ふむにちわ!
ヌックマム(nước mắm)は、魚と塩を発酵・熟成させて作る、ベトナムを代表する魚醤です。
ベトナムには各地にヌックマムの産地がありますが、その中でもよく知られているのが、Phú Quốc(フーコック)、Phan Thiết(ファンティエット)、Cát Hải(カットハイ)、Nam Ô(ナムオー)の4大産地です。
ヌックマムは魚と塩から作られるもの。
どの産地もそれは共通していますが、産地ごとに興味深い特徴もあります。
この記事では、そんな4産地を多方面から比較してみましょう。
同じ「魚と塩」から、産地ごとに異なるヌックマムが生まれる背景に迫ります。
ヌックマム全体についてまず俯瞰したい場合は、以下の記事がおすすめです↓

4大産地のヌックマムは、ざっくり何が違う?
まず、使う魚の種類が違います。塩の選び方や、魚と塩を合わせる割合も違います。仕込みに使う容器も、大型の木樽、陶製の甕、槽などさまざまです。
さらに熟成中の様子を見ると、魚を押さえて固定する gài nén(押さえて固定する方法)を中心にするところもあれば、chượp(チュオップ:魚と塩を混ぜ、発酵・熟成させている仕込み)を繰り返し攪拌する đánh quậy(攪拌する方法)や đánh đảo(かき混ぜ・切り返しを行う方法)を取り入れるところもあります。
液をどのように取り出すのかも同じではありません。樽内部の濾過・排液構造を使う地域もあれば、竹製の器具や布などを使って液を濾す地域もあります。
各産地の製造を説明するときに使われる nước bổi(仕込み初期に出る液)、lù(濾過・排液部)、kéo rút(抜いて戻す循環抽出)、nước cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)、nước long(cốt 後にさらに得る後続抽出液)、pha đấu(配合・ブレンド)といった言葉も、全国どこでもまったく同じ工程・同じ意味で使われているわけではありません。
つまり、「魚+塩」という出発点は共通していても、その先には地域ごとの製造体系があるのです。
なぜ、産地によって作り方が違う?
その土地で獲れる魚、利用してきた塩、気候、仕込み容器、漁業、そして受け継がれてきた製造技術が違うからです。
さらに現在では、GI(地理的表示)、地域技術規則、認証標章によって製品や名称に関する条件が定められ、無形文化遺産によって製造の nghề(仕事・伝統技術)や知識・技能が文化として記録・保護される地域もあります。
比較する前に — 抽出・仕上げの言葉を整理しておこう
4産地を比べると、前項のように聞き慣れない用語がいくつも出てきます。
中には特定の産地・製造体系で使われるものもあり、同じ言葉でも地域によって指す液や工程が異なる場合もあります。
そこで具体的に産地の特色を見ていく前に、本稿で登場するキーワードを整理しておきましょう。
もちろん、今覚える必要はありません。
ざっと目を通しておいて、気になった時に戻って確認できるアーカイブです。
| 用語 | 日本語での説明 | 製造上は何を指す? |
|---|---|---|
| nước bổi | 仕込み初期に出る液 | 魚と塩を仕込んだ初期に魚から出てくる液。製法によっては一度抜き、塩分や温度などを管理したうえで chượp へ戻す。 |
| lù | 濾過・排液部 | 木樽や濾過・抽出用の槽などで、固形物を内部に残しながら液を外へ出すために設ける伝統的な濾過・排液の仕組み。具体的な構造は地域・設備によって同一とは限らない。 |
| lỗ lù | lù の出口穴 | lù を通った液を樽の外へ出す開口部。lỗ は「穴・開口部」を意味する。 |
| kéo rút | 抜いて戻す循環抽出 | 液を下部から抜き、再び chượp へ戻して通す操作を繰り返し、成分を抽出しながら液を整える工程。 |
| nước cốt nước mắm cốt | 熟成した chượp から最初に抜き取る液 | ベトナム国家標準 TCVN 8336:2010 では nước cốt を chượp chín(十分に熟した chượp)から最初に抜き取るヌックマムと定義する。Phú Quốc の地域技術規則では nước mắm cốt という表記が使われる。 |
| nước mắm nhỉ/nhĩ | 少しずつ滴り出る魚醤 | 抽出の「何番目」ではなく、液が少しずつ滲み・滴り出る状態に注目した呼び名。nước cốt と同じ液を指す場合もある。 |
| nước long nước mắm long | cốt 後にさらに得る後続抽出液 | Phú Quốc の例では、cốt を取った後の chượp に飽和食塩水またはより低い độ đạm(総窒素濃度を基準とする度数)のヌックマムを通し、残った成分をさらに抽出して得る液。long 1、long 2、long 3……と段階がある。 |
| nước ngang | 後続抽出液などを指す地域的な呼び名 | Phan Thiết などで確認される名称。どの液を指すかは地域・製造体系によって異なるため、全国共通の「二番液」などとは置き換えない。 |
| pha đấu | 配合・ブレンド | cốt や long など、性質や độ đạm の異なるヌックマムを組み合わせ、目標とする品質・濃さ・風味へ仕上げる工程。 |
ここでの「日本語」は、必ずしも語源の直訳ではない
nước bổi や nước long の bổi や long は、なぜそう言うのか由来の確定が難しいものもあります。長い歴史の中で、現場で受け継がれ、使われてきた言葉たちです。
無理に直訳するより、「仕込み初期に出る液」「cốt 後にさらに得る後続抽出液」のように、この記事で工程を理解しやすくするための表現としています。
まずは4産地を一望してみよう
用語を整理したところで、4つの産地を同じ項目で並べてみましょう。
後ほど産地別に詳しく見ていくので、こちらもざっと目を通す程度で大丈夫です。
ここで注意したいのは、「その地域のすべての生産者が、必ずこの方法だけで作っている」というわけでもないことです。
Phú Quốc や Nam Ô では、GI(地理的表示)や地域技術規則によってかなり具体的な製造条件が定められています。
一方、Phan Thiết では、2024年のGI管理規則と伝統製法を伝える資料で確認できる内容の細かさが異なります。なお、この2024年規則は行政再編後の2026年7月に廃止されているため、該当箇所では資料の時点を明示します。
Cát Hải には、現地で生産されるヌックマムの認証標章に対応した製造規程があります。
したがって以下は、現在の公的制度や、確認できる代表的な伝統製法から見える「産地の特徴」を比較したものです。
| 比較するポイント | Phú Quốc | Phan Thiết | Cát Hải | Nam Ô |
|---|---|---|---|---|
| 原料魚 | Cá cơm(カー・コム。カタクチイワシ類を中心とする小魚の呼び名)が中心。地理的表示品では、仕込みに使う魚の85%以上を Cá cơm とする | Cá cơm(カタクチイワシ類)、Cá nục(ムロアジ類など)など。歴史資料には Cá trích(ニシン類)、Cá mòi(コノシロ・ニシン類の仲間)、Cá lép(カタクチイワシ科の Cá lẹp 類との対応は未確定)、Cá tạp(雑魚・複数魚種の総称)など多様な原料魚も登場する | Cá nhâm(カタボシイワシ)、Cá nục(ムロアジ類など)、Cá quẩn(マルアジ)、Cá cơm(カタクチイワシ類)、イカ類など多様 | Cá cơm than(カタクチイワシ類)が中心。GI資料では主要原料として明確に位置づけられる |
| 魚と塩 | 船上で魚と塩を混合。現行地域技術規則では重量比、魚2.5~3:塩1 | 確認できる代表的な製造例では、魚を陸揚げして製造所で塩と混合。仕込み後は nước bổi(仕込み初期に出る液)を管理する | 仕込み後の状態を見ながら、熟成中にも塩分・水分などを調整する製法 | 漁期などに応じて魚と塩の割合を調整。GI資料では3:1または2.5:1の例が示される |
| 主な仕込み容器 | 大型の木製 thùng(仕込み樽) | 大型木製 thùng(仕込み樽)、lu(陶製の甕)、chum(大型甕)など | ang(広口の陶製容器)、chum(大型甕)、vại(広口の甕・かめ)、bể chượp(仕込み槽)など | chum(大型甕) |
| 熟成中の特徴 | nước bổi(仕込み初期に出る液)を抜いた後、gài nén(押さえて固定)して自然熟成 | 代表的な伝統製法では、nước bổi を抜いて phơi nắng(日光に当てること)などで管理し、gài nén(押さえて固定)した chượp へ戻しながら熟成を進める | đánh quậy(攪拌)と phơi nắng(日光に当てること)の組み合わせが大きな特徴 | 最初の約3か月は gài nén(押さえて固定)し、その後は đánh đảo(かき混ぜ・切り返し)を行う |
| 熟成期間の目安 | 現行地域技術規則では最低12か月 | 長期熟成。伝統製法資料では1年前後~それ以上かける例がある | 認証標章用製造規程では約9か月~1年 | GI資料では12~18か月 |
| 抽出・仕上げ | lù(樽内の濾過・排液部)→ kéo rút(抜いて戻す循環抽出)→ nước mắm cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)→ nước mắm long(cốt 後にさらに得る後続抽出液)→ pha đấu(配合・ブレンド) | lù(樽内の濾過・排液部)などから液を抜き、抜いた液を chượp へ戻しながら循環させる伝統例がある。後続液には nước ngang など地域的な呼び名も見られる | 熟した chượp から液を濾過・抽出し、必要に応じて調整・配合して製品へ仕上げる | 熟成した chượp を、竹製の器具や布などを用いて濾し、液を少しずつ取り出す伝統例がある |
| 現在の主な制度・保護 | GI、地域技術規則、EU PDO(原産地名称保護)、国家無形文化遺産 | GI | 「Cát Hải で生産されたヌックマム」に関する認証標章 | GI、国家無形文化遺産 |
こうして並べると、同じヌックマムでも、地域による違いがかなりはっきり見えてきます。
たとえば Phú Quốc と Cát Hải は、どちらも魚と塩を長期間熟成させる産地ですが、熟成中の chượp(魚+塩の仕込み)の扱いは対照的です。
Phú Quốc では、魚と塩を大型木製 thùng へ入れ、仕込み初期に出る nước bổi(仕込み初期に出る液)を抜いた後、chượp の表面を gài nén(押さえて固定)します。現行の地域技術規則では、仕込みから約7日後に nước bổi を抜き、表面へ敷物を置いて木材で固定し、その状態で最低12か月自然発酵・熟成させます。
これに対して Cát Hải の製造規程では、伝統的な特徴として đánh quậy(攪拌)と phơi nắng(日光に当てること)が明記されています。熟成初期には比較的頻繁に chượp を攪拌し、その後は回数を減らしながら、状態に応じて塩分・水分を調整し、日光も利用しながら熟成を進めます。
Nam Ô はさらに興味深い例です。
2024年のGI登録資料では、最初の約3か月は gài nén(押さえて固定)し、その後は đánh đảo(かき混ぜ・切り返し)へ移り、合計12~18か月かけて chượp を熟成させます。
つまり、gài nén(押さえて固定)と đánh quậy(攪拌)・đánh đảo(かき混ぜ・切り返し)は、「どちらが正しいか」を競う二つの方法ではありません。
一つの方法を中心に発達した産地もあれば、Nam Ô のように、熟成の段階によって異なる方法を組み合わせる地域もあります。
Phan Thiết では、伝統製法の資料に、仕込み初期に出る nước bổi(仕込み初期に出る液)を抜いて管理し、gài nén(押さえて固定)した chượp へ液を戻しながら熟成を進める方法が詳しく記録されています。
そして違うのは、熟成中の扱いだけではありません。
Phú Quốc では、大型木樽の内部に設けた lù(濾過・排液部)から液を抜き、kéo rút(抜いて戻す循環抽出)を行います。そこから nước mắm cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)、さらに nước mắm long(cốt 後にさらに得る後続抽出液)を得て、最後に pha đấu(配合・ブレンド)して目標とする品質へ仕上げる体系があります。
一方、Nam Ô では、熟した chượp を竹製の器具や布などを使って濾し、液体を少しずつ取り出す伝統的な方法が受け継がれています。
同じ「液体のヌックマムを取り出す」という最後の工程でも、使う容器と抽出方法そのものが違うのです。
「地域差」は、一つの違いだけでは決まらない
Phú Quốc は木樽、Cát Hải は攪拌、Nam Ô は甕 — という一語だけで産地を説明することはできません。
魚・塩・容器・熟成中の扱い・時間・抽出方法・仕上げ方。
これらが組み合わさって、それぞれの産地のヌックマムが作られています。
ちなみに、Cát Hải の ang・chum・vại は同じもの?
