ベトナム人と話していると、「この人のこと、何と呼べばいいんだろう?」と迷う場面がよくあります。
日本語なら、初対面ではとりあえず「〇〇さん」と呼べば何の問題もないでしょう。ところがベトナム語では、相手が少し年上の男性なら anh、少し年上の女性なら chị、年下なら男女とも em、親世代くらいなら cô / chú / bác、祖父母世代なら ông / bà……というように、相手との関係によって呼び方が変わります。
しかも難しいのは、変わるのが「あなた」に当たる言葉だけではないことです。相手を anh と呼ぶ関係なら自分は em になり、相手を chú と呼ぶなら自分を cháu や con と呼ぶことがあります。
さらに、年齢だけですべてが決まるわけでもありません。先生と生徒、上司と部下、恋人や夫婦、親しい友人などでは、役割や親密さが呼称に強く影響します。北部と南部で違いが見られることもあります。
つまりベトナム語の呼び方は、単なる「敬称一覧」ではありません。「あなたは私にとってどんな人で、私はあなたにとってどんな人か」を会話の中で表す仕組みだと考えると、かなり分かりやすくなります。
この記事では、ベトナム語の代表的な呼称を一覧で整理したうえで、実際の会話ではどう使い分けるのかを、年齢・性別・関係・場面が分かる具体例とともに詳しく見ていきます。
ベトナム人はなぜ「名字+さん」で呼ばない?
日本では「山田太郎さん」なら「山田さん」と姓で呼ぶのが自然です。一方、ベトナム語では、日本語のように姓だけを人への基本的な呼称として使うのは一般的ではありません。
たとえば Nguyễn Văn Minh という人なら、日常会話では Minh、anh Minh、場合によっては chú Minh など、名を中心に呼ぶのが基本です。
姓名の構造や、なぜ「最後の1語だけが必ず名」とは限らないのかについては、別記事「ベトナム人の名前」で詳しく解説しています。
まず3人の会話で「呼び方は相対的」を体感しよう
細かい一覧を見る前に、まずは3人の会話を見てみましょう。ここが理解できれば、この記事の基本構造がかなり見えてきます。
Tuấn:29歳・男性
Mai:25歳・女性
3人は同じ職場の同僚。年齢順は Minh > Tuấn > Mai。
最初の一言に hai em とあるのがポイントです。年下男性の Tuấn と年下女性の Mai をまとめて em と呼んでいます。em は男女共通です。
| 話し手 → 相手 | 呼称 | 理由 |
|---|---|---|
| Minh → Tuấn | em | Tuấn が年下 |
| Minh → Mai | em | Mai も年下。em は男女共通 |
| Tuấn → Minh | anh | Minh が年上男性 |
| Tuấn → Mai | em | Mai が年下 |
| Mai → Minh | anh | Minh が年上男性 |
| Mai → Tuấn | anh | Tuấn も Mai より年上男性 |
ここで特に注目したいのが Tuấn です。Minh と話すときの Tuấn は em ですが、Mai と話すときの Tuấn は anh です。同じ人物なのに、相手が変わるだけで呼称が変わっています。

つまり、「Tuấn は anh という人」「Mai は em という人」なのではありません。 二人の相対的な関係によって、同じ人物が anh にも em にもなるのです。
ベトナム語の「私」「あなた」は固定されていない
日本語では「私」、英語では I(アイ)のように、一人称は比較的固定して考えられます。ベトナム語にも tôi という中立的な一人称がありますが、実際の日常会話では、親族関係を表す語に由来する呼称詞や名前などが一人称・二人称として広く使われます。
この記事では品詞分類そのものを細かく論じません。重要なのは、anh / chị / em / bác / chú / cô などが、本来の親族関係だけでなく、血縁外の相手との呼び方・自称にも使われるという実用上の仕組みです。
| 二人の関係 | 年上側(一・二人称) | 年下側(一・二人称) |
|---|---|---|
| 近い世代・男性が年上 | anh | em |
| 近い世代・女性が年上 | chị | em |
| 親世代と若い世代 | bác / chú / cô など | cháu / con など |
| 祖父母世代と若い世代 | ông / bà | cháu / con など |
ただし、この表はあくまで基本構造を理解するための入口です。実際には、親族関係、教師と生徒のような役割、職場の立場、親密度、感情、地域差なども呼称選択に関わります。
出典・確認資料
Sidnell, Jack & Shohet, Merav (2013), “The Problem of Peers in Vietnamese Interaction”, Journal of the Royal Anthropological Institute 19(3), 618–638。ベトナム語の親族語由来の呼称が血縁外にも使われ、相対年齢・世代などを示すことを分析。
