魚醤作りとの相性がよかったと考えられます。
つまり、小魚が多く使われる背景には、魚体の大きさだけではなく、魚自身の酵素、魚種の性質、漁獲量、地域の漁業、そして保存・加工との相性が重なっています。
魚種、魚体の状態、脂肪分、鮮度、漁獲時期、酵素の性質などによって、できあがるヌックマムの味や香り、色も変わってくるのです。
参考:Giyatmi & Irianto, H.E. (2017) “Enzymes in Fermented Fish”(発酵魚製品における魚由来酵素・消化管由来酵素の役割)
もうひとつの主役、「塩」
魚だけではヌックマムにはなりません。もうひとつ、魚と並んで欠かせない原料が塩です。
ヌックマム作りにおける塩は、単にしょっぱい味をつけるための材料ではありません。高い塩分濃度の環境を作ることで、多くの腐敗微生物が活動しにくい状態にし、魚を長期間熟成できるようにします。
では、塩辛ければ何でもよいのでしょうか。そういうわけでもありません。
ベトナム国家標準 TCVN 5107:2018 では、ヌックマムの原料に使う塩について、食品用塩の標準 TCVN 3974:2015 に適合することを求めています。
TCVN 3974:2015 では、食品用塩を、主成分が塩化ナトリウム(NaCl)の結晶で、海水、岩塩、天然の塩水から得られるものとしています。乾物換算の塩化ナトリウムは97%以上とされ、銅や、ヒ素・水銀・鉛・カドミウムなどの汚染物質についても基準があります。
つまり、単に「塩辛ければよい」のではなく、食品原料として一定の純度と安全性を満たした塩が求められます。

Phú Quốc では粗塩にも条件がある
Phú Quốc の2023年地域技術規則では、海水から作られ、粗塩の標準 TCVN 9638:2013 に適合する塩を使用することが定められています。
ここでいう粗塩とは、海水から作られ、まだ精製されていない結晶状の塩です。もちろん、「海水から作った粗塩なら何でもよい」という意味ではありません。
Phú Quốc で使う粗塩は、どんな塩?
TCVN 9638:2013 では、粗塩について無臭で、異味がなく、乾いてさらさらしていることなどを求めています。製塩方法に応じて成分基準もあり、海水を天日濃縮して作るタイプでは、乾物換算の塩化ナトリウム(NaCl)95%以上、水分10%以下、水に溶けない不純物0.40%以下などが示されています。カルシウム、マグネシウム、硫酸イオンなどにも上限があります。
魚と同じように、塩にもどこから得たものか、どの程度の純度か、水分や不純物はどれくらいかといった原料としての条件があるわけです。
出典・参考:ベトナム標準品質研究所「TCVN 5107:2018―Nước mắm」/同「TCVN 3974:2015―食品用塩」/同「TCVN 9638:2013―粗塩」/Kiên Giang省「QCĐP 01:2023/KG」
では、塩はどれくらい入れる?
塩の量も全国一律ではなく、魚種、産地、漁期、製法などによって変わります。ここでは、具体例として Phú Quốc を見てみましょう。
Phú Quốc の2023年地域技術規則では、漁獲した Cá cơm と塩を船上で混ぜる際の割合を、重量比で次のように定めています。
Cá cơm 2.5~3 : 塩 1
Cá cơm 100kgなら、塩はおよそ33~40kg
かなりの量の塩を使うことが分かります。では、腐敗を防ぐためなら、もっと塩を増やした方がよいのでしょうか。
そう単純ではありません。
塩が少なすぎれば腐敗のリスクが高まります。一方、塩分濃度が高くなりすぎると、魚のたんぱく質を分解する酵素の働きにも影響し、ヌックマム作りに必要な分解まで進みにくくなります。
塩の役割は「腐らせない」だけではない
腐敗は抑える。でも、分解まで完全には止めない。
長期間熟成できる高塩環境を作りながら、魚のたんぱく質が少しずつ分解されていく。そのバランスが重要です。
ちょっと寄り道|塩で腐敗を防ぐのに、なぜ魚は分解される?
ここまで来ると、少し不思議に思えてきます。塩は魚が腐るのを防いでいる。それなのに、その魚は熟成中に少しずつ分解されていく。
保存しているのに、なぜ分解されるのでしょうか。
そういえば、古代エジプトのミイラも「塩」を使って腐敗を防いでいた、と聞いたことがあるかもしれません。
古代エジプトのミイラ作りでは、natron(ナトロン) と呼ばれる天然の塩類が使われました。ただし、ヌックマムに使う食塩とナトロンは同じものではありません。
ナトロンは炭酸ナトリウムなどを含む天然の塩類で、ミイラ作りでは組織から水分を大きく取り除き、乾燥させるために使われました。ここに、ヌックマムとの大きな違いがあります。
ミイラとヌックマム、何が違う?
ミイラ
ナトロンなどで組織から水分を大きく取り除く
↓
乾燥させる
↓
微生物や酵素が働きにくい状態にし、分解を強く抑える
ヌックマム
魚の水分を完全には取り除かず、高塩濃度で熟成させる
↓
多くの腐敗微生物が活動しにくくなる
↓
魚自身の酵素などによる分解は長い時間をかけて進む
ヌックマムでは、魚から水分をなくしてしまうのではなく、水分を残したまま高い塩分濃度の中で熟成させます。
塩によって多くの腐敗微生物は活動しにくくなりますが、魚自身が持つたんぱく質分解酵素の働きまで完全に止まるわけではありません。さらに、高い塩分濃度でも活動できる耐塩性・好塩性の微生物も、長い熟成中の変化に関わります。
つまり、塩そのものが魚を分解しているわけではありません。
塩が腐敗しにくい環境を作り、その中で魚自身の酵素などによる分解がゆっくり進んでいく。
考えてみれば、なかなか絶妙な状態です。
腐らせない。
でも、分解は止めない。
その環境を作る大きな立役者のひとつが、塩なのです。
参考:Smithsonian Institution「Egyptian Mummies」(ナトロンによる乾燥)/Smithsonian Institution「AnthroNotes, Vol. 33, No. 1」(ナトロンの組成)/Udomsil et al. (2010) “Proteinase-producing halophilic lactic acid bacteria isolated from fish sauce fermentation and their ability to produce volatile compounds”(魚醤もろみに生育する好塩性乳酸菌)
魚と塩が、ヌックマムの土台をつくる
ここまで見てきたように、ヌックマムの基本原料は魚と塩という、とてもシンプルな組み合わせです。
しかし魚は Cá cơm 一種類ではなく、産地や時代によってさまざまな魚介が使われてきました。塩にも規格や使い方があり、魚と塩の割合も全国共通ではありません。
原料がシンプルだからこそ、どの魚を選び、どの塩をどれだけ合わせるかが、ヌックマムの土台になります。
ボトルの原材料表示や産地を見るときも、「魚と塩」を少し意識するだけで、その一本がどのような原料から作られたのかを読み取りやすくなるでしょう。
ヌックマムをさらに知りたい方へ
魚と塩を混ぜた後を詳しく知りたい方へ
魚と塩を仕込んだあと、発酵・熟成がどのように進み、ヌックマムになっていくのかは、以下の記事で詳しく解説しています↓
ヌックマム全体を俯瞰したい方へ
ヌックマムの意味や味、歴史、産地、選び方など、全体像を知りたい方は以下の総合記事がおすすめです↓