Cát Hải の欄には、ang、chum、vại、bể chượp という複数の容器名が出てきました。これらは、同じ容器を言い換えただけではありません。
ang(広口の陶製容器)、chum(大型甕)、vại(広口の甕・かめ)はいずれも陶製容器に使われる語ですが、形や使われ方まで同一ではありません。さらに bể chượp は甕ではなく、chượp を仕込む槽です。
現地資料でもこれらは別々の容器名として記載されているため、一律に「甕」とまとめず区別して捉える必要があります。
長い前置きになりましたが、ここからは産地別に見ていきましょう。
まずは、タイランド湾に浮かぶ島 Phú Quốc です。
主な出典・参考:
Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」
(Phú Quốc の原料、魚と塩の割合、木製 thùng、nước bổi、gài nén、熟成期間、kéo rút、cốt・long・pha đấu)
Hải Phòng市科学技術局「Quy trình sản xuất, chế biến, đóng gói và bảo quản sản phẩm nước mắm sản xuất tại Cát Hải」
(Cát Hải の đánh quậy、phơi nắng、熟成・抽出工程)
Báo Hải Phòng「Nước mắm Cát Hải – ‘giọt vàng’ của biển」
(Cát Hải の製造容器として ang、chum、vại、bể chượp を記載)
ベトナム知的財産庁「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」
(Nam Ô の原料魚、魚と塩の割合、gài nén、đánh đảo、熟成期間、地域特性)
Hiệp hội Nước mắm Truyền thống Việt Nam「Làng nghề nước mắm ở Phan Thiết」
(Phan Thiết の伝統的な仕込み、nước bổi、gài nén、熟成・抽出)
Bình Thuận省「Quyết định 67/2024/QĐ-UBND」
(「PHAN THIẾT」地理的表示の管理・品質特性を定めた2024年規則。2026年7月に廃止)
Phú Quốc — 船の上から始まる、木樽と gài nén の製法

まず見ていくのは、ベトナムを代表するヌックマム産地のひとつ、Phú Quốc(フーコック)です。
Phú Quốc の製法を象徴するものとして、巨大な木製 thùng(仕込み樽)がよく知られています。
しかし、Phú Quốc のヌックマム作りは、魚を木樽へ入れるところから始まるわけではありません。
その工程は、漁獲した Cá cơm を船へ上げた時点ですでに始まっています。
港へ戻る前に — Cá cơm は船上で塩と合わされる
Phú Quốc の2023年地域技術規則 QCĐP(Quy chuẩn kỹ thuật địa phương/地域技術規則)01:2023/KG では、漁獲した Cá cơm(カタクチイワシ類)を洗浄し、異物などを取り除いたあと、船上で塩と混ぜ合わせる工程が定められています。
魚と塩の重量比は、次のとおりです。
Cá cơm 2.5~3 : 塩 1
魚100kgなら、塩はおよそ33~40kg
魚と塩を混ぜたあと、表面にはさらに3~5cmほどの塩の層を作り、船倉へ入れて蓋を閉じます。
つまり、魚を生のまま島へ運び、製造所へ着いてから初めて塩を加えるわけではありません。
魚の鮮度が落ちていく前に塩と合わせ、長い発酵・熟成へ向かう最初の工程を海の上で始める。
これが Phú Quốc の製法の大きな特徴です。

原料となる Cá cơm(カー・コム:カタクチイワシ類を中心とする小魚の呼び名)について、現在の地域技術規則には Cá cơm than、Cá cơm đỏ、Cá cơm sọc tiêu、Cá cơm phấn chì の4名称が記載されています。
さらに Phú Quốc の地理的表示(GI)を付けるヌックマムでは、仕込みに使う魚のうち、Cá cơm が85%以上を占めることが求められています。
魚だけでなく、「塩」にも条件がある
Phú Quốc らしさを決めるのは魚だけではありません。
2023年の地域技術規則では、Phú Quốc のヌックマムに使う塩を、海水から作られ、粗塩の国家標準 TCVN 9638:2013 に適合するものとしています。
さらに地理的表示品では、GI の管理規定によって、伝統的な供給地である Bà Rịa–Vũng Tàu、Phan Thiết、または同等品質の塩を使用し、製造へ使う前に少なくとも60日間保管することが定められています。
つまり Phú Quốc のヌックマムは、「島の魚だけ」で成立しているわけではありません。
タイランド湾で獲れる Cá cơm と、島外の製塩地から供給される塩。
その二つを組み合わせるところから、Phú Quốc の製造体系が始まっています。
巨大な木製 thùng — 樽材にも条件がある
船から運び込まれた魚と塩の混合物は、Phú Quốc の nhà thùng(大型木樽を並べた伝統的なヌックマム製造所)へ運ばれます。

ここで使われるのが、大型の木製 thùng です。
2023年の地域技術規則では、thùng に使うことのできる木材として、次の名称が挙げられています。
- hộ phát(樽材に使われる在来樹木名。標準的な日本語名・学名との確実な対応は未確認)
- chay(クワ科パンノキ属などの樹木に使われるベトナム語名)
- bời lời(クスノキ科 Litsea 属などの樹木に使われるベトナム語名)
- vên vên(フタバガキ科メルサワ属 Anisoptera の樹木に使われる名称)
- quỷnh(樽材に使われる樹木名。標準的な日本語名・学名との確実な対応は未確認)
- mè điếc(樽材に使われる樹木名。標準的な日本語名・学名との確実な対応は未確認)
- sao(フタバガキ科の大型樹木に使われるベトナム語名)
ここでは、ベトナム語の樹木名を無理に特定の日本語の樹種名へ置き換えていません。地域技術規則そのものが一般名で列挙しており、名称によっては現代植物分類上の一種へ確実に対応させられないものがあるためです。
規則が重視しているのは、特定の名前だけではありません。これらと同様の性質を持ち、虫・シロアリ・木材害虫などの侵食を受けにくく、ヌックマムを汚染せず、食品用の容器として安全な木材を使うことが求められています。
つまり木樽は、単に「昔ながらに見える容器」なのではありません。
高い塩分を含む chượp を一年以上保持しながら、長期間の発酵・熟成に耐える製造設備なのです。
木樽へ仕込んで約7日後 — nước bổi を抜き、gài nén する
魚と塩を nhà thùng の木製 thùng へ入れたあと、表面にはさらに3~5cmほどの塩を敷きます。
そして2023年の地域技術規則 QCĐP 01:2023/KG では、木樽へ仕込んでから約7日後に、thùng の中にたまった nước bổi(仕込み初期に出る液)を抜き切ります。
その後、chượp の表面へ bàng(敷物に使われる植物素材)などで作った敷物、または適切な素材を置き、その上から木材を使って gài nén(押さえて固定する方法)を行います。
最後に lù(樽内の濾過・排液部)の栓をしっかり閉じます。
ここから、屋根のある nhà thùng の中で長い自然発酵・熟成へ入ります。
現行規則が求める熟成期間は、最低12か月です。
魚と塩を仕込んでから、少なくとも一年。
その長い時間の中で chượp が十分に熟し、chượp chín(熟した chượp)になると、いよいよ液体を本格的に取り出す工程へ進みます。
熟したら、lù から抜いて戻す — kéo rút
一年以上の熟成を経て chượp chín になると、いよいよヌックマムを取り出します。
ここでいう「抽出」は、魚を強い力で圧搾して液を搾り出すことではありません。
Phú Quốc では、lù から液をゆっくり抜き、その液を再び chượp へ戻して通すという方法を使います。
まず lù(樽内の濾過・排液部)の栓を開き、液をゆっくりと外へ流します。
その液を一度取り出して終わりではありません。
抜いた液を再び同じ chượp の thùng へ戻し、もう一度内部を通して抜きます。
この kéo rút(抜いて戻す循環抽出)を何度も繰り返し、液が透明になるまで整えていきます。

こうして得られるのが、nước mắm cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)です。
つまり Phú Quốc の nước mắm cốt は、最初に栓を開けた瞬間に流れ出た液を、そのまま完成品としたものではありません。
熟した chượp から最初に得る系統の液を、kéo rút によって繰り返し chượp の中へ通し、透明な状態へ整えたものです。
cốt を取ったあとも終わらない — nước mắm long
nước mắm cốt を取り終えても、chượp の中にはまだ魚由来の成分や香りが残っています。
そこで、その残った成分をさらに取り出して得るのが、nước mắm long(cốt 後にさらに得る後続抽出液)です。
2023年の地域技術規則の用語定義では、cốt を取り終えた chượp に飽和食塩水、またはより độ đạm の低いヌックマムを加え、残っている窒素成分や香りをさらに抽出して得る液を nước mắm long としています。
一方、同規則の具体的な製造工程では、飽和食塩水を使うと示されています。
塩を水へ溶かして飽和食塩水を作り、それを品質の低い chượp の thùng から、より品質の高い thùng へ順に循環させ、液が透明になるまで抽出します。
そこで得られるのが long 1。
同じ操作をさらに繰り返して、long 2、long 3 と後続の液を取り、それぞれ別に保管します。
long は「cốt を塩水で薄めたもの」ではない
飽和食塩水を使う場合でも、それを完成した cốt へ直接加えて薄めるわけではありません。
cốt を取った後の熟成した chượp に液を通し、そこに残っている魚由来の成分をさらに抽出して得るのが nước mắm long です。
最後は cốt と long を pha đấu — 狙った品質へ仕上げる
こうして、性質の異なる nước mắm cốt、long 1、long 2、long 3 が得られます。
Phú Quốc では、これらを一定の割合で組み合わせる pha đấu(配合・ブレンド)によって、目的とするヌックマムへ仕上げます。
2023年の地域技術規則 QCĐP 01:2023/KG では、cốt と long 1、long 2、long 3 を適切な割合で組み合わせ、目標とする độ đạm と風味を持つ製品にすると定めています。

つまり Phú Quốc では、魚と塩を一年以上熟成させて一つの液を取り出せば終わり、というわけではありません。
熟成した chượp から性質の異なる複数の液を取り出し、最後にそれらを組み合わせるところまでが、製品を仕上げる技術なのです。
同じ Phú Quốc でも、GI品と「伝統的ヌックマム」は条件が同じではない
ここでもう一つ注意したいのが、現在の制度上の製品区分です。
2023年の地域技術規則 QCĐP 01:2023/KG は、Phú Quốc で作られるヌックマムについて、「Phú Quốc 地理的表示品」と「nước mắm truyền thống Phú Quốc(Phú Quốc の伝統的ヌックマム)」を扱っています。
両者は同じ地域技術規則の製造工程に従いますが、原料条件や、仕上げ時に使用できるものには違いがあります。
たとえば GI品では、仕込みに使う魚の85%以上を Cá cơmとし、食品添加物は使用できません。
一方、nước mắm truyền thống Phú Quốc(Phú Quốc の伝統的ヌックマム)の区分では、pha đấu の際に、現行規定に適合する調味料・甘味料を加えることができます。ただし、保存料、合成香料、合成着色料、増粘剤は認められていません。
「Phú Quốc 産」は、島で熟成させれば終わりではない
Phú Quốc のもう一つの特徴は、産地と製造工程が制度上強く結びつけられていることです。
2023年の地域技術規則 QCĐP 01:2023/KG では、
- ủ chượp(発酵・熟成)
- kéo rút(抜いて戻す循環抽出)
- pha đấu(配合・ブレンド)
- 瓶・容器への充填
までを、Phú Quốc 島内で行うことが求められています。
それらの条件を満たして初めて、「Phú Quốc 産のヌックマム」の名を冠することができるのです。
原料を扱い、島で熟成させ、液を抽出し、配合し、容器へ詰める。
製造の一連の工程そのものが、Phú Quốc という地域と結びつけられているのです。
Phú Quốc の製法を一本につなぐと
Cá cơm を漁獲
↓
船上で魚2.5~3:塩1で混ぜる
↓
島の nhà thùng へ運ぶ
↓
大型木製 thùng へ仕込む
↓
約7日後、nước bổi(仕込み初期に出る液)を抜く
↓
gài nén(押さえて固定)
↓
最低12か月、自然発酵・熟成
↓
chượp chín(熟した chượp)
↓
lù(樽内の濾過・排液部)から液を抜く
↓
kéo rút(抜いて戻す循環抽出)
↓
nước mắm cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)
↓
nước mắm long 1・2・3(後続抽出液)
↓
pha đấu(配合・ブレンド)
↓
目標とする độ đạm・風味のヌックマム
↓
Phú Quốc 島内で瓶・容器へ充填
こうして見ると、Phú Quốc のヌックマムは、単に「Cá cơm を使う魚醤」でも、「巨大な木樽で作る魚醤」でもありません。
海上での原料処理から、木樽での長期熟成、抽出、後続液の回収、配合、そして島内での充填までが、一つの地域的な製造体系としてつながっている。
そこに、Phú Quốc という産地の大きな特徴があります。
では、同じ南部の大産地でも、Phan Thiết ではどうでしょうか。
次に見る Phan Thiết では、nước bổi(仕込み初期に出る液)の扱いや、熟成中に液を動かす方法が、Phú Quốc とはまた違った形で発達しています。
主な出典・参考:
Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」
(現在の Phú Quốc ヌックマムの地域技術規則。船上での塩蔵、木製 thùng、約7日後の nước bổi 抜き、gài nén、最低12か月の熟成、kéo rút、cốt・long・pha đấu、島内製造)
Kiên Giang省「Quyết định 1401/QĐ-UBND(2014)」
(Phú Quốc GI の Cá cơm 比率、塩の供給地・保管条件、地理的条件)
EU「Phú Quốc PDO Single Document」
(Phú Quốc PDO の製品仕様と地域との結びつき)
Phan Thiết — nước bổi と太陽を使いながら育てる chượp
Phú Quốc では、漁獲した Cá cơm を船上で塩と合わせ、大型の木製 thùng へ仕込み、gài nén(押さえて固定する方法)で一年以上熟成させます。
では、同じくベトナムを代表する大産地 Phan Thiết(ファンティエット)では、どうでしょうか。

Phan Thiết にも、大型の木製 thùng(仕込み樽)、gài nén、樽の下部から液を抜く lù(樽内の濾過・排液部)など、Phú Quốc と共通して見える要素があります。
しかし、工程を追っていくと、同じ製法ではありません。
Phan Thiết の代表的な伝統製法では、仕込みの早い段階から nước bổi(魚と塩を仕込んだ初期に出てくる液)を外へ抜き、その液を日光に当てて管理したうえで、再び chượp へ戻します。
さらに熟成中も、液を下から抜き、また上から戻す操作を繰り返します。
魚と塩のかたまりを押さえて熟成させながら、その中を通る液には繰り返し手を入れる。
この nước bổi、太陽、gài nén、液の循環をどう組み合わせるかが、Phan Thiết の製法を見る重要なポイントです。
魚と塩を合わせるのはどこ? — Phú Quốc の船上塩蔵とは違う
まず、製造の入口から Phú Quốc との違いがあります。
Phú Quốc では、2023年の地域技術規則によって、漁獲した Cá cơm を船上で塩と混ぜる工程が明確に定められていました。
一方、Phan Thiết について確認できる伝統製法資料や現在の製造例では、Phú Quốc と同じように「船上で魚と塩を混ぜる」ことを産地共通の工程として定めた規則は確認できません。
現在の製造例では、漁から戻った船の魚を製造所へ運び、鮮度や魚種を確認・選別したうえで、製造所で魚と塩を混ぜてから仕込み容器へ入れる流れが紹介されています。
つまり、ここでは、
仕込みの始まりから違う
Phú Quốc
漁獲した Cá cơm を船上で塩と合わせることが、現行の地域技術規則に定められている。
Phan Thiết
確認できる代表的な製造例では、魚を陸揚げして製造所へ運び、そこで塩と合わせる。
と捉えると、両産地の違いが分かりやすくなります。
Cá cơm だけではない — 多様な魚を使ってきた産地
原料魚にも、Phan Thiết の特徴があります。
現在のヌックマム作りでは Cá cơm(カタクチイワシ類)が代表的な原料ですが、Phan Thiết の歴史を見ると、使われてきた魚はそれだけではありません。
20世紀前半の歴史資料には、
- Cá cơm(カタクチイワシ類)
- Cá nục(ムロアジ類など)
- Cá trích(ニシン類)
- Cá mòi(コノシロ・ニシン類の仲間)
- Cá lép(古い記録に見られる魚名。カタクチイワシ科の Cá lẹp 類との対応は未確定)
- Cá ve(地域によって小型のニシン類に使われる呼び名)
- Cá lầm(ニシン類の仲間)
- Cá tạp(雑魚・複数魚種の総称)
など、さまざまな名称が記録されています。
Cá tạp の tạp は「雑」という意味で、特定の一種類ではなく、複数の魚をまとめたものです。
さらに Phan Thiết の伝統製法を記録した資料では、魚種によって塩の割合を変える例も見られます。
たとえば、Cá nục は「魚4:塩1」、Cá tạp は「魚6:塩1」とする記録があります。
これは現在の Phan Thiết 全体へ一律に適用される規則ではありません。
ただ、魚の種類や性質に合わせて仕込み方を変える技術があったことは分かります。
Phú Quốc のGI(地理的表示)品が Cá cơm を中心とする原料条件を明確に定めているのに対し、Phan Thiết は歴史的に、周辺の豊かな漁場から得られる多様な魚をヌックマムへ利用してきた産地でもあるのです。
大型の木製 thùng — 樽材は Phú Quốc と同じ?