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まず知っておきたい親族名称一覧
ベトナム語の呼称体系を理解するには、本来の親族名称を知ることが近道です。こうした語の多くが、血縁外でも親族名詞由来の呼称詞として使われるからです。
| 語 | 本来の親族的意味 | 血縁外で相手を呼ぶときの目安 | 若い側の自称例 |
|---|---|---|---|
| ông | 祖父など | 祖父世代ほどの男性 | cháu / con など |
| bà | 祖母など | 祖母世代ほどの女性 | cháu / con など |
| bác | 親世代の年長側の親族など | 親世代で比較的年長とみなす男女 | cháu / con など |
| chú | 父の弟 | 親世代ほどの男性。bác より若い側として捉える場面など | cháu / con など |
| cô | 父の姉妹 | 親世代ほどの女性。女性教師にも使用 | cháu / con / em など文脈による |
| cậu | 母方のおじ | 親族用法のほか、友人・同輩などへの二人称用法もある | 用法による |
| dì | 母方のおば | 親世代ほどの女性に使われる場合もある | cháu / con など |
| anh | 兄 | 自分より年上の近い世代の男性 | em |
| chị | 姉 | 自分より年上の近い世代の女性 | em |
| em | 弟・妹 | 自分より年下の近い世代の男女 | 相手側は anh / chị など |
| con | 子 | 一世代ほど下の側を表す呼称・自称に使われる | — |
| cháu | 甥・姪、孫など | 一~二世代ほど下の側を表す呼称・自称に使われる | — |
この表だけを見ると「bác = おじさん」「cô = おばさん」のように日本語訳を当てたくなりますが、それだけでは不十分です。
親族内では、父方・母方、親より年上か年下か、性別などによって語が細かく分かれます。そして血縁外で使うときは、その親族体系を借りて「自分から見てどのくらいの世代・位置の人か」を表します。

実際の親戚ではもっと細かく呼び分ける
| 親族関係 | 代表的な呼称 | 補足 |
|---|---|---|
| 父の兄など | bác | 父より年長側の親族。性別を含め実際の家族関係で用法が分かれる |
| 父の弟 | chú | その妻は thím |
| 父の姉妹 | cô | その夫は dượng |
| 母の兄弟 | cậu | その妻は mợ。地域による体系差に注意 |
| 母の姉妹 | dì | その夫は dượng。地域による体系差に注意 |
| 兄 | anh | 家族内の年齢・序列と結びつく |
| 姉 | chị | 家族内の年齢・序列と結びつく |
| 弟・妹 | em | 男女共通 |
| 子 | con | 相手を指すだけでなく、自称としても重要 |
| 孫・甥・姪など | cháu | 相手を指すだけでなく、自称としても重要 |
なお、親族名称は地域・家庭による差があり、とくに母方親族の呼び方などは一枚の全国共通表ですべて説明し切れません。この記事では、呼称として実際に使うために必要な範囲を中心に整理しています。
出典・確認資料
Luong, Hy Van (1984), “‘Brother’ and ‘Uncle’: An Analysis of Rules, Structural Contradictions, and Meaning in Vietnamese Kinship”, American Anthropologist 86(2), 290–315。ベトナム語親族名称の体系と、その指示的・非指示的用法を分析。
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親戚ではない人にも親族名詞由来の呼称詞を使う
知らない男性を anh や chú と呼んでも、本当の兄や父の弟だと思っているわけではありません。本来の親族名称が持つ「少し上の世代」「親世代」「祖父母世代」といった関係を、社会的な人間関係にも拡張して呼称詞として使っているのです。
たとえば、街で自分より少し年上に見える男性へ声をかけるなら anh、親世代ほどなら chú や bác、もっと年上なら ông といった具合です。
ただし、年齢を測って機械的に変換するものではありません。世代感、相手の立場、周囲の呼び方、その人との距離感などを総合して選ばれます。
anh・chị・em の基本をもう少し詳しく
anh:年上の近い世代の男性
anh は本来「兄」ですが、血縁外では自分より年上の近い世代の男性への呼称として非常によく使われます。
Anh Minh ơi, anh xem giúp em cái này được không?
Minhさん、これをちょっと見てもらえますか?
Minh:
Ừ, em gửi cho anh đi.
