ふむにちわ!
ヌックマム(nước mắm) は、魚と塩を発酵・熟成させて作る、ベトナムを代表する魚醤です。
ヌックマムの基本原料は、魚と塩です。
しかし、この二つを混ぜ合わせれば、翌日には透明な琥珀色のヌックマムができあがる――というわけではありません。
魚と塩を混ぜ、発酵・熟成させている仕込み物を chượp(チュオップ) と呼びます。日本酒や醤油でいう「もろみ」に近い、まだ製品になる前の状態です。
この chượp を樽や甕(かめ)などへ仕込み、長い時間をかけて発酵・熟成させます。その中で魚のたんぱく質が少しずつ分解され、やがてヌックマムとなる液体を取り出せる状態へ変わっていきます。十分に熟したこの状態を、「熟した」という意味の chín をつけて、chượp chín(チュオップ・チン) と呼びます。
この記事では、魚と塩を仕込んでから、熟成方法、樽や甕の中で起こる変化、熟成に時間がかかる理由、十分に熟した chượp の見分け方まで、ヌックマム作りの発酵・熟成工程を詳しく見ていきます。
ヌックマム全体についてまず俯瞰したい場合は、以下の記事がおすすめです↓
魚と塩から chượp chín まで|まず作り方を俯瞰
細かな工程へ入る前に、魚と塩が十分に熟した chượp chín(チュオップ・チン) になるまでの流れを、先にまとめておきましょう。
魚
+
塩
魚と塩を仕込む
混ぜ合わせて樽・甕・槽などへ入れる
chượp
魚と塩を仕込み、発酵・熟成させている原料
じっくり発酵・熟成
魚のたんぱく質が少しずつ分解される
ペプチドやアミノ酸などが生まれる
chượp chín
ヌックマムを取り出せる、十分に熟した状態
この chượp chín から液体を取り出し、製法に応じて濾過や循環抽出、配合などを行うことで、製品としてのヌックマムへ仕上げていきます。

魚と塩を仕込む――ここから chượp が始まる
ヌックマム作りでは、魚と塩を混ぜ合わせ、樽や甕(かめ)、槽などの容器へ仕込みます。
こうして魚と塩を仕込み、発酵・熟成させている原料が chượp(チュオップ) です。
Chượp は、完成した液体のヌックマムそのものではありません。魚と塩が容器の中で変化し、ヌックマムを取り出せる状態へ向かって熟成している途中のものです。
chượp とは?
魚介類と塩を仕込み、ヌックマムを作るために発酵・熟成させている原料。
魚と塩を混ぜた直後から十分に熟すまで、製造工程の中にある「ヌックマムのもと」と考えると分かりやすいでしょう。
熟成容器は、木樽だけではない
仕込みに使う容器は、ベトナム全国で同じではありません。大型の木樽を使うところもあれば、陶製の甕や槽などを使うところもあります。

容器の違いは、単なる設備の違いではありません。魚と塩の仕込み方や、熟成中に chượp をどう扱うかとも結びつき、地域ごとの製法の違いにつながっています。
ただし、「木樽ならこの製法」「甕ならこの製法」と容器だけで一律に決められるわけでもありません。原料、気候、設備、製造者の技術などが組み合わさり、それぞれの作り方が形づくられています。
仕込んだ魚を、どうやって熟成させる?
伝統的な chượp の熟成方法を理解するうえで重要なのが、gài nén(押さえて固定する方法) と đánh quậy(攪拌する方法) です。
ベトナムの国家規格 TCVN 8336:2010 では、伝統製法で作られた chượp を評価する用語として、chượp gài nén と chượp đánh quậy が定義されています。
gài nén と đánh quậy
chượp gài nén
Gài nén(押さえて固定する)工程を用いる chượp。TCVN 8336:2010 では、熟した段階でも魚の形が残るものとされています。

chượp đánh quậy
Đánh quậy(攪拌)を伴う方法で作る chượp。TCVN 8336:2010 では、熟した段階でペースト状になるものとされています。