Phan Thiết の大規模なヌックマム生産を支えてきたもののひとつが、大型の木製 thùng(仕込み樽)です。
20世紀前半の Bình Thuận には1,000基を超える大型の仕込み樽と、さらに多数の中小の樽があり、年間数千万 L規模のヌックマムを生産していました。
では、この巨大な thùng は、どのような木で作られていたのでしょうか。
20世紀前半の Bình Thuận・Phan Thiết を扱った資料には、樽材として次のような名称が記録されています。
- bằng lăng(ミソハギ科 Lagerstroemia 属などの樹木に使われるベトナム語名)
- chiu liu(ベトナムで木材名として使われる名称。資料によって対応する樹種の示し方に差があるため、ここでは特定の学名へ固定しない)
- sao(フタバガキ科の大型樹木に使われるベトナム語名)
sao は、Phú Quốc の樽材でも挙がっていた、フタバガキ科の大型樹木に使われるベトナム語名です。
Phú Quốc の2023年地域技術規則には、hộ phát、chay、bời lời、vên vên、quỷnh、mè điếc、sao の7名称が樽材として明記されています。
つまり、Phú Quốc と Phan Thiết では、sao のように実際に使われる樽材の名称に一部重なりがあります。
ただし、制度上の位置づけは同じではありません。
Phú Quốc では、現行の地域技術規則そのものが、使用できる木材を具体的に列挙しています。
一方、旧 Bình Thuận 省が2024年に定めた 「PHAN THIẾT」地理的表示(GI)の管理規則には、Phú Quốc と同じような形で樽材の樹種一覧が定められているわけではありません。
「使われてきた木」と「規則で指定された木」は別
Phú Quốc
現行の地域技術規則に、樽材として使用できる木材の名称が具体的に列挙されている。
Phan Thiết
bằng lăng、chiu liu、sao などの使用記録は確認できるが、2024年のGI管理規則が同じ形で樽材を指定していたわけではない。
また Phan Thiết では、木製 thùng だけでなく、lu(陶製の甕)や chum(大型甕)を使った仕込みも受け継がれてきました。
現在でも、陶製の甕へ chượp を仕込み、屋外で日光に当てながら熟成させる製造例を見ることができます。

仕込みの早い段階で nước bổi を抜く
魚と塩を仕込み容器へ入れると、塩の作用によって魚から水分が出てきます。
この仕込み初期に出てくる液が、nước bổi(仕込み初期に出る液)です。
Phan Thiết の伝統製法を記録した資料では、魚と塩を仕込んで数日すると、樽の下部付近に設けた lù(樽内の濾過・排液部)から nước bổi を外へ抜きます。
液が抜けると、魚から水分が出たぶんだけ仕込み全体が沈みます。
そこで、さらに魚と塩を追加し、再び容器を満たしていく方法も行われてきました。
現在の Phan Thiết–Mũi Né の製造工程の一例では、魚と塩を仕込んで約48時間後に nước bổi を抜くとされています。
ただし、この「48時間」は Phan Thiết 全体に共通する規格値ではありません。
伝統製法資料では「数日後」とする記録もあり、仕込み方や製造者によって具体的なタイミングは異なります。
ここで重要なのは、熟成が終わってから液を取り出すのではなく、仕込みのかなり早い段階から nước bổi を外へ抜き、その液を別に管理することです。
抜いた nước bổi を phơi nắng — 太陽の熱を利用する
そして、Phan Thiết の製法で特に注目したいのが、抜いた nước bổi の扱いです。
現在の伝統的な製造例では、抜き取った nước bổi を別の容器へ移し、phơi nắng(日光に当てること)を行います。
この例では、nước bổi を日光に当てながら毎日かき混ぜ、塩分濃度を確認します。
そして chượp へ戻す前には、沈殿させたり濾したりして、液を澄んだ状態へ整えます。

つまり、太陽を利用するといっても、「魚を天日干しにする」という意味ではありません。
魚と塩から出てきた液を外へ取り出し、太陽の熱を利用しながら管理し、再び chượp へ戻せる状態へ整える。
さらに、先ほど見た陶製の甕では、chượp を容器ごと屋外へ置き、日光を利用しながら熟成させる製造例もあります。
日照の多い Phan Thiết の気候が、製造工程の中へ直接取り込まれているのです。
魚と塩は gài nén — 押さえて固定する
Nước bổi を抜いたあと、魚と塩の chượp は上から押さえて固定します。
これが、Phú Quốc にも登場した gài nén(押さえて固定する方法)です。
Phan Thiết の伝統製法では、chượp の表面をならして塩を重ね、その上へ vỉ tre(竹製のすのこ状の押さえ)などを置き、木材や石を使ってしっかり固定します。
そして、その上から、先ほど日光に当てて管理し、澄ませた nước bổi を再び戻します。
ここが Phan Thiết の製法をイメージするときの大切なところです。
魚と塩は固定する。液は動かす。
固形側の chượp は gài nén して押さえながら、液体側は外へ抜き、管理し、再び中へ戻します。
gài nén そのものは Phú Quốc にもありますが、nước bổi を外へ出し、日光を利用して管理したうえで戻すところまで見ると、Phan Thiết の特徴が見えやすくなります。
熟成中も手を入れる — kéo đảo と液の循環
Nước bổi を戻したら、そのまま一年近く放置するわけでもありません。
Phan Thiết の製造資料では、kéo đảo(液を抜き戻しながら循環させる操作)、kéo rút liên hoàn(複数の仕込み容器を連続してつなぐように液を循環抽出する操作)、tháo trộn(後続の液を chượp 側へ送り、成分をさらに引き出す操作)などの表現が使われています。
いずれも呼び名だけでは違いが分かりにくいのですが、共通して重要なのは、液を抜き、別の容器や chượp へ送り、再び通しながら成分を引き出していくという操作です。
とくに liên hoàn は「連続してつながる」といった意味で、Phan Thiết の伝統製法には、複数の仕込み容器を使いながら、液を一つの容器から次の容器へ順に動かしていく工程も記録されています。
また、現在の製造資料には đảo chượp(chượp をかき混ぜること)を行う例もあります。
したがって、Phan Thiết の製法を「固形物には一切触れず、液だけを動かす方法」とまで単純化することもできません。
ただし、産地を大きく比較したとき、Phan Thiết の代表的な伝統製法で特に詳しく記録されているのは、gài nén した chượp と、lù から抜き戻す液の管理を組み合わせる体系です。
Cát Hải の đánh quậy と、きれいに二分できるわけではない
後述の Cát Hải では、đánh quậy(chượp を攪拌する方法)と phơi nắng が、現地の製造規程に明確な特徴として現れます。
一方、Phan Thiết にも chượp を動かす製造例はあります。
そのため、「Phan Thiết は液だけを動かす/Cát Hải は固形物だけを動かす」という二分ではなく、どの操作をどのように組み合わせ、どれを製法の中心として発達させてきたかを見る必要があります。
約1年 — nước bổi と chượp の状態を見ながら熟成させる
こうした作業を重ねながら、chượp は長い時間をかけて熟していきます。
Phan Thiết の伝統製法を扱う資料では、仕込みから抽出までおよそ1年をかけると説明されています。
現在の Phan Thiết–Mũi Né の製造例では、発酵・熟成と kéo rút などの操作を続け、12~16か月で十分に熟した状態へ仕上げるとしています。
一方、陶製の甕を使う現在の伝統的な製造例では、8~18か月という幅も確認できます。
魚種、仕込み量、容器、季節、熟成中の扱い、製造者の方法によって時間は変わります。
重要なのは、単に時間が過ぎるのを待っているのではなく、nước bổi の塩分や状態を確認し、日光を利用し、液を循環させながら chượp を育てていくことです。
熟した chượp から、ヌックマムを段階的に取り出す
Chượp が十分に熟すと、いよいよ商品となるヌックマムを取り出します。
ここでも lù が使われ、樽の下部から液を取り出します。
Phan Thiết の製造資料では、最初に得られる高い độ đạm の液を nước mắm nhỉ、あるいは cốt nhỉ と呼ぶ例があります。
Nhỉ は「一番」という意味ではありません。液が少しずつ滲み・滴り出る様子に注目した言葉です。
その最初の液を取ったあとも、chượp にはまだ魚由来の成分が残っています。
そこで、さらに液を通して後続のヌックマムを取り出していきます。
Phan Thiết の資料には、nước ngang(後続抽出液などを指す地域的な呼び名)や long という言葉も登場します。
ただし、ここは特に注意が必要です。
Phan Thiết の資料の中でも、long の使い方は一様ではありません。
ある伝統製法の記録では、nước long を複数の容器へ分け、液を順番に送りながら残った成分を抽出していく体系が説明されています。
一方、別の製造工程では、最終段階に使う塩水を nước long と呼ぶ例もあります。
つまり、Phú Quốc の「nước mắm long 1・2・3」という定義を、そのまま Phan Thiết へ当てはめることはできません。
同じベトナム語が使われていても、地域だけでなく資料・製造体系によって、指している液や工程が異なる場合があるのです。
だからこそ、こうした地域の用語を、全国共通の「一番液」「二番液」へ機械的に置き換えることはできないのです。
Phan Thiết の製法を一本につなぐと
Cá cơm・Cá nục などの新鮮な魚を陸揚げ
↓
製造所で魚と塩を合わせる
↓
木製 thùng や陶製の甕へ仕込む
↓
nước bổi(仕込み初期に出る液)が出る
↓
lù(樽内の濾過・排液部)から nước bổi を抜く
↓
nước bổi を phơi nắng(日光に当てて管理)
↓
chượp を gài nén(押さえて固定)
↓
澄ませた nước bổi を chượp へ戻す
↓
液を抜き戻し、必要に応じて chượp にも手を入れながら熟成
↓
約1年~それ以上かけて chượp chín(熟した chượp)へ
↓
nước mắm nhỉ/cốt nhỉ などを取り出す
↓
後続するヌックマムも段階的に抽出・利用
こうして Phú Quốc と Phan Thiết を並べると、共通する技術を持ちながらも、製造体系は同じではないことが見えてきます。
Phú Quốc では、船上で Cá cơm と塩を合わせ、大型木製 thùng へ仕込み、最低12か月熟成させた後、kéo rút、cốt、long、pha đấu へ進む体系が、現在の地域技術規則としてかなり具体的に定められています。
一方 Phan Thiết では、代表的な伝統製法を見ると、魚を陸揚げして仕込み、早い段階から nước bổi を取り出して太陽の熱を利用し、それを戻しながら、熟成中も液を動かして chượp を育てていくところに大きな特徴があります。
そして、使ってきた魚も、仕込み容器も一種類ではありません。
その土地で獲れる魚、木樽や甕、強い日差し、そして nước bổi を扱う技術。
それらが組み合わさって、Phan Thiết のヌックマムが作られてきたのです。
では、さらに北へ進んで Cát Hải(カットハイ)へ行くとどうでしょうか。
次に見る Cát Hải では、đánh quậy(chượp を攪拌する方法)と phơi nắng(日光に当てること)が、製造工程の大きな特徴として前面に出てきます。
主な出典・参考:
Hiệp hội Nước mắm Truyền thống Việt Nam「Làng nghề nước mắm ở Phan Thiết」
(Phan Thiết の原料魚、魚種ごとの塩比率、lù、nước bổi、gài nén、long、液の循環、熟成・抽出)
Công ty Cổ phần Chế biến và Xuất khẩu Nước mắm Phan Thiết – Mũi Né「Quy trình sản xuất」
(魚の搬入・選別、bằng lăng・sao の木樽、nước bổi、phơi nắng、gài nén、kéo đảo・kéo rút liên hoàn、12~16か月の熟成)
Hội Văn học Nghệ thuật Bình Thuận「Bình Thuận, “trung tâm sản xuất nước mắm chính của Đông Dương”」
(歴史的な原料魚の多様性、bằng lăng・chiu liu などの大型木樽、20世紀前半の生産規模)
Bình Thuận省「Quyết định 67/2024/QĐ-UBND」
(「PHAN THIẾT」地理的表示の管理・品質特性を定めた2024年規則。2026年7月に廃止)
Báo Tin tức「Giữ hồn làng nghề nước mắm Phan Thiết」
(現在の陶製甕、gài nén、日光を利用した熟成、8~18か月の製造例)
Cát Hải — đánh quậy と phơi nắng の北部型製法
Phan Thiết では、gài nén(押さえて固定する方法)を基本としながら、仕込み初期に出る nước bổi を太陽に当て、液を抜き戻しながら chượp を育てていきます。
では、ベトナム北部の代表的なヌックマム産地 Cát Hải(カットハイ)へ移ると、どうでしょうか。
ここでは、熟成中の chượp の扱いが大きく変わります。
Cát Hải の製法を象徴するのが、đánh quậy(chượp を攪拌する方法)と、phơi nắng(日光に当てること)です。
Hải Phòng 市科学技術局が2023年に定めた「Cát Hải で生産されたヌックマム」の認証標章用製造規程でも、この二つは伝統製法の中心となる工程として明記されています。
魚と塩を仕込んだあと、chượp を日中は開けて太陽に当て、繰り返しかき混ぜる。さらに、chượp の状態を見ながら塩や水分も調整していきます。
仕込んだら固定して待つのではなく、開け、混ぜ、日に当て、状態を見て、また手を入れる。
この積極的な chượp の管理が、Cát Hải の製法を見る大きなポイントです。
ここでいう「北部型」とは?