うん、僕に送って。
Lan から Minh は anh、Minh から Lan は em。Minh 自身も一人称として anh を使っています。
chị:年上の近い世代の女性
chị は本来「姉」。血縁外では、自分より少し年上の女性に広く使われます。
Hươngさんはもう帰りますか?
Hương: Chị sắp về rồi. Còn em?
もうすぐ帰るよ。あなたは?
em:年下なら男性にも女性にも使う
em は「弟・妹」の両方に対応し、血縁外でも年下の男性・女性のどちらにも使われます。
先ほどの Minh・Tuấn・Mai の例で、Minh は年下男性の Tuấn にも年下女性の Mai にも em を使っていました。したがって em = 年下女性と覚えるのは誤りです。
bác・chú・cô はどう使い分ける?
相手が自分より一世代ほど上に感じられると、anh / chị よりも bác / chú / cô が候補になります。血縁内では明確な位置がありますが、血縁外では境界がより柔軟です。
大づかみにいえば、自分の親と同世代で年長側に感じる相手なら男女とも bác、比較的若い男性なら chú、女性なら cô が使われることがあります。ただし「20歳差なら chú、30歳差なら bác」のような絶対基準はありません。
ông・bà は祖父母世代ほどの相手にも使う
ông は祖父・年配男性、bà は祖母・年配女性を表します。血縁外でも、自分から見て祖父母世代ほどの相手を呼ぶ語として使われます。若い側の自称には cháu や con が使われ、地域差も絡みます。
北部と南部では呼び方が違うこともある
ベトナム語の呼称を扱うとき、北部の用法だけを全国共通のように説明するのは避けた方が安全です。特に実用上意識したいのが、若い側が親世代以上の相手に対して自称するときの cháu / con です。北部では cháu がよく現れる場面で、南部では con が選ばれることがあります。
北部で想定しやすい形
Chú ơi, cho cháu hỏi đường một chút ạ.すみません、ちょっと道をお尋ねしてもいいですか。
南部で見られる形
Chú ơi, cho con hỏi một chút.すみません、ちょっと聞かせてください。
ただし、「北部なら必ず cháu、南部なら必ず con」ではありません。 地域だけでなく家庭、世代、関係、場面によって幅があります。
初対面で年齢が分からないときはどうする?
外国人にとって最大の難所の一つです。相手が自分より少し年上なら anh / chị、年下なら em と言われても、初対面なら年齢が分かりません。

実際には、見た目、場面、周囲の呼び方、相手の自称などから推測しながら会話を始め、必要に応じて後から調整します。重要なのは、最初の1回で完璧な正解を当てなければならないわけではないことです。
ベトナム人が年齢・生まれ年を聞くのには理由がある
日本では初対面で年齢を聞くことに抵抗を感じる人も少なくありません。場合によってはセクハラやモラハラなどと言われるかもしれないので、戦々恐々です。一方で、ベトナム語では相対年齢が呼称選択に直接関係するため、年齢や生まれ年を確認することは相手が女性であっても珍しいことではなく、何よりその行為に実用的な意味があります。
何年生まれですか?
のように聞けば、どちらが anh / chị 側で、どちらが em 側か判断しやすくなります。呼称研究でも、相手との相対年齢を確認し、会話中の呼称関係を調整することが分析されています。

面白い例では、年上か年下か判断が難しい相手をとりあえず anh / chị と呼んでおいて、「若く見えますね、何年生まれなんですか?」などと、相手が不快にならないよううまく生まれ年を聞き出すケースもあります。
途中で呼び方が変わってもおかしくない
初対面では相手を自分より年上だと思い chị と呼んでいたものの、話してみたら実は自分より3歳年下だった――ということもあります。その場合、途中から em に変わることは不自然ではありません。
ベトナム語の呼称は人物へ固定されるラベルではなく、会話参加者が互いの関係をどう認識しているかによって選ばれます。新しい情報や関係性の変化に合わせて呼称も変化し得ます。
年齢より「役割」が優先されることもある
分かりやすい代表例が、先生と生徒・学生です。
先生は thầy / cô、生徒側は em が基本
男性教師は thầy、女性教師は cô と自称・呼称され、生徒・学生側は em を使うことが広く見られます。教育場面では、この教師―生徒という制度的な役割が年齢差より前面に出ることがあります。
Cô ơi, em hỏi một chút được không ạ?
先生、ちょっと質問してもいいですか?
教師:
Ừ, em hỏi đi.