ただし、実際の製造工程を全国一律にこの二つへ分けられるわけではありません。一方を中心にする製法もあれば、熟成の段階によって押さえ固定と攪拌・切り返しを組み合わせる製法もあります。
二つの方法は、優劣を競うものではない
Gài nén と đánh quậy は、どちらが正しいかを決める二者択一ではありません。
地域や製造者によって使い方が異なり、両方の考え方を組み合わせる場合もあります。
出典・参考:Viện Tiêu chuẩn Chất lượng Việt Nam(VSQI)「TCVN 8336:2010 Chượp chín」/TCVN 8336:2010「Chượp chín」本文(chượp gài nén、chượp đánh quậy などの定義)/Đại học Cần Thơ 系教材「Công nghệ chế biến thủy sản」(伝統的な chượp 製法として đánh khuấy、gài nén、両者の組み合わせを整理)
樽や甕の中で、魚に何が起きている?
魚と塩を仕込んだ容器は、外から見ると静かです。しかし、その中では魚体の成分が少しずつ変化しています。
中心となる変化のひとつが、たんぱく質の分解です。
魚のたんぱく質
大きなたんぱく質の分子
より小さなペプチド
アミノ酸など
ヌックマムのうま味を形づくる重要な成分へ
魚自身が持つ酵素が、たんぱく質を分解する
魚の筋肉や消化管には、もともとたんぱく質の分解に関わるさまざまな酵素があります。
魚醤を含む発酵魚製品では、こうした魚自身が持つ酵素が、魚体のたんぱく質をより小さな分子へ分解する重要な役割を担います。
その過程で生まれるペプチドや遊離アミノ酸は、完成するヌックマムの味を形づくる重要な成分です。
高い塩分の中でも、微生物の働きが関わる
一方、樽や甕の中で働くのは、魚自身の酵素だけではありません。
高い塩分濃度では多くの微生物が活動しにくくなりますが、その環境に適応した耐塩性・好塩性の微生物も存在します。魚醤の発酵過程からは、高塩濃度でも魚のたんぱく質を分解できる菌が分離され、香気成分の形成への関与も報告されています。
魚が「溶けていく」のは、何の働き?
魚自身が持つ酵素による分解が重要な土台となり、微生物の働きも熟成中の変化に関わります。
「魚の酵素だけ」「微生物だけ」のどちらか一方ではなく、複数の作用が重なってヌックマムの味・香り・質感が形づくられていきます。
出典・参考:Giyatmi & Irianto (2017) “Enzymes in Fermented Fish”(発酵魚製品における魚由来酵素・消化管由来酵素と微生物の関与)/Han et al. (2023) “Regulation of microbial metabolism on the formation of characteristic flavor and quality formation in the traditional fish sauce during fermentation: a review”(魚醤発酵における微生物代謝、たんぱく質分解、香味形成)/Udomsil et al. (2010) “Proteinase-producing halophilic lactic acid bacteria isolated from fish sauce fermentation…”(25%NaClでも生育する耐塩性乳酸菌とたんぱく質分解能)
なぜ、発酵・熟成には長い時間がかかる?
塩は、多くの腐敗微生物が活動しにくい環境を作り、魚を長期間熟成できる状態に保ちます。
ただし、塩の影響を受けるのは腐敗に関わる微生物だけではありません。高い塩分濃度は、そこで活動できる微生物の種類を限られたものにし、魚のたんぱく質を分解する酵素の働きにも影響します。
つまり chượp は、腐敗しにくい一方で、分解や発酵・熟成に関わる働きも、高塩分という厳しい条件の中で進んでいく環境なのです。
魚自身の酵素や、高い塩分濃度でも活動できる耐塩性・好塩性の微生物などの働きによって、魚のたんぱく質は少しずつ分解されていきます。
腐敗を抑えながら、高塩分の環境で分解・発酵・熟成をじっくり進める。
その長い時間の中で、たんぱく質の分解だけでなく、ヌックマムの香り、色、味に関わるさまざまな変化が積み重なります。

そのため、伝統的なヌックマムでは熟成に何か月もの時間をかける例が多く、産地によっては一年を超えて熟成させます。
ただし、必要な期間は塩分濃度だけで決まるものではありません。魚の種類、魚と塩の割合、温度、酵素や微生物の働き、熟成中の取り扱いなど、さまざまな条件が関係します。
長く熟成すれば、それだけでよい?
熟成期間は重要ですが、長さだけで完成や品質が決まるわけではありません。
原料や塩分、温度、熟成中の管理などが異なれば、必要な時間も変わります。
出典・参考:Chen et al. (2026) “Salt as a Master Regulator of Microbial Assembly and Metabolic Pathways in Fermented Fish: From Preservation to Flavor Innovation”(発酵魚における塩分濃度と微生物群集・代謝経路の関係)
いつ「chượp が熟した」と分かる?
何か月も熟成させれば、自動的に完成するわけではありません。
仕込んで間もない chượp は、chượp sống(チュオップ・ソン) と呼び表されます。sống は、ここでは「生の」「まだ熟していない」といった意味です。
これに対し、伝統的に熟成させた chượp が十分に熟した状態を chượp chín(チュオップ・チン) と呼びます。
Chín は、食べ物について「熟す」「火が通る」などを表す基本的なベトナム語です。ここでの chượp chín は、そのまま「十分に熟した chượp」と考えると分かりやすいでしょう。
TCVN 8336:2010 では、伝統製法で作られた chượp chín について、色、香り、味、見た目などの特徴と成分の基準を定めています。
「chượp chín」は、時間だけでは決まらない
十分に熟した chượp
色は明るい褐色~灰褐色。熟成した chượp 特有の香りがあり、生臭さや酸っぱい異臭などがないこと。固形分が下へ沈み、液体が表面に現れ、自然に泡立ち続けないことなどが求められます。

つまり、chượp が十分に熟したかどうかは、「○か月経ったから完成」と時間だけで判断するものではありません。
色はどう変わったか。熟成した香りになっているか。生臭さや異臭はないか。固形分と液体はどのような状態か。そして成分は基準を満たしているか。
こうした変化を確認し、魚と塩から始まった chượp が、ヌックマムを取り出せる chượp chín へ十分に熟したことを判断します。
出典・参考:Viện Tiêu chuẩn Chất lượng Việt Nam(VSQI)「TCVN 8336:2010 Chượp chín」/TCVN 8336:2010「Chượp chín」本文(chượp chín の定義、色・香り・味・状態および理化学的要件)
魚と塩は、時間をかけて「熟した chượp」になる
ヌックマム作りは、魚と塩を混ぜるところから始まります。
しかし、本当に重要なのは、その後です。魚と塩を chượp として仕込み、押さえて固定したり、攪拌したりしながら、地域と製法に応じた方法で長く発酵・熟成させます。
樽や甕の中では、魚自身の酵素を土台に、微生物の働きも関わりながら、魚のたんぱく質がペプチドやアミノ酸などへ少しずつ分解されます。
そして、時間だけでなく、色、香り、味、固形分と液体の状態、成分などを確認し、十分に熟した chượp chín になったと判断します。
魚と塩を混ぜることは、完成ではなく出発点。
その二つを、ヌックマムを取り出せる熟成原料へ育てる工程こそが、発酵・熟成なのです。
ヌックマムをさらに知りたい方へ
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