この記事では、Cát Hải の đánh quậy と phơi nắng を組み合わせる製法を、北部を代表する一例として「北部型」と呼びます。
ただし、「北部ではどこでも、すべて同じ方法で作る」という意味ではありません。
ここでの「北部型」は、4産地を比較するための位置づけであり、ベトナム北部全域に一つの統一製法があるという意味ではありません。
Cá nhâm だけではない — 魚もイカも使う Cát Hải
まずは原料です。
Cát Hải の公式な地域紹介には、ヌックマムの原料として次の名称が挙げられています。
- Cá nhâm(カタボシイワシ)
- Cá nục(ムロアジ類など)
- Cá quẩn(マルアジ)
- Cá mực(イカ類。Cát Hải の原料・商品名称として使われる表現)
- Cá cơm(カタクチイワシ類)
なかでも、Cát Hải を代表する原料として特によく登場するのが Cá nhâm(カタボシイワシ)です。
Cá nhâm は、現在の分類では Sardinella lemuru に対応する魚で、日本ではカタボシイワシと呼ばれます。
Cát Hải 周辺の海で得られる魚として古くからヌックマムに利用され、この魚から作ったヌックマムは、現在も cốt cá nhâm などの商品名で生産されています。
一方で、Cát Hải の特徴は Cá nhâm だけではありません。
Cá nục や Cá quẩn といったアジ科の魚、Cá cơm 類、さらにイカを原料にしたヌックマムまで作られてきました。
つまり Cát Hải も、Phan Thiết と同じく、一種類の魚だけで説明できる産地ではありません。
木樽ではなく? — ang、chum、vại、bể chượp
仕込み容器を見ると、Phú Quốc との違いはさらに分かりやすくなります。
Phú Quốc では、巨大な木製 thùng が製法の中心でした。
一方、Cát Hải では、陶製容器や仕込み槽が広く使われています。
現地資料には、次のような容器名が登場します。
- ang(広口の陶製容器)
- chum(大型甕)
- vại(広口の甕・かめ)
- bể chượp(chượp を仕込む槽)
なお、2023年の認証標章用製造規程では、魚と塩を仕込む容器を ang(chum)または bể ướp(塩漬け・仕込み用の槽) と表現しています。
一方、Cát Hải の現在の製造現場を紹介する別の現地資料では、ang、chum、vại、bể chượp を別々の容器名として列挙しています。
そのためこの記事では、すべてを一語の「甕」へまとめず、現地で使われる容器名を区別して扱います。
こうした容器の違いは、単なる見た目の違いでもありません。
Cát Hải の đánh quậy では、熟成中に chượp を繰り返しかき混ぜるため、製法と容器の形・設備が深く関係しています。
塩は最初に入れて終わりではない
Cát Hải の製法を理解するうえで、もう一つ重要なのが塩の扱いです。
2023年の認証標章用製造規程では、仕込みに使う塩を、食品用として安全性が確認された結晶状の海塩としています。
塩はすぐに使うのではなく、少なくとも1か月保管することも定められています。
さらに興味深いのが、魚へ加える塩の量を一年中まったく同じにするわけではないことです。
規程では、冬は夏より塩を少なめにするよう注意書きがあります。
魚と塩を混ぜるときは、魚と塩をよく混ぜながら仕込み、表面にはさらに1~2cmほどの塩の層を作って蓋をします。
しかし、それで塩の管理が終わるわけではありません。
熟成中に魚が液面へ浮いてきた場合、規程では塩が不足して腐敗につながる可能性があるサインとして扱い、必要に応じて塩を追加します。
そのときも、単に「多めに入れれば安全」という考え方ではありません。
塩を追加する時期は、天候や魚の大きさなどを見て判断します。
規程では、塩を早く加えすぎれば魚のたんぱく質分解を抑えすぎ、反対に遅すぎれば chượp が腐敗する危険が高くなると説明しています。
ヌックマム作りで塩に求められるのは、次のバランスです。
腐敗は抑える。でも、分解まで止めない。
という塩の役割を、Cát Hải では熟成中にも chượp の状態を見ながら調整しているわけです。
Cát Hải では、熟成中に「水」を加える場合もある
ここは、これまで見てきた産地との違いを考えるうえで、少し意外なところかもしれません。
2023年の Cát Hải の製造規程では、原料として魚、塩、そして必要に応じて水を使うことができます。
ただし、魚と塩を仕込む最初の段階から水を加えるわけではありません。
魚へ塩が十分に入り、魚から nước bổi(仕込み初期に出る液)が出る時間を取るため、最初は魚と塩をなじませます。
その後、仕込みから24~48時間ほど経ってから、必要に応じて少量の清浄な水を加えることができます。
目的のひとつは、chượp を đánh quậy しやすくし、魚肉と酵素・微生物などが接触しやすい状態を作ることです。
また熟成中、nước bổi の塩分が高くなりすぎた場合には、一部の液を取り分け、状態に応じて水を追加する工程も定められています。
規程では、その判断の目安のひとつとして 23°Bé(ボーメ度。液体の比重を表す尺度)という数字も登場します。
ここでは、nước bổi の塩分状態を見るための目安としてボーメ度が使われています。
つまり Cát Hải の製法では、魚と塩を最初に決めた割合で入れて、そのまま完成まで触らないのではありません。
熟成の途中で魚、液、塩分の状態を観察し、必要なら塩や水を調整していきます。
Cát Hải の核心 — đánh quậy で chượp 自体をかき混ぜる
そして、Cát Hải の製法を最も特徴づける工程が đánh quậy(攪拌)です。
Phú Quốc や Phan Thiết の gài nén では、魚と塩の chượp を上から押さえて固定する方法が重要でした。
Cát Hải では、それとは異なり、熟成中の chượp そのものを繰り返しかき混ぜます。
2023年の製造規程では、この操作について、chượp を下から上へ、そして上から下へしっかり返し、全体をほぐして均一な状態にすると説明しています。
底へ塩が沈んだままにならないようにすることも重要です。
規程の中では、この操作を đánh đảo と表記している箇所もあります。
つまり Cát Hải の文脈では、đánh quậy と đánh đảo は完全に無関係な別工程として書き分けられているわけではなく、chượp を上下から大きく返しながら攪拌する操作として近い関係で使われています。
ただし、同じ đánh đảo という言葉が登場する Nam Ô と、まったく同じ製造体系だという意味ではありません。
工程としては似ていても、どの時期に、どの容器で、どのように行うのかは地域差がある。
同じ用語が使われていても、言葉だけで地域の製法を同一視することはできません。
どれくらいの頻度でかき混ぜる?
Đánh quậy は、気が向いたときだけ行う作業ではありません。
2023年の製造規程では、熟成初期ほど頻繁に行うよう具体的な目安が示されています。
最初の1か月は、平均して1~2日に1回。
2か月目以降は、状態を見ながら頻度を減らし、4~5日に1回程度まで間隔を広げることができます。
つまり、仕込んでから何か月もの間、人が繰り返し chượp を開き、その状態を確認し、全体をかき混ぜ続けるわけです。
この đánh quậy によって魚肉をほぐし、魚自身の酵素や熟成に関わる微生物などが魚体へ接触しやすい状態を作り、たんぱく質の分解を進めていきます。
昼は phơi nắng、夜は蓋をする
Đánh quậy と組み合わされる、もう一つの重要な工程が phơi nắng(日光に当てること)です。
Cát Hải の製造規程では、熟成中、日中は容器を開けて chượp を日光に当て、夜になると再び蓋をして熱を逃がしにくくする方法が示されています。
日光によって chượp の温度を高め、魚のたんぱく質分解に関わる酵素や微生物が働きやすい環境を作ります。
つまり、Cát Hải では、
「攪拌」と「日光」を別々の工程として考えるのではなく、両方を組み合わせながら chượp を管理するところが重要です。
かき混ぜることで魚と液を均一にし、太陽の熱を利用して分解を進める。
そのうえで塩分や水分を見ながら、必要な調整を繰り返します。
Phan Thiết も太陽を使った。では何が違う?