はい、どうぞ。

この例では42歳の男性が em、28歳の女性が cô です。年齢だけを見ていたら逆になりそうですが、教育場面の役割が呼称を決めています。ただし教育段階や学校文化によって con など別の自称が使われる場合もあります。
出典・確認資料
ベトナムの教育場面では教師が自称として thầy / cô、学生側が con / em を使う実践が研究でも記述されている。
Du ほか(2026)の研究を見る
「呼称+名前」で呼ぶ|anh Minh・chị Lan
ベトナム語では、anh Minh / chị Lan / cô Hương / chú Nam / bác Hùng のように呼称に名前を続けて呼ぶことができます。ここでも通常は姓ではなく名を使います。anh Nguyễn のように日本語の「Nguyễnさん」をそのまま置き換える発想ではありません。
ơi を付ければ「〇〇さん!」と呼びかけられる
人に声をかけるとき非常に便利なのが ơi です。呼称だけなら、Anh ơi! / Chị ơi! / Em ơi! / Cô ơi! / Chú ơi! のように使えます。
Đoànさん!
Chị Lan ơi, chị có rảnh không?
Lanさん、今ちょっと時間ありますか?
ơi 自体が「さん」という敬称なのではなく、相手へ呼びかける働きをする語です。
tôi / bạn を使えば全部解決する?
ベトナム語の入門教材では、tôi = 私、bạn = あなた・友達から学ぶことが多いでしょう。もちろん間違いではありませんが、実際の日常会話をすべて tôi / bạn で通せば自然になる、というわけでもありません。
親族名詞由来の呼称詞や名前などは、相手との年齢・世代・距離感を表す重要な仕組みです。相手との関係が明確な場面で anh / chị / em が自然なところを、いつまでも tôi / bạn だけで通すと、距離感のある話し方に聞こえる場合があります。
逆に、あえて tôi に変えることにも意味がある
普段は anh / em や chị / em で話している二人でも、緊張、対立、怒りなどによって呼称を切り替えることがあります。その中で、あえて一人称を tôi に変えることで、普段より心理的な距離を置いた響きになる場合があります。
私はもうこの話をしたくありません。
ただし、tôi 自体に「怒っている」という意味があるわけではありません。 普段の呼称から何へ切り替えたのか、口調、場面、二人の関係が組み合わさって意味が生まれます。
tớ / cậu|友達同士の「私/君」
cậu は親族名称では母方のおじを表します。しかし、それだけではありません。とくに北部を中心とする友人・同輩関係などでは、tớ / cậu が「私/君」に近い組み合わせとして使われます。
週末、暇?
Nam: Tớ rảnh. Đi cà phê nhé.
暇だよ。コーヒー飲みに行こう。
ここでは、tớ = 自分、cậu = 相手です。同じ cậu でも「母方のおじ」と「親しい相手への二人称」という異なる用法があります。
また、実際の会話では年上側が年下の男性を cậu と呼ぶ例もあります。さらに、同年代で個人的な距離が近い二人であれば、組織上は上司・部下であっても tớ / cậu のような同輩的呼称が選ばれることがあります。
ただし、「同い年の上司と部下なら必ず tớ / cậu」「年下男性なら cậu」という規則ではありません。職位、親密度、会社文化、地域などが重なります。
mình は「私」にも「あなた」にもなり得る
mình も、一語一訳では理解しにくい語です。文脈によって、自分を指したり、親しい相手を指したり、「自分たち」に近い意味になったりします。
自分を指す mình
私、分からない。
恋人・夫婦などで相手を指す mình
ご飯食べた?/あなた、ご飯食べた?
bọn mình / chúng mình なら「私たち」
私たち、行こう。
したがって、mình = 私と固定してしまうと、恋人や夫婦の会話では意味を取り違えることがあります。誰が誰に向かって話しているのかを確認するのが重要です。
tao / mày|親友にも喧嘩にも出てくる
tao / mày は、日本語ではしばしば「俺/お前」のように説明されます。乱暴・攻撃的な会話で使われることがありますが、それだけでは実際の用法を説明できません。
親しい友人、きょうだい、長く付き合っている仲間などの間では、親密さやくだけた関係を表して tao / mày が使われることもあります。同じ mày でも、強い敵意にも、近い距離感にもなり得ます。
mày を使ったら自分は必ず tao?
tao ↔ mày は代表的な組み合わせですが、実際の会話が常に左右対称になるわけではありません。
これ取ってくれる?