Phan Thiết にも、nước bổi を日光に当てたり、甕そのものを屋外で熟成させたりする製造例があります。
したがって、「太陽を使う=Cát Hải だけ」ではありません。
違いを見るポイントは、太陽を使うかどうかだけではなく、chượp 自体を高い頻度で đánh quậy し、その攪拌と phơi nắng、さらに塩・水の調整を一つの熟成管理として繰り返すところにあります。
繰り返し手を入れながら、約9か月~1年で chượp chín へ
このように、Cát Hải の chượp は、熟成中も頻繁に人の手が入ります。
Đánh quậy(攪拌)する。
Phơi nắng(日光浴)させる。
塩分や水分を確認する。
必要なら塩や水を調整し、また攪拌する。
2023年の認証標章用製造規程では、この管理を繰り返しながら、約9か月~1年で十分に熟した chượp chín へ到達するとしています。
Phú Quốc の現行地域技術規則が最低12か月と定めているのと比べると、期間の設定にも違いが見えます。
ただし、Cát Hải の昔からの製造例や個々の生産者を見ると、さらに長く熟成させるものもあります。
2023年の認証標章用製造規程が、đánh quậy・phơi nắng・塩や水の調整を繰り返す工程の目安として約9か月~1年を示していると理解するのが正確です。
十分に熟したかどうかは、時間だけではなく、chượp の状態や成分なども確認して判断します。
熟した chượp は、最後に kéo rút して nước mắm cốt へ
では、十分に熟した chượp からは、どのようにヌックマムを取り出すのでしょうか。
Cát Hải の2023年製造規程では、状態のよい chượp を濾過・抽出工程へ移し、kéo rút(液を抜いて戻す循環抽出)を行います。
ここで使われるのが、lù(濾過・排液部)です。
lù の栓を開け、液をゆっくり流し出します。
その液を濾過槽へ戻し、再び通す。
これを何度も繰り返し、液が透明になったものを、規程では nước mắm cốt としています。
つまり Cát Hải は、熟成中には đánh quậy で chượp 自体を積極的に攪拌しますが、熟した後の液体の抽出では、kéo rút による抜き戻しも使うのです。
最後は pha đấu — 異なる cốt を組み合わせる
抽出した nước mắm cốt も、必ず一つの仕込みだけでそのまま商品になるわけではありません。
2023年の製造規程には、異なる độ đạm(総窒素濃度を基準とする度数)や香りを持つヌックマムを適切な割合で組み合わせる pha đấu(配合・ブレンド)も定められています。
ここは Phú Quốc にも登場した工程です。
ただし、Phú Quốc の cốt、long 1、long 2、long 3 という体系そのままではありません。
Cát Hải の認証標章用製造規程では、認証標章を付ける製品には nước mắm cốt を使用することが示されています。
さらに高い độ đạm の製品を作る場合には、日光または濃縮設備を使ってヌックマムを濃縮し、濾過する工程も認められています。
Cát Hải の製法を一本につなぐと
Cá nhâm・Cá nục・Cá quẩn・Cá cơm・イカ類などを用意
↓
魚を洗浄・選別する
↓
ang(広口の陶製容器)、chum(大型甕)、vại(広口の甕・かめ)、bể chượp(仕込み槽)などへ魚と塩を仕込む
↓
表面へ1~2cmほどの塩の層を作る
↓
24~48時間ほど置き、必要に応じて清浄な水を加える
↓
Đánh quậy(chượp を攪拌)
+
Phơi nắng(日中は日光に当て、夜は蓋をする)
↓
Chượp の状態を見ながら塩・水を調整
↓
最初の1か月は1~2日に1回程度、その後は4~5日に1回程度を目安に đánh quậy
↓
約9か月~1年、攪拌・日光・状態管理を繰り返す
↓
Chượp chín(十分に熟した chượp)
↓
Lù(濾過・排液部)から液を抜く
↓
Kéo rút(抜いて戻す循環抽出)を繰り返す
↓
透明な nước mắm cốt
↓
必要に応じて pha đấu(配合・ブレンド)
↓
目的とする độ đạm・香りのヌックマムへ仕上げる
こうして見ると、Cát Hải の特徴は「甕で作る」「太陽に当てる」といった一つの要素だけではありません。
魚を塩と仕込み、chượp 自体を繰り返し攪拌し、日光に当て、さらに塩や水の状態まで見ながら熟成を管理する。
そして熟した後には、kéo rút で液を整え、nước mắm cốt を取り出して製品へ仕上げます。
Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải と三つの産地を見ただけでも、「魚と塩を発酵させる」という共通の原理から、かなり異なる製造体系が生まれていることが分かってきました。
では、次の Nam Ô(ナムオー)ではどうでしょうか。
Nam Ô では、Cá cơm than(カタクチイワシ類)を中心に、chum(大型甕)へ仕込み、最初は gài nén、その後は đánh đảo へ切り替えるという、また別の組み合わせが現れます。
主な出典・参考:
Hải Phòng市科学技術局「Quyết định 243/QĐ-SKHCN(2023)/Quy trình sản xuất, chế biến, đóng gói và bảo quản sản phẩm nước mắm sản xuất tại Cát Hải」
(認証標章用製造規程。原料、塩・水、ang・bể、đánh quậy、phơi nắng、塩・水の調整、攪拌頻度、約9か月~1年の熟成、kéo rút、nước mắm cốt、pha đấu)
Cát Hải地区公式サイト「NƯỚC MẮM CÁT HẢI – ĐẶC SẢN NƯỚC CHẤM NỔI TIẾNG VIỆT NAM」
(Cá nhâm、Cá nục、Cá quẩn、Cá mực、Cá cơm の原料名、Cá nhâm が主要原料であること、伝統的な phơi nắng・đánh đảo)
Báo Hải Phòng「Nước mắm Cát Hải – ‘giọt vàng’ của biển」
(Cát Hải の製造容器として ang、chum、vại、bể chượp を記載)
Nam Ô — Cá cơm than、甕、gài nén から đánh đảo へ
Cát Hải では、魚と塩を仕込んだ chượp をđánh quậy(攪拌)し、phơi nắng(日光浴)を組み合わせながら熟成させます。
では、再び中部へ戻り、Đà Nẵng の北西部にある Nam Ô(ナムオー)では、どうでしょうか。
Nam Ô でも魚と塩を長期間熟成させますが、これまでの3産地とはまた違う組み合わせが現れます。
原料の中心となるのは Cá cơm than(カタクチイワシ類)。
魚と塩を chum(大型甕)へ仕込み、最初の約3か月は gài nén(押さえて固定する方法)で熟成させます。
しかし、そのまま最後まで固定しておくわけではありません。
3か月ほど経つと押さえを外し、今度は đánh đảo(かき混ぜ・切り返しを行う方法)へ切り替えます。
前半は固定し、後半は動かす。
この熟成途中で方法を切り替えるところが、Nam Ô の製法を見る大きなポイントです。
主役は Cá cơm than — 漁期によって塩の量まで変える
まず原料魚から見ていきましょう。
2024年に登録された Nam Ô の地理的表示資料では、原料の中心として Cá cơm than(カタクチイワシ類)が明確に位置づけられています。
GI登録資料では、鮮度がよく、ほかの魚があまり混じらず、大きさも比較的そろった原料を使い、およそ95%を Cá cơm than が占めるという産地の特徴が説明されています。
ただし、この「95%」は、Phú Quốc の「GI品では Cá cơm 85%以上」のように単純な最低基準として読むのではなく、Nam Ô の原料特性を説明した数字として扱う必要があります。
そして Nam Ô で特に興味深いのが、同じ Cá cơm than でも、漁獲する季節によって魚と塩の割合を変えることです。
GI資料では、Cá cơm than の漁期を大きく二つに分けています。
Nam Ô は漁期によって魚:塩を変える
vụ cá Nam
現地資料でこう呼ばれる、旧暦2~3月ごろの漁期。
魚3:塩1
vụ cá Bắc
現地資料でこう呼ばれる、旧暦7~8月ごろの漁期。
魚2.5:塩1
なぜ、同じ魚なのに割合を変えるのでしょうか。
旧暦2~3月ごろは、Đà Nẵng では夏へ向かって暖かくなり、雨が少なく、沿岸の海水の塩分も比較的高くなります。
この時期の Cá cơm than は身が締まっているため、GI資料では魚3:塩1としています。
一方、旧暦7~8月ごろは雨季・台風期へ入り、河川などから海へ流れ込む水も増えます。
海水の塩分が下がり、魚肉も前者ほど締まっていないため、魚が傷むのを防ぐ目的で塩を増やし、魚2.5:塩1とします。
つまり Nam Ô では、単に「魚○kgなら塩○kg」と一年中同じ配合を使うのではありません。
魚が獲れる時期と、そのときの海・魚の状態に合わせて塩の量を変える。
長年の経験によって作られた、この季節ごとの仕込み分けも Nam Ô の特徴です。
塩は Cà Ná と Sa Huỳnh — 魚だけが「地元産」ではない
魚と並んで重要なのが塩です。
Nam Ô の2024年GI登録資料では、伝統的に使われてきた塩の産地として、
- Cà Ná(旧 Ninh Thuận 省、現在の Khánh Hòa 省にある代表的な製塩地)
- Sa Huỳnh(Quảng Ngãi 省にある代表的な製塩地)
が挙げられています。
Nam Ô の人々は古くから、この二つの地域から得た塩をヌックマム作りに利用してきたと説明されています。
つまり、Phú Quốc と同じように、Nam Ô のヌックマムも「その土地で獲れる魚だけ」で完結する食品ではありません。
Đà Nẵng 湾で獲れる Cá cơm than と、中部~南中部の製塩地から運ばれる塩。
異なる土地から来る二つの原料を、Nam Ô で組み合わせるところから製造が始まります。
そして Cát Hải との違いもあります。
Cát Hải では、熟成中の chượp の状態を見ながら塩を追加する製法が採られています。
一方、Nam Ô のGI資料では、魚と塩を chum(大型の甕)へ仕込むときに塩を一度だけ加えることが、この地域の製法として説明されています。
塩をいつ、どのように使うかという点でも、地域差があるのです。
仕込み容器は chum — 大型甕の中で一年以上熟成させる
魚と塩を合わせたら、Nam Ô では chum(大型甕)へ仕込みます。
Phú Quốc の巨大な木製 thùng、Phan Thiết の木製 thùng や lu(陶製の甕)・chum(大型甕)、Cát Hải の ang(広口の陶製容器)・chum(大型甕)・vại(広口の甕・かめ)・bể chượp(仕込み槽)などを見てきましたが、Nam Ô の伝統製法では chum が中心的な仕込み容器として登場します。
伝統的な製造例では、chum sành(炻器・陶製の大型甕)が使われてきたことも記録されています。
一つの chum に魚と塩を仕込み、その中で12か月を超える長い発酵・熟成を進めていきます。
ただし、その12~18か月を最初から最後まで同じ状態で過ごすわけではありません。
Nam Ô の特徴は、熟成の途中で chượp の扱い方そのものを切り替えることにあります。
最初の3か月は gài nén — 魚と塩を押さえて固定する
魚と塩を chum へ仕込んだ後、最初の約3か月は gài nén(押さえて固定する方法)を使います。
これは Phú Quốc や Phan Thiết にも登場した方法です。
Chượp の表面へ押さえを置き、魚と塩が浮き上がらないよう固定しながら熟成させます。
Nam Ô の伝統的な製造を紹介する資料には、表面へvỉ tre(竹で編んだすのこ状の押さえ)を置いたり、乾燥させたヤシ科植物の鞘を使ったりする例も記録されています。
その状態で、魚から出てきた液が chượp 全体へなじみ、魚と塩の熟成が進むのを待ちます。
ここまでは、gài nén を使う Phú Quốc・Phan Thiết と似ています。
しかし Nam Ô では、約3か月を過ぎると方法が変わります。
3か月後は đánh đảo — 今度は chượp をかき混ぜる
最初の約3か月を gài nén で熟成させたあと、Nam Ô では押さえを外し、Đánh đảo(かき混ぜ・切り返しを行う方法)へ移ります。
2024年のGI登録資料では、残りの熟成期間に đánh đảo を行い、魚の骨と身が均一に崩れてなじむようにすると説明されています。
ここが Nam Ô の製法を特徴づける大きな転換です。
熟成の途中で方法を切り替える
最初の約3か月
gài nén(押さえて固定する)
その後
đánh đảo(かき混ぜ・切り返しを行う)
つまり Nam Ô は、Phú Quốc のように gài nén を製法の中心として長期間固定し続ける体系とも、Cát Hải のように比較的早い段階から đánh quậy を繰り返す体系とも異なります。
熟成の前半と後半で、chượp への働きかけそのものを変える。
その組み合わせが Nam Ô の特徴なのです。
Cát Hải の đánh quậy と Nam Ô の đánh đảo は、同じ「攪拌」でも使い方が違う
Cát Hải では、熟成の早い段階から đánh quậy を高い頻度で行い、phơi nắng、塩・水の調整と組み合わせて chượp を管理しました。
一方 Nam Ô では、最初の約3か月を gài nén で固定したあと、残りの期間を đánh đảo へ切り替えることがGI資料に明記されています。
どちらも chượp を動かす操作ですが、いつ始めるのか、何と組み合わせるのかが違うのです。
12~18か月 — 色を見て「mắm chín(十分に熟した状態)」を判断する
gài nén から đánh đảo へ切り替えながら、Nam Ô の chượp は長い時間をかけて熟していきます。
2024年のGI登録資料が示す熟成期間は、12~18か月です。
一年から一年半。
「一定期間経ったから自動的に完成」と判断するわけではありません。
GI(地理的表示)規定では、長い熟成を経て、chượp の上部にmàu nâu cánh gián(ゴキブリの翅のような茶褐色、の意)の液が現れることを、熟した状態を判断する特徴として説明しています。
食品表現で 「ゴキブリの翅のような色」という言い方が出てくるあたり、日本人の感覚とは違って興味深いですが、ゴキブリの翅のように、透明感のある赤褐色~濃い琥珀色を表す色名として使われています。
この状態まで chượp が熟すと、いよいよ液を濾して取り出す工程へ進みます。
熟したら「搾る」のではなく、竹と布でゆっくり濾す
Nam Ô の抽出方法は、Phú Quốc や Phan Thiết の大型木樽で見た lù と kéo rút の体系とは異なります。
2024年のGI登録資料では、chượp が十分に熟した後に濾過してヌックマムを得ることが示されています。
さらに Nam Ô の伝統製法を伝える Đà Nẵng 市の資料を見ると、その濾過方法がより具体的に分かります。
熟した chượp の押さえを外し、中身を均一にしたあと、細かな布を使って液を濾す方法が紹介されています。
別の伝統的な記録では、竹で編んだ漏斗状の器具の内側へ布を重ね、そこからヌックマムを少しずつ滴らせる方法も伝えられています。
つまり、熟した魚と塩の chượp を強い力で圧搾して液を絞り出すのではありません。
布を通してゆっくり濾し、液を滴らせながら取り出す。
nước mắm nhỉ/nhĩ(少しずつ滲み・滴り出る魚醤)という言葉のイメージが、ここでは実際の伝統的な濾過方法として見えてきます。
竹と布が「GIの必須器具」ではない
2024年のGI登録資料が明記しているのは、熟した chượp を濾過することです。
竹で編んだ器具や細かな布を使う方法は、Nam Ô の伝統製法を伝える地域資料で確認できる具体的な例です。
Nam Ô の製法を一本につなぐと
Cá cơm than(カタクチイワシ類)を漁獲
↓
漁期に応じて魚と塩の割合を変える
Vụ cá Nam:魚3:塩1
Vụ cá Bắc:魚2.5:塩1
↓
Cà Ná・Sa Huỳnh の塩と合わせる
↓
Chum(大型甕)へ魚と塩を一度に仕込む
↓
最初の約3か月
Gài nén(押さえて固定)
↓
押さえを外す
↓
Đánh đảo(かき混ぜ・切り返し)へ切り替える
↓
合計12~18か月、発酵・熟成
↓
赤褐色~濃い琥珀色の液が現れ、mắm chín(十分に熟した状態)へ
↓
熟した chượp を濾過
↓
伝統例では、細かな布や竹製の漏斗状器具を使ってゆっくり液を取り出す
↓
Nam Ô のヌックマム
4産地それぞれの製法を追うと、地域差は一つの工程ではなく、魚、塩、容器、熟成中の扱い、抽出・仕上げの組み合わせから生まれることが見えてきます。
主な出典・参考:
Cục Sở hữu trí tuệ「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」
(2024年の Nam Ô 地理的表示。Cá cơm than、漁期、魚と塩の比率、Cà Ná・Sa Huỳnh の塩、chum、最初の3か月の gài nén、その後の đánh đảo、12~18か月の熟成、製品特性)
Đà Nẵng市「Làng nghề nước mắm Nam Ô」
(伝統的な chum、竹製の押さえ、熟成後の細かな布による濾過)
Đà Nẵng市「Làng Nam Ô – Bài 2: Nghề vang danh của làng」
(gài nén 後の攪拌、長期熟成、二重の布を使う濾過などの伝統的製造例)
Khánh Hòa省 Cà Ná xã 公式サイト
(2025年の行政再編後、Cà Ná が現在の Khánh Hòa 省に属することを確認)
4産地を並べると、何が本当に違う?
ここまで、Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải、Nam Ô の4産地を一つずつ見てきました。
冒頭の比較表では、原料魚、容器、熟成期間、抽出方法などを一度に並べました。
しかし、それぞれの製造工程を詳しく追った今なら、単に「木樽か甕か」「gài nén か đánh quậy か」といった一項目だけでは、地域差を十分に説明できないことが分かります。
本当に違うのは、どんな容器へ仕込み、その中の chượp に熟成中どう手を入れ、最後にどのような仕組みで液体を取り出すのかという、工程全体の組み合わせです。
ここでは4産地を、もう一度「容器」「熟成中の扱い」「太陽の使い方」「抽出・仕上げ」という視点から横に並べてみましょう。
違い① 何に仕込む? — 容器は単なる「入れ物」ではない
まず分かりやすいのが、仕込み容器です。
Phú Quốc を象徴するのは、大型の木製 thùng(仕込み樽)でした。
一年を超える熟成に耐える巨大な木樽で、内部の下部には lù(樽内の濾過・排液部)を設け、熟成後にはそこから液を抜き戻すことができます。
Phan Thiết でも大型の木製 thùng が使われてきましたが、それだけではありません。
Lu(陶製の甕)や chum(大型甕)を使う製造例もあり、木樽と陶製容器の両方が Phan Thiết の製造文化に登場します。
Cát Hải では、さらに容器の種類が広がります。
Ang(広口の陶製容器)、chum(大型甕)、vại(広口の甕・かめ)、さらに bể chượp(chượp を仕込む槽)などが使われています。
Nam Ô では、伝統製法の中心となるのが chum(大型甕)です。
まとめると、以下のようになります。
| 産地 | 主な仕込み容器 | その後の工程との関係 |
|---|---|---|
| Phú Quốc | 大型木製 thùng | gài nén、lù、kéo rút、cốt・long の抽出体系につながる |
| Phan Thiết | 木製 thùng、lu、chum など | gài nén、nước bổi の管理、液の抜き戻しなどと組み合わされる |
| Cát Hải | ang、chum、vại、bể chượp など | 熟成中に chượp 自体へ繰り返し手を入れる đánh quậy と組み合わされる |
| Nam Ô | chum | 前半の gài nén、後半の đánh đảo、最後の濾過へつながる |
それぞれの地域で使われてきた容器と、その中で発達した熟成・抽出技術が一つの体系として結びついていることがわかります。
違い② 熟成中、chượp を「固定する」のか「動かす」のか
次に大きく違うのが、熟成中の chượp への手の入れ方です。
gài nén と đánh quậy
chượp gài nén
gài nén(押さえて固定する)工程を用いる chượp。TCVN 8336:2010 では、熟した段階でも魚の形が残るものとされています。

chượp đánh quậy
đánh quậy(攪拌)を伴う方法で作る chượp。TCVN 8336:2010 では、熟した段階でペースト状になるものとされています。

一見すると「固定する製法」と「かき混ぜる製法」に分けられそうですが、実際にはそれほど単純ではありません。
Phú Quốc では、仕込み初期の nước bổi を抜いたあと、chượp を gài nén し、その状態を基本として最低12か月熟成させます。
Phan Thiết でも gài nén が使われます。
しかし、固形側を押さえる一方で、nước bổi を外へ抜いて管理し、再び戻し、その後も液を抜き戻しながら循環させる工程が発達しました。
つまり Phan Thiết は、「全部を固定して何もしない」のではなく、固形側は押さえながら、液体側には繰り返し手を入れる製法です。
Cát Hải では、さらに chượp そのものを積極的に動かします。
đánh quậy(攪拌する方法)によって、仕込みを下から上へ、上から下へ大きく返しながら混ぜ、熟成初期には1~2日に1回ほどという高い頻度で作業を行います。
そして Nam Ô は、この二つの考え方を熟成期間の途中で切り替えます。
最初の約3か月は gài nén。
その後は押さえを外し、đánh đảo(かき混ぜ・切り返しを行う方法)へ移ります。
4産地の違いは「固定か攪拌か」の二択ではない
Phú Quốc
gài nén を中心に長期熟成。
Phan Thiết
gài nén しながら、nước bổi や熟成液を外へ抜き戻して管理。
Cát Hải
熟成の早い段階から đánh quậy を繰り返し、chượp 自体を積極的に攪拌。
Nam Ô
前半は gài nén、後半は đánh đảo へ切り替える。
同じ魚と塩を発酵させているのに、熟成中に「何を、いつ、どれだけ動かすか」が大きく違うのです。
違い③ 同じ「太陽を使う」でも、何を日に当てるかが違う
太陽の使い方も、地域差を見るうえで興味深いポイントです。
まず、太陽を利用する製法は Cát Hải だけではありません。
Phan Thiết でも、仕込み初期に抜いた nước bổi を phơi nắng(日光に当てること)し、液を温めながら塩分などを管理したうえで、再び chượp へ戻す製造例があります。
陶製の甕そのものを屋外へ置き、日光を利用して熟成させる例も見てきました。
一方、Cát Hải では、chượp 自体を日中は日光へ当て、夜は蓋をすることが2023年の認証標章用製造規程に組み込まれています。
しかも、それを đánh quậy と組み合わせて繰り返します。
つまり、同じ phơi nắng(日光浴)でも、
太陽の使い方も同じではない
Phan Thiết
nước bổi を外へ抜いて日光で管理する例がある。甕を屋外で熟成させる例もある。
Cát Hải
chượp 自体を日中は日光へ当て、đánh quậy と組み合わせながら熟成を管理する。
Phú Quốc の現行製法では、chượp は屋根のある nhà thùng(大型木樽を並べた伝統的な製造所)の中で熟成します。
Nam Ô の現在のGI資料でも、phơi nắng は Phan Thiết や Cát Hải のように製法を特徴づける中心工程としては示されていません。
したがって、「暑い地域ほど太陽を使う」と単純に地理だけで説明することもできません。
その土地の気候を、どの工程へ、どのような形で取り込んできたのかを見る必要があります。
違い④ 熟したあと、液をどう取り出して製品にする?
そして、4産地の違いがもう一度大きく現れるのが、熟成後の抽出・仕上げです。
Phú Quốc では、この工程が非常に体系化されています。
大型木樽の lù(樽内の濾過・排液部)から液を抜き、kéo rút(抜いて戻す循環抽出)を繰り返して、まず nước mắm cốt(熟成した chượp から最初に抜き取る液)を得ます。
その後は nước mắm long(cốt 後にさらに得る後続抽出液)を long 1、long 2、long 3……と段階的に取り出し、最後は pha đấu(配合・ブレンド)して目標とする độ đạm や風味へ仕上げます。
Phan Thiết でも、lù などから液を抜き、循環させながらヌックマムを取り出します。
ただし、後続する液には nước ngang(後続抽出液などを指す地域的な呼び名)や long など複数の名称が現れ、Phú Quốc の long 1・2・3 とまったく同じ体系として整理することはできません。
Cát Hải では、熟成中は đánh quậy が前面に出ていましたが、chượp が十分に熟した後には kéo rút を行い、透明な nước mắm cốt を得ます。
さらに、異なる độ đạm や香りを持つヌックマムを pha đấu して製品へ仕上げる工程もあります。
そして Nam Ô は、ここでも大きく違います。
2024年のGI資料では、十分に熟した chượp を濾過して液を取り出すことが示されています。
地域の伝統製法には、細かな布や竹で編んだ漏斗状の器具を使い、液をゆっくり滴らせながら濾す例も残っています。
| 産地 | 熟成後の主な抽出・仕上げ |
|---|---|
| Phú Quốc | lù → kéo rút → nước mắm cốt → nước mắm long 1・2・3 → pha đấu |
| Phan Thiết | lù などから抽出・循環。nước mắm nhỉ、nước ngang、long など地域的・製造体系ごとの呼称が見られる |
| Cát Hải | 熟成後に kéo rút → nước mắm cốt → 必要に応じて pha đấu |
| Nam Ô | 熟した chượp を濾過。伝統例では布や竹製器具を使い、液をゆっくり取り出す |
つまり、「熟成した魚と塩から液体を取り出す」という目的は同じでも、そこへ至る装置・操作・液の呼び分は地域差があるのです。
結局、「地域差」はどこにある?
ここまでを並べると、ひとつ大切なことが見えてきます。
産地の違いは、一つの特徴だけでは決まりません。
たとえば、Phú Quốc を「木樽のヌックマム」、Cát Hải を「攪拌するヌックマム」、Nam Ô を「甕のヌックマム」とだけ説明できれば、どんなに楽でしょうか。
しかし、それでは本当の違いのかなりの部分を落としてしまいます。
Phan Thiết と Phú Quốc はどちらも gài nén を使いますが、nước bổi の扱いや熟成中の液の管理は同じではありません。
Phan Thiết と Cát Hải はどちらも太陽を利用しますが、太陽へ当てる対象や、攪拌との組み合わせ方が違います。
Cát Hải と Nam Ô はどちらも chượp をかき混ぜますが、その操作を始める時期も、熟成工程の中での位置づけも違います。
そして Phú Quốc と Cát Hải は、熟成方法が大きく違う一方、熟成後にはどちらも kéo rút や pha đấu を使う工程があります。
産地の製法を見るなら、「組み合わせ」を見る
何の魚を使うか。
どの塩を、どの割合で使うか。
何に仕込むか。
熟成中、何を固定し、何を動かすか。
太陽や温度をどう利用するか。
熟したあと、どうやって液を取り出し、どう仕上げるか。
この一連の組み合わせが、その土地で受け継がれてきたヌックマムの製造体系です。
本節は、ここまで参照した各産地の公的規則・GI資料・製造規程・伝統製法資料を横断して整理したものです。主な資料:
Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」
(Phú Quốc の木製 thùng、gài nén、熟成、kéo rút、cốt・long・pha đấu)
Hiệp hội Nước mắm Truyền thống Việt Nam「Làng nghề nước mắm ở Phan Thiết」ほか Phan Thiết 製造資料
(nước bổi、gài nén、phơi nắng、液の循環、抽出)
Hải Phòng市科学技術局「Quyết định 243/QĐ-SKHCN(2023)」
(Cát Hải の容器、đánh quậy、phơi nắng、塩・水管理、熟成、kéo rút、nước mắm cốt、pha đấu)
Cục Sở hữu trí tuệ「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」
(Nam Ô の chum、gài nén、đánh đảo、12~18か月熟成、濾過)
味・色・香りはどう違う?