ここでは、自分=chị、相手=màyです。実際の会話では親密度・感情・上下関係などが重なり、固定ペアから外れる組み合わせも現れます。
なお、こうした用例があるからといって、外国人学習者が年下相手へすぐ mày を使うことをおすすめするわけではありません。まずは、聞いたときに「喧嘩とは限らない」と理解できることが重要です。
出典・確認資料
Ton, Nu Linh Thoai, Vietnamese Terms of Address: Pragmatic Connotations, Translation and ESL/EFL Pedagogy.
研究資料を見る
職場ではどう呼ぶ?
ベトナムの職場でも、anh / chị / em は非常によく使われます。しかし「上司=anh / chị、部下=em」と固定するのは危険です。年齢、役職、会社文化、本人たちの関係などが絡むからです。
年上の同僚
Minhさん、このファイルをちょっと見てもらえますか。
年下の同僚
ちょっと確認してくれる?
年下の上司・年上の部下なら?
上司が年下、部下が年上という関係では、年齢上の序列と組織上の序列が逆方向になります。このとき、役職が上だから自動的に anh / chị になる、あるいは年上だから必ず anh / chị になる、と一律には言えません。
| 状況 | 実際に起こり得る呼び方 | 見るべき点 |
|---|---|---|
| 年上部下 → 年下上司 | 名前だけ、役職名、関係に応じた呼称など | 会社文化・二人の距離・年齢意識 |
| 年下上司 → 年上部下 | anh / chị +名前、名前、役職名など | 年齢を尊重するか、職位を前面に出すか |
| 同年代の上司・部下 | anh / chị / em、名前、親しければ tớ / cậu など | 実年齢・親密度・会社文化 |
| 外部顧客・取引先 | anh / chị +名前、役職名など | 社内よりフォーマルになりやすい |
筆者自身がベトナム企業で働いていたときにも、自分より年上の部下が、年下上司である筆者を呼称詞なしの名前だけで呼ぶケースがありました。これは一つの職場・人間関係における実例であって全国共通ルールではありませんが、「上司だから必ず上位呼称になるわけではない」ことはよく分かります。

逆に、年下の上司が年上の部下を anh / chị + 名前で呼び、年齢上の敬意を保ったまま指示・判断では上司として振る舞うこともできます。
外国人がベトナム企業へ入った場合、周囲がその人を何と呼んでいるか、本人が自分を何と称しているか、本人がこちらを何と呼ぶかを観察するのが非常に実用的です。
職位と呼称は一致することもありますが、同じものではありません。組織上の上下関係に年齢・親密度・地域・会社文化が重なって実際の呼称が決まります。
店・レストラン・サービス場面では?
たとえば店員が明らかに自分より若ければ、次のように呼べます。
すみません、アイスミルクコーヒーを1つください。
話し手が女性なら、自称側は chị になることがあります。
「客だから店員は全員 Em ơi」ではない
ベトナムにいる日本人の中には、店員へ声をかける表現として Em ơi! を覚え、相手の年齢に関係なくすべての店員へ使ってしまう人もいます。
しかし、客になった瞬間に店員が自動的に em になるわけではありません。 店員が自分より年上に見えれば anh ơi / chị ơi、さらに上の世代なら cô ơi / chú ơi / bác ơi などが候補になります。
「Em ơi = 店員さん!」という固定フレーズではありません。em は相手との関係を表す呼称です。
恋人では anh / em がよく使われる
君が恋しい。
女性: Em cũng nhớ anh.
私もあなたが恋しい。
この場合、anh / em は「兄/妹」ではありません。二人の親密な関係を示す呼称として使われています。
夫婦は何と呼び合う?
夫婦でも呼称は一種類ではありません。anh / em をそのまま使い続ける夫婦もいれば、vợ / chồng、mình、名前などを使う場合があります。子どもができれば、子どもを基準に父・母を表す呼び方を夫婦間で使うこともあります。
vợ ơi / chồng ơi
ねえ、キミ。
Chồng ơi!
ねえ、あなた。
ただし、夫婦だから常に vợ / chồng と呼び合うわけではありません。年齢、世代、二人の習慣、場面などによって呼称は変わります。
呼び方を間違えたら失礼?