ここまで見てきたように、Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải、Nam Ô では、原料魚も、仕込み容器も、熟成中の扱いも、液の取り出し方も違います。
では、その違いは、できあがったヌックマムの色・香り・味にも現れるのでしょうか。
この問いに答えるとき、少し注意が必要です。
メーカーの商品説明を見ると、「芳醇」「まろやか」「濃厚」「最高の香り」といった表現はいくらでも見つかります。
しかし、それをそのまま産地全体の特徴としてしまうことはできません。
そこでここでは、地域技術規則、GI(地理的表示)、認証標章の製造規程など、公的な資料で確認できる官能特性だけを使って比較します。
4産地を完全に同じ条件では比べられない
Phú Quốc には現在の地域技術規則に詳しい官能基準があります。Nam Ô ではGIとして保護される製品の特徴が示され、Phan Thiết については2024年のGI管理規則に製品特性が記載されていました。
一方 Cát Hải については、2023年の認証標章用製造規程で、完成品の品質について TCVN 5107:2018 の nước mắm nguyên chất(魚と塩を原料とし、添加物を加えない製品区分)への適合を基本とし、地域独自の製造規程では、熟した chượp や nước mắm cốt の色・香りなどが説明されています。
つまり、以下の表は「同じ試験で4産地を食べ比べた結果」ではなく、それぞれの公的資料が製品をどう表現しているかを並べたものです。
公的資料に書かれた4産地の色・香り・味
| 産地 | 色・透明度 | 香り | 味・後味 | 比較の根拠 |
|---|---|---|---|---|
| Phú Quốc | màu nâu cánh gián の中程度~濃い色。透明で濁りがなく、塩の結晶を除いて沈殿がない | nước mắm 特有の香りがあり、異臭がない | 魚由来の濃いうま味・甘みと後味。品質区分によって後味の強さまで段階的に規定 | QCĐP 01:2023/KG |
| Phan Thiết | 麦わら色または黄褐色。透明で、液に厚みがある | Phan Thiết 特有の強い香りがあり、異臭がない | 魚由来の濃いうま味・甘みがあり、飲み込んだあとにも明確な後味が残る | 「PHAN THIẾT」GI の2024年管理規則(2026年7月廃止) |
| Cát Hải | 地域の製造規程では、nước mắm cốt は麦わら色~màu cánh gián。完成品は TCVN 5107:2018 の透明度等を満たす | cốt は特有の香りがあり、酸っぱい臭い・腐敗臭がない | 認証標章品は TCVN 5107:2018 の官能基準に適合。地域製造規程では、伝統製法によって濃さのある味と後味を保つことが説明される | Cát Hải 認証標章用製造規程+TCVN 5107:2018 |
| Nam Ô | màu nâu cánh gián | 穏やかな特徴的な香り | 塩味があり、濃い甘み・うま味を感じる後味が長く続く | 2024年「Nam Ô」GI 登録資料 |
こうして並べると、違いがある一方で、意外に共通している表現もあります。
色 — 「ゴキブリの翅の色」は一つの産地だけの色ではない
まず色から見てみましょう。
また、màu nâu cánh gián(ゴキブリの翅の色)の登場です。
Phú Quốc の地域技術規則では、当色の中程度~濃い色とされています。
Nam Ô のGI資料でも、同じ「ゴキブリの翅の色」という表現が使われています。
Cát Hải の製造規程でも、熟した chượp から得る nước mắm cốt の色を麦わら色からゴキブリの翅の色までとしています。
一方、Phan Thiết の2024年GI管理規則で示されていた色は、màu vàng rơm(麦わら色)または vàng nâu(黄褐色)です。
この違いは興味深いですが、ここから、
「この色なら必ず Phú Quốc」「この色なら必ず Phan Thiết」
と判定することはできません。
実際、ゴキブリの翅系の色は Phú Quốc と Nam Ô の両方に現れ、Cát Hải の cốt の色域にも含まれています。
色だけで産地を当てることはできない
産地ごとに公的な色の特徴はありますが、色の範囲は互いに重なっています。
魚種、熟成、抽出、配合などによっても色は変わるため、「濃い茶色なら高級」「この色なら○○産」といった一条件だけで判断するのは正確ではありません。
香り — Phan Thiết は「強く」、Nam Ô は「穏やか」と書かれている
香りを見ると、公的資料の言葉にも違いが現れます。
Phú Quốc の地域技術規則では、「nước mắm 特有の香りがあり、異臭がない」としています。
一方、Phan Thiết の2024年GI管理規則では、「Phan Thiết 特有の強い香り」とありました。ベトナム語では mùi thơm nồng đặc trưng で、それぞれの語の意味は、mùi thơm「いい香り」・nồng「強い」・đặc trưng「特徴的な」です。
Nồng には、「強い」「濃い」「鼻へはっきり感じられる」といったニュアンスがあります。
つまり2024年の公的なGI管理規則は、Phan Thiết の特徴として「はっきりした強い香り」を挙げていました。
これに対して Nam Ô のGIでは、mùi thơm dịu đặc trưng とされています。
Dịu は「穏やかな・やわらかな」といった意味です。
つまり Nam Ô では、「穏やかな特徴的な香り」が産地の官能特性として示されています。
ここは、4産地の公的資料を比べたときに、比較的分かりやすい違いです。
香りについて、公的資料はどう表現している?
Phú Quốc
特有の香り。異臭がない。
Phan Thiết
強く、特徴的な香り。異臭がない。
Cát Hải
cốt は特有の香りがあり、酸っぱい臭い・腐敗臭がない。
Nam Ô
穏やかな、特徴的な香り。
繰り返しになりますが、これらはそれぞれの資料が、その産地の製品をどのような香りの特徴として定義・説明しているかの違いです。
味 — 4産地に共通して登場する「hậu vị」
味を比べると、今度は違いよりも共通点が見えてきます。
それが hậu vị(後味・余韻)です。
Phú Quốc の地域技術規則では、最上位の Đặc biệt(特別級)について、ngọt đậm của đạm, có hậu vị rõ としています。
日本語で説明するなら、魚のたんぱく質由来の濃いうま味・甘みがあり、後味がはっきりしているという意味です。
Phan Thiết の2024年GI管理規則でも、ngọt đậm của đạm に加え、飲み込んだ後に明確な hậu vị があることが特徴として示されていました。
Nam Ô のGIではさらに、hậu vị ngọt đậm kéo dài — つまり濃い甘み・うま味を感じる後味が長く続くと説明されています。
Cát Hải の2023年認証標章用製造規程は、完成品について TCVN 5107:2018 の nước mắm nguyên chất の基準への適合を求めています。
TCVN 5107:2018 でも味について、発酵・熟成中に魚のたんぱく質が分解されて生まれる ngọt と hậu vị があり、塩味はあるが刺激的な塩辛さではないことを求めています。
さらに Cát Hải の地域製造規程でも、伝統製法によって vị đượm có hậu — 濃さを感じる味と後味を保つことが説明されています。
「ngọt」は砂糖の甘さ?
ここで使われる ngọt は、一般のベトナム語では「甘い」という意味です。
しかし、ヌックマムの官能評価で使われる ngọt của đạm や ngọt đậm của đạm は、単に砂糖の甘味を指しているわけではありません。
魚のたんぱく質が分解されて生まれる、うま味やまろやかな甘みを含んだ味わいを表す表現です。
この文脈では、「砂糖が多い」という意味ではなく、「魚由来のうま味・甘み」と捉えるのが適切です。
Phú Quốc は、味の違いを「等級」でも分けている
4産地の中でも、現在の公的資料で味の違いを特に細かく示しているのが Phú Quốc です。
2023年の地域技術規則では、Phú Quốc のヌックマムを品質によって区分し、味についても次のように段階を設けています。
| 品質区分 | 規則で示される味 |
|---|---|
| Đặc biệt(特別級) | 魚由来の濃いうま味・甘みがあり、後味がはっきりしている |
| Thượng hạng(上級) | 魚由来のうま味・甘みがあり、後味がはっきりしている |
| Hạng 1(1級) | 魚由来のうま味・甘みがあり、後味がある |
| Hạng 2(2級) | 魚由来のうま味・甘みがあり、後味は少ない |
つまり Phú Quốc では、総窒素などの成分だけでなく、味の余韻まで品質区分の違いとして扱っているのです。
ここは、độ đạm が高いだけで、ヌックマムの品質すべてが決まるわけではないという点ともつながります。
Cát Hải だけ、比較の仕方が少し違う
ここで、Cát Hải についてはもう一度注意しておきましょう。
Phan Thiết と Nam Ô には、GIとしてその産地の製品特性が直接示されています。
Phú Quốc にも、地域技術規則の中に独自の官能基準があります。
一方、Cát Hải の2023年認証標章用製造規程では、認証標章を付ける完成品について、国家標準 TCVN 5107:2018 の nước mắm nguyên chất の品質基準を満たすことを基本条件としています。
地域独自の製造規程には、熟した chượp や nước mắm cốt について、麦わら色~cánh gián 色、特有の香り、酸っぱい臭いや腐敗臭がないことなどが記されています。
しかしこれは、Phan Thiết や Nam Ô のGIのように、完成品の「Cát Hải 独自の官能特性」を同じ形式で列挙した資料ではありません。
したがって、「Cát Hải は必ずこの色、この香り、この味」と他の3産地と同じ精度で断定するのは避ける必要があります。
では、飲めば産地を当てられる?
ここまで読むと、色や香り、味を覚えれば、「利き酒」ならぬ「利きヌックマム」ができそうにも思えます。
その可否はさておき、たしかに地域ごとに色の範囲に重なりがあり、味についても、魚由来のうま味・甘みや hậu vị(後味)は複数の産地に共通して登場します。
一方、同じ産地でも、魚、熟成期間、độ đạm、抽出した液、pha đấu の方法、製品の品質区分などによって仕上がりには幅があります。
これらのことから、産地ごとの「傾向」はあるものの、本稿で挙げた比較表を「この味なら100%この産地」という識別表のように使うことは困難でしょう。
地域差の情報を先に入れて味を見極めるというよりは、まず味わってみて、それぞれの地域がどのように表現しているかを見ていくと、その味わいも一層深まるかもしれません。
主な出典・参考:
Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」
(Phú Quốc の色・透明度・香り・味、品質区分別の官能要件)
Bình Thuận省「Quyết định 67/2024/QĐ-UBND」
(「PHAN THIẾT」GI の色、香り、味、透明度を定めた2024年規則。2026年7月に廃止)
Hải Phòng市科学技術局「Quyết định 243/QĐ-SKHCN(2023)」
(Cát Hải 認証標章の品質条件、熟した chượp・nước mắm cốt の色・香り、伝統製法の味の説明)
TCVN 5107:2018「Nước mắm」
(Cát Hải 認証標章品が基準とする nước mắm nguyên chất の官能要件)
Cục Sở hữu trí tuệ「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」
(Nam Ô GI の色・香り・味・後味)
「産地名を名乗る条件」も違う
ここまで、Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải、Nam Ô の製法と、できあがったヌックマムの特徴を見てきました。
では、商品ラベルに「Phú Quốc」「Phan Thiết」「Cát Hải」「Nam Ô」と書いてあれば、それだけで今まで見てきた産地の製法を受け継いだヌックマムだと考えてよいのでしょうか。
そう単純ではありません。
現在のベトナムでは、産地名を守る仕組みそのものが地域によって違います。
Phú Quốc、Phan Thiết、Nam Ô には GI(Geographical Indication/地理的表示)があります。
Phú Quốc はそれに加えて、EUでも PDO(Protected Designation of Origin/原産地名称保護)として登録されています。
Cát Hải にはGIではなく、「sản xuất tại Cát Hải(Cát Hải で生産)」という認証標章があります。
さらに Phú Quốc と Nam Ô では、完成した商品とは別に、ヌックマムを作る nghề(仕事・伝統技術)そのものが国家無形文化遺産として登録されています。
似ているように見えますが、これらが守っているものは同じではありません。
| 仕組み | 日本語でいうと | 主に何を守る? | 産地 |
|---|---|---|---|
| GI Geographical Indication | 地理的表示 | 特定地域に由来し、その土地と結びついた品質・評判・特徴を持つ商品の産地名 | Phú Quốc Phan Thiết Nam Ô |
| PDO Protected Designation of Origin | 原産地名称保護 | EU制度の中で、製品と原産地との強い結びつきを持つ名称 | Phú Quốc |
| Nhãn hiệu chứng nhận | 認証標章 | 定められた条件を満たす商品・事業者が使用できる認証のための商標 | Cát Hải |
| Di sản văn hóa phi vật thể quốc gia | 国家無形文化遺産 | 地域で受け継がれてきた nghề・知識・技術・文化 | Phú Quốc Nam Ô |
GIと無形文化遺産は、まったく別のもの
GI は、条件を満たした商品について「Phú Quốc」「Nam Ô」などの産地名を保護する知的財産制度です。
一方、国家無形文化遺産として登録されるのは、魚の選び方、塩との合わせ方、仕込み、熟成、抽出、道具の使い方、製造者の知識などを含む地域の生業と文化です。
したがって、「無形文化遺産の土地で作られた=その商品が自動的にGI品になる」という関係ではありません。
Phú Quốc — 国内GI、地域技術規則、EU PDOが重なる
4産地の中で、産地保護の仕組みが最も多層的なのが Phú Quốc です。
Phú Quốc のヌックマムは、2001年6月1日にベトナムでGIとして登録されました。
ベトナム知的財産庁の登録一覧では、登録番号は 6-00001。同庁のGI登録一覧の最初に掲載されるヌックマムです。
しかし、これは単に「Phú Quốc 島で作れば、どんなヌックマムでもGIの Phú Quốc を名乗れる」という意味ではありません。
GI品には、原料となる Cá cơm の比率、塩、地理的範囲、製造工程、製品の特徴など、Phú Quốc という産地と製品を結びつける条件があります。
たとえば、仕込みに使う魚の85%以上を Cá cơm とすること、ủ chượp(発酵・熟成)、kéo rút(抜いて戻す循環抽出)、pha đấu(配合・ブレンド)、充填などを Phú Quốc で行うことなどです。
そして2023年には、QCĐP 01:2023/KG という Phú Quốc のヌックマムに関する地域技術規則も制定されました。
ここは制度を混同しないようにしましょう。
QCĐP はGIそのものではありません。
QCĐP(Quy chuẩn kỹ thuật địa phương)は「地域技術規則」で、Phú Quốc で作られるヌックマムの原料、製造、品質、安全、表示などを技術面から定める仕組みです。
その規則の中で、Phú Quốc GI品と、GIとは条件の一部が異なる nước mắm truyền thống Phú Quốc(Phú Quốc の伝統的ヌックマム)も区別されています。
つまり、
Phú Quốc で作ったヌックマム
と
Phú Quốc GI を名乗れるヌックマム
は、制度上まったく同じ意味ではない
さらにEUでは PDO — 「Phú Quốc」という名前を国外でも守る
Phú Quốc には、もう一つ大きな保護があります。
2012年10月、EUは Phú Quốc を PDO(Protected Designation of Origin/原産地名称保護)として登録しました。
これは、ベトナム国内のGIとは別の法制度です。
EUの登録仕様では、原料となる Cá cơm の漁獲地域、魚と塩、Phú Quốc での自然発酵、木樽、抽出、pha đấu、品質特性、地理的範囲、包装・表示などが、Phú Quốc という名称と結びつけられています。
つまり、「Phú Quốc」は単なる商品ブランド名ではありません。
どこで、何を使い、どう作ったヌックマムなのかという産地との結びつきを含めて保護される名称なのです。
GIよりPDOの方が「上級」という意味ではない
GIとPDOを、品質等級の「普通級/高級」のように考えるのは正確ではありません。
ベトナム国内の GI と、EUの PDO は、異なる制度・法域で地理的名称を保護する仕組みです。
Phú Quốc は、同じ産地名がベトナム国内ではGI、EUではPDOとして保護されている、と理解すると分かりやすいでしょう。
Phan Thiết — 2007年からGI、行政再編後も名称保護が続く
Phan Thiết のヌックマムは、2007年5月30日にベトナムでGIとして登録されました。
登録番号は 6-00010 です。
GI「PHAN THIẾT」の詳細な管理規則として、旧 Bình Thuận 省は2024年に Quyết định(決定)67/2024/QĐ-UBND を制定しました。
その後、2025年の行政再編によって旧 Bình Thuận 省は現在の Lâm Đồng 省へ統合されました。Lâm Đồng 省の2026年3月の資料でも、ヌックマムの「Phan Thiết」は同省が扱う保護対象のGIとして挙げられています。
ただし、Lâm Đồng 省は2026年7月9日の Quyết định 3414/QĐ-UBND によって、旧 Bình Thuận 省の2024年規則を廃止しました。そのため、以下の製品特性や管理項目は、廃止前の2024年規則に記載されていた内容として読む必要があります。
その2024年規則では、麦わら色または黄褐色、強く特徴的な香り、魚由来の濃いうま味・甘みと明確な後味、透明で液に厚みがあることなどが、GI品に求められる製品特性として示されていました。
また、GIを使用する組織・個人に対して、原料、chượp の管理、抽出、pha đấu、包装、表示、追跡可能性などを含む管理・検査を行う仕組みも定められていました。
使用権についても、単に「Phan Thiết に会社があるから自由に使える」という仕組みではありませんでした。GIを使用する組織・個人には使用権の証明を設け、製品の原産地やGIとして定められた品質条件を満たさなくなれば、使用権の終了・取り消しの対象とする内容でした。
つまり Phan Thiết でも、守られているのは単なる地名ではなく、
Phan Thiết に由来し、定められた特徴を持つヌックマムと、その名前を適正に使用する仕組みです。
Cát Hải — GIではなく「sản xuất tại Cát Hải」の認証標章
Cát Hải は、ここまでの3産地とは制度が異なります。
Cát Hải で使われているのは、ヌックマムを対象とする nhãn hiệu chứng nhận(認証標章・認証商標)「sản xuất tại Cát Hải」です。
2023年には、認証標章に対応する管理・製造規程の整備と使用権の付与が進みました。さらに2025年3月8日には、Hải Phòng 市科学技術局の Quyết định 84/QĐ-SKHCN によって、認証標章の管理・使用規則が定められています。
sản xuất tại Cát Hải は、日本語では「Cát Hải で生産」と考えれば分かりやすいでしょう。
魚・塩、仕込み、đánh quậy、phơi nắng、熟成、抽出、製品品質、包装・表示など、Cát Hải の節で見た製造規程は、この認証標章制度と結びついています。
そして、ここでも「Cát Hải で売っているからマークを付けられる」という仕組みではありません。
2023年の運用では、使用を希望する生産者が申請し、書類だけでなく実際の製造施設についても審査を受け、条件を満たした事業者・商品に使用権が与えられました。
つまり Cát Hải の場合、GIという制度で地名そのものを管理するのではなく、定められた条件を満たして Cát Hải で生産されたヌックマムであることを、認証標章によって示す仕組みになっています。
GIと認証標章は、見た目が似ていても同じ制度ではない
どちらも消費者から見ると、「産地や条件が確認された商品を見分ける印」に見えます。
しかし、GIは地理的表示そのものを知的財産として保護する制度です。
一方、Cát Hải で使われているのは、一定の条件を満たす商品に使用を認める認証標章です。
したがって、Cát Hải を「GI産地」と呼ぶのは正確ではありません。
Nam Ô — 先に「作る技術」が文化遺産になり、その後GIへ
Nam Ô は、保護の進み方そのものが興味深い産地です。
まず2019年、Nghề làm nước mắm Nam Ô(Nam Ô のヌックマム製造技術・生業)が国家無形文化遺産へ登録されました。
ここで評価されたのは、Cá cơm than の選び方、塩との合わせ方、chum(大型甕)への仕込み、熟成、濾過など、地域の人々が代々受け継いできた知識・技術・ 生業の文化です。
そして2024年6月、今度は水産物としてのヌックマムに GI「Nam Ô」が登録されました。
ベトナム知的財産庁の決定は 437/QĐ-SHTT、GI登録番号は 6-00138 です。
Cá cơm than、漁期ごとの魚と塩の割合、Cà Ná・Sa Huỳnh の塩、chum、gài nén から đánh đảo へ切り替える熟成、12~18か月という期間など、Nam Ô の節で見た特徴は、製品と地域のつながりを説明する要素になっています。
つまり Nam Ô には現在、
二つの異なる保護がある
2019年 国家無形文化遺産
地域で受け継がれてきたヌックマムの生業・知識・技術を文化として評価する。
2024年 GI「Nam Ô」
地域と結びついた特徴を持つヌックマムの産地名を、地理的表示として保護する。
という二つの仕組みが重なっています。
Phú Quốc と Nam Ô — 「商品」だけでなく、作る人の知識も残す
国家無形文化遺産については、Phú Quốc も忘れてはいけません。
2021年、文化・スポーツ・観光省の Quyết định 1730/QĐ-BVHTTDL によって、Nghề làm nước mắm Phú Quốc(フーコックのヌックマム生業)が国家無形文化遺産リストへ登録されました。
Nam Ô は2019年、Phú Quốc は2021年。
この二つを見ると、産地保護が「偽物の商品名を防ぐ」だけではないことが分かります。
木樽を作る。魚を見る。塩を合わせる。chượp の状態を判断する。液を抜く。香りや色を見極める。
こうした作業は、規格書だけを読めば自動的に再現できるものではありません。
製造者が経験の中で蓄積し、人から人へ受け渡してきた知識や技能そのものにも価値がある。
国家無形文化遺産は、その部分を文化として捉える仕組みなのです。

4産地の「名前を守る仕組み」を並べると
| 産地 | 主な制度・保護 | 何がポイント? |
|---|---|---|
| Phú Quốc | ベトナムGI 地域技術規則 EU PDO 国家無形文化遺産 | 商品名・製造条件・国外での原産地名称・伝統 nghề が多層的に保護される |
| Phan Thiết | ベトナムGI | Phan Thiết に由来し、定められた品質・製造・管理条件を満たすヌックマムの名称を保護する |
| Cát Hải | 認証標章 「sản xuất tại Cát Hải」 | GIではなく、審査を受け条件を満たした Cát Hải 生産のヌックマムに認証標章の使用を認める |
| Nam Ô | ベトナムGI 国家無形文化遺産 | ヌックマムの産地名と、地域で受け継がれる製造 nghề の両方を守る |
だから、「地名が書いてある」だけでは見ない
ここまで来ると、商品ラベルの産地名を見る意味も変わってきます。
単に、
「Phú Quốc は有名だからおいしそう」
「Nam Ô と書いてあるから伝統的なのだろう」
と考えるだけではもったいないです。
見るべきなのは、その地名がどの制度に基づいて表示されているのかです。
GIなのか。PDOなのか。認証標章なのか。
あるいは単に、会社所在地や商品のイメージとして地名が書かれているだけなのか。
産地名の背景にある制度まで分かると、ラベルから読み取れる情報は一気に増えます。
「産地名」は、味の保証書ではない。でも、重要な情報である
GIやPDO、認証標章が付いているからといって、「すべての人にとって一番おいしい」という意味ではありません。
同時に、それは単なる広告コピーでもありません。
どこで作られたのか。どのような原料・製造・品質条件と結びついているのか。
そうした商品の背景を確認するための、大切な手がかりです。
主な出典・参考:
ベトナム知的財産庁「地理的表示登録一覧」
(Phú Quốc:2001年、Phan Thiết:2007年のGI登録)
Kiên Giang省「Quyết định 21/2023/QĐ-UBND / QCĐP 01:2023/KG」
(Phú Quốc の地域技術規則、GI品と nước mắm truyền thống Phú Quốc の区分)
Commission Implementing Regulation (EU) No 928/2012
(Phú Quốc のEU PDO登録)
EU「Phú Quốc PDO Single Document」
(Phú Quốc PDO の原料、製造、品質、地理的範囲、表示)
旧 Bình Thuận省「Quyết định 67/2024/QĐ-UBND」
(GI「PHAN THIẾT」の品質、使用権、管理・検査を定めた2024年規則。2026年7月に廃止)
Lâm Đồng省「Khoa học, công nghệ và chuyển đổi số bứt phá trong tháng 3/2026」
(行政再編後も、ヌックマムの「Phan Thiết」を同省の保護対象GIとして記載)
Lâm Đồng省「Quyết định 3414/QĐ-UBND(2026年7月9日)」
(旧 Bình Thuận省の Quyết định 67/2024/QĐ-UBND を廃止)
Hải Phòng市科学技術局「Cát Hải nước mắm 認証標章管理・製造規程(2023)」
(「sản xuất tại Cát Hải」認証標章の製造・品質条件)
Hải Phòng市科学技術局「2025年 Cát Hải nước mắm 認証標章 管理・発展計画」
(Quyết định 84/QĐ-SKHCN〔2025年3月8日〕に基づく管理・使用・定期検査)
ベトナム知的財産庁「Bảo hộ chỉ dẫn địa lý “Nam Ô” cho sản phẩm nước mắm」
(2024年の Nam Ô GI登録)
ベトナム国家観光局「Nghề làm nước mắm Nam Ô là Di sản văn hóa phi vật thể quốc gia」
(Quyết định 2974/QĐ-BVHTTDL〔2019年8月27日〕による国家無形文化遺産登録)
Quyết định 1730/QĐ-BVHTTDL
(2021年の「Nghề làm nước mắm Phú Quốc」国家無形文化遺産登録)
まとめ — 産地名は、何を教えてくれる?
この記事では、Phú Quốc、Phan Thiết、Cát Hải、Nam Ô という4つの産地を見てきました。
出発点は、どこも同じです。
魚 + 塩
しかし、その先は同じではありませんでした。
Phú Quốc では、Cá cơm を船上で塩と合わせ、巨大な木製 thùng へ仕込み、gài nén して長く熟成させます。熟した後は lù から液を抜き、kéo rút を繰り返して cốt・long を取り、pha đấu して製品へ仕上げます。
Phan Thiết では、多様な魚を利用してきた歴史があり、木製 thùng や lu(陶製の甕)、chum(大型甕)などへ仕込みます。nước bổi を早い段階から抜き、太陽の熱を利用して管理し、gài nén した chượp へ戻しながら液を動かして熟成させる製造例があります。
Cát Hải では、Cá nhâm をはじめ多様な魚を使い、ang、chum、vại、bể chượp などへ仕込みます。熟成中の chượp 自体を đánh quậy し、phơi nắng と塩・水の調整を組み合わせながら育てていきます。
Nam Ô では、Cá cơm than を中心に、漁期によって魚と塩の割合を変え、chum へ仕込みます。最初の約3か月は gài nén、その後は đánh đảo へ切り替え、12~18か月熟成したあと、伝統例では布や竹製の器具を使ってゆっくり濾します。
つまり、産地名から分かるのは、単に「ベトナムのどこで作ったか」だけではありません。
産地名の後ろには、一つの製造体系がある
どんな魚を使うのか。
どんな塩を、どの割合で使うのか。
木樽なのか、甕なのか、槽なのか。
chượp を固定するのか、液を動かすのか、chượp 自体を攪拌するのか。
太陽をどのように利用するのか。
熟した後、どうやって液を取り出し、どう仕上げるのか。
その組み合わせが、地域ごとのヌックマムを作っています。
そして現在では、その違いの一部が GI、PDO、地域技術規則、認証標章、国家無形文化遺産といった制度によって記録され、守られるようになっています。
ただし、ここでも大切なのは、「産地が違う=どちらが上か」ではないということです。
Phú Quốc の作り方が正しく、Cát Hải が特殊なのでもありません。
木樽が甕より優れているとも、gài nén が đánh quậy より高級だとも言えません。
それぞれの土地で獲れる魚、手に入る塩、気候、容器、漁業、そして人々が積み重ねてきた経験の中から、異なる方法が発達してきたのです。
ヌックマムは一つではありません。
同じ「魚と塩」という非常に単純な出発点から、地域によってこれだけ違う製造体系が生まれている。
そこに、ベトナムのヌックマムの面白さを感じ取ることができます。
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