結論から言えば、最初から100%正確に当てることより、関係が分かってきたら自然に調整することの方が重要です。
初対面で chị と呼んだ相手が実は自分より年下だったなら、その後 em に切り替えればよい。相手が自称している語や、周囲がその人を呼んでいる語から修正することもできます。
呼称を決める8つの要素
ここまで見てきたように、ベトナム語の呼称は一つの条件だけでは決まりません。実際には複数の要素を重ねながら、「この場面では何と呼ぶのが自然か」を判断していきます。
下の8項目は、呼称を選ぶときに影響する主な要素を整理したものです。実際の会話では、これらが一つずつ順番に働くというより、複数の条件が重なって判断されます。
| 要素 | 何を見る? | 例 |
|---|---|---|
| 親族関係 | 実際にどの親族か | bác / chú / cô / cậu / dì など |
| 社会的役割 | 教師と生徒、家族内役割など | thầy / cô ↔ em など |
| 社会的立場 | 上司・部下・顧客・取引先など | 職場では会社文化や当事者関係も影響 |
| 世代 | 同世代・親世代・祖父母世代 | anh / chú / ông など |
| 相対年齢 | 二人のどちらが年上か | anh / chị ↔ em |
| 性別 | 年上側などで区別 | anh / chị、ông / bà |
| 地域・場面 | 北部・南部、家庭・学校など | cháu / con など |
| 親密度・感情 | 初対面か、親友か、対立中か | tớ / cậu、tao / mày、tôi への切り替えなど |
つまり、「相手の年齢を入力すれば正解の敬称が出てくる」ような単純なルールではありません。
迷ったときのベトナム人の呼び方フローチャート
最後に、実際に相手を呼ぶときの判断手順をまとめます。絶対ルールではなく、初対面などで大きく外さないための実用的な目安です。
年齢だけで決めず、まず親族関係・役割・社会的立場から確認します。
このフローチャートで重要なのは、年齢判定から始めないことです。親族・教師―生徒・恋人・夫婦など、すでに強い役割関係がある場合は、そちらが先に呼称を方向付けます。そのうえで世代、相対年齢、性別、地域、親密度を重ねていきます。
ちなみに、ベトナム人なら誰しもがこの一連の判断を、うまい具合の聞き出し文句も織り交ぜながら一瞬でこなすことができます(幼児などはたまに間違ったりしますが)。筆者がまさに未だにそうなのですが、外国人である私たちにとっては、どれだけベトナム語やベトナム文化に習熟しても初対面の相手をどう呼ぶか、どうしても一瞬固まる感覚があるかもしれません。これはベトナム人ネイティブならではの特殊能力だと、筆者は捉えています。
「何と呼ぶ?」が分かると、人間関係まで聞こえてくる
ベトナム語の呼称は、日本人学習者にとって確かに難しい部分です。しかし難しさの原因は、単語が多いからだけではありません。呼称そのものが、年齢、世代、役割、上下関係、親しさ、感情まで表しているからです。
Minh がある人には anh で、別の人には em になる。年下の教師が年上の生徒から cô と呼ばれる。親しい友人なら tớ / cậu、もっとくだければ tao / mày が聞こえてくることもある。
こうした仕組みが分かると、ベトナム人同士の会話を聞いたとき、単に「誰が誰に話しているか」だけでなく、その人たちがどんな関係なのかまで少しずつ見えるようになります。
まとめ
ベトナム語では、日本語の「私」「あなた」や「〇〇さん」のような固定的な呼称だけで会話するわけではありません。
anh / chị / em / bác / chú / cô / ông / bà / con / cháu など、本来は親族を表す語に由来する呼称が、血縁関係のない相手との会話にも広く使われます。
まずは、近い世代なら anh / chị ↔ em という基本を理解する。そのうえで、親世代、祖父母世代、教師―生徒などの役割関係へ広げていくと理解しやすいでしょう。
さらに実際の会話では、tớ / cậu、mình、tao / mày、恋人や夫婦の anh / em、vợ / chồng など、親密度や関係に応じた多様な呼び方があります。
最初から全部を完璧に使い分ける必要はありません。大切なのは、呼称が人そのものに固定されたラベルではなく、二人の関係を表す言葉だと理解することです。
主な参考資料
・Sidnell, Jack & Shohet, Merav (2013), The Problem of Peers in Vietnamese Interaction, Journal of the Royal Anthropological Institute 19(3), 618–638.
・Luong, Hy Van (1984), “Brother” and “Uncle”: An Analysis of Rules, Structural Contradictions, and Meaning in Vietnamese Kinship, American Anthropologist 86(2).
・Ton, Nu Linh Thoai, Vietnamese Terms of Address: Pragmatic Connotations, Translation and ESL/EFL Pedagogy.
・Du ほか(2026), Third culture teachers: exploring identities of Vietnamese teachers in transnational higher education.
・Address Terms in Vietnamese Communication(2024)